貧弱なニートであるわたしに生きる意味はあるのか
わたしは普通科高校を精神的な病から2年休学して、通信制高校をやっと卒業した人間です。
高校で2留はしてしまったけれど、打開しようと難関大を目指して勉強を頑張っていた矢先に彼氏の浮気や家庭内の問題が原因でうつ病にかかり、勉強が手につかなくなって結局大学は不合格でした。
不合格が分かった後は、自分の責任ながらショックで勉強が手につきませんでした。
そんなわたしは大学を再び受ける努力はせず、なにかしらの努力もせず、1年間ずっとぼんやりと過ごしていたらあっという間に新年を迎えていました。
新年を迎えたわたしはただのニートじゃないか、と絶望的になりました。
どうしても未来の自分が思い浮かばないのです。
自分の精神の弱さで4年もの時間を無駄にしてしまったことがほんとに辛いです。
親から自立しなければいけないと思うのにどうしたらいいのか全く分からないのです。
自分が何故なにも努力をしようとしなかったのか自己嫌悪に陥っています。
今後どう生きて行けばいいのかわかりません。死にたささえあります。
こんなわたしに生きる意味があるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ニートこそ人を救える
ニートと言わなくてもいいです。
あなたほど人の痛みを知っている人が他の何処に居るというのですか。
人の痛みが分らない人の誰が人に手を差し伸べられるというのでしょう。
人を手助けする道を歩むのです。
それがあなたの生きる道でしょう。
何をいつまでそこにとどまっている必要がありますか。
あなたの役割はもう決まっているのです。
あなたと同じような苦しみを持った人たちを手助けして、共に明るい世界に向かって歩みを踏み出すことです。
その行のためにこそ、あなたは居る。
あなたと同じ苦しみを抱える人のために
こんにちわ。拝見いたしました。様々な問題、大学の不合格、なにもせず過ごしてしまった一年。様々な思いの中で苦しんでおられるのですね。不安ですね。
あなたと同じように苦しんでいる人は多いと思います。ですからブログをはじめてみてはいかがでしょうか。自分自身の気持ちを打ち明けるのも良いですし、例えばこんな学校であったら学生時代もっと通いやすい学校だったとか、どうすれば自分と同じような人を生み出さずにすむのかなど、ご自身の体験を踏まえてお書きになれば、きっとあなたの言葉で救われる人が生まれてくると思います。
「自分の事で手一杯なのに」とお思いになるかもしれませんが、自分自身が八方ふさがりだと思っても、外からみれば四方ふさがりくらいのことだってあります。誰かのために動けば自分自身が見えてくることがあるのです。
つらい体験でも、他の人にとっては貴重な宝、アドバイスとなることは今出版されている様々な体験記でもありますよね。あなたの体験を通して同じ苦しみを持つ方々に語りかけてみてください。
あなたの心が平安でありますよに。合掌