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貧弱なニートであるわたしに生きる意味はあるのか

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わたしは普通科高校を精神的な病から2年休学して、通信制高校をやっと卒業した人間です。

高校で2留はしてしまったけれど、打開しようと難関大を目指して勉強を頑張っていた矢先に彼氏の浮気や家庭内の問題が原因でうつ病にかかり、勉強が手につかなくなって結局大学は不合格でした。

不合格が分かった後は、自分の責任ながらショックで勉強が手につきませんでした。

そんなわたしは大学を再び受ける努力はせず、なにかしらの努力もせず、1年間ずっとぼんやりと過ごしていたらあっという間に新年を迎えていました。

新年を迎えたわたしはただのニートじゃないか、と絶望的になりました。
どうしても未来の自分が思い浮かばないのです。

自分の精神の弱さで4年もの時間を無駄にしてしまったことがほんとに辛いです。
親から自立しなければいけないと思うのにどうしたらいいのか全く分からないのです。

自分が何故なにも努力をしようとしなかったのか自己嫌悪に陥っています。
今後どう生きて行けばいいのかわかりません。死にたささえあります。

こんなわたしに生きる意味があるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ニートこそ人を救える

ニートと言わなくてもいいです。
あなたほど人の痛みを知っている人が他の何処に居るというのですか。
人の痛みが分らない人の誰が人に手を差し伸べられるというのでしょう。
人を手助けする道を歩むのです。
それがあなたの生きる道でしょう。
何をいつまでそこにとどまっている必要がありますか。
あなたの役割はもう決まっているのです。
あなたと同じような苦しみを持った人たちを手助けして、共に明るい世界に向かって歩みを踏み出すことです。
その行のためにこそ、あなたは居る。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたと同じ苦しみを抱える人のために

こんにちわ。拝見いたしました。様々な問題、大学の不合格、なにもせず過ごしてしまった一年。様々な思いの中で苦しんでおられるのですね。不安ですね。

あなたと同じように苦しんでいる人は多いと思います。ですからブログをはじめてみてはいかがでしょうか。自分自身の気持ちを打ち明けるのも良いですし、例えばこんな学校であったら学生時代もっと通いやすい学校だったとか、どうすれば自分と同じような人を生み出さずにすむのかなど、ご自身の体験を踏まえてお書きになれば、きっとあなたの言葉で救われる人が生まれてくると思います。

「自分の事で手一杯なのに」とお思いになるかもしれませんが、自分自身が八方ふさがりだと思っても、外からみれば四方ふさがりくらいのことだってあります。誰かのために動けば自分自身が見えてくることがあるのです。

つらい体験でも、他の人にとっては貴重な宝、アドバイスとなることは今出版されている様々な体験記でもありますよね。あなたの体験を通して同じ苦しみを持つ方々に語りかけてみてください。

あなたの心が平安でありますよに。合掌

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有り難し
おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせていただいております。

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