プライドの捨て方
自分の仕事に自信があるからなのか、こと仕事において、
こうと決めたら反対される事を許容できず、どうしても反発してしまいます。
心のうちでは、
それじゃ先方の顔が立たない、1度受け入れてみたらもっといい案が出せるかも、
などと浮かんでくるのに、飲み込む判断をする前に、相手を責めるような口調で捲し立ててしまいます。
誰も傷付けたくないし、楽しく仕事をしたい。
私のつまらないプライドなどで、仕事を滞らせたくないのに、1度その罠にハマるとどうしても抜け出せません。
その場では何故か、その時の自分を擁護するような気持ちまで芽生えているというのに、家に帰ってくると後悔してばかりです。
自分でも驚くほど苛立ちや怒りの沸点が低く、なんだか常に我の強い人になってしまいます。
怒りの逃がし方、プライドの溶かし方、人の意見の受け止め方、
どんな方法でもいいので、どうか私に、我の抑え方を授けていただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自尊心とは、無我の上に成り立つ自己を肯定する力
びすさんからのご質問を縁とし、仏教の教えに立って、プライドについて考えてみました。
まず、プライドとは、自尊心であると辞書には定義されています。自尊心とは、自己を肯定する力でしょう。ところで、仏教では「私たちには我は無い」、つまり「私たちは無我である」と説きます。ですから、自尊心とは、無我の上に成り立つ自己を肯定する力ということになります。それは、私たちが勝手に作り上げてしまっている自己なるものに縛られずに、他人をも受け入れる力だと思います。
ですから、一般に、「あの人はプライドが高くて、いつも他人に対して攻撃的である。」などと見られている人は、仏教的に言えば、実はプライドが高い人ではなく、自分で勝手に作り上げてしまっている自己に対して、虚勢を張っているだけの人ではないか、ということです。
以上が、仏教の教えに立って考えてみた、私なりのプライドのあり方です。少しでも参考になればと思い回答させて頂きました。
仏教を学ぶ
仏教は、悩み苦しみの原因である煩悩を弱めるのに役立ちます。
プライドの煩悩は手強い煩悩ですが、仏教を学んで煩悩を弱めましょう。
日本テーラワーダ仏教協会のホームページに、ヴィパッサナー冥想のやり方が掲載されています。
無常、無我・空、苦 に気付くことが仏教の学びの第一歩だと思います。
知識を学ぶとともに、冥想もやってみると、新しい発見があるかもしれません。