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憎んでも恨んでもいないものは、許すも許さないもないのですが

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有り難し有り難し 13

友人の助言により、家を出ました。
その友人は
・私が両親が好きだということ。
・私の持つ強迫観念や、自己肯定の低さが、親によって形成されたものだということ。
・そのために、自ら不利益を得ても自己のせいだとして、相手を増長させること。
を理解し、家出をすすめてくれたのです。
私もうすうす、そのように感じており、家出をしてから
「親にとって、あるいは周囲にとって、都合のいい子でなくても、生きていてもいい」
という意識が芽生えました。

ですが、その友人のように
「両親は好きだが、共に暮らしていると苦しいので、家を出た」
と理解をされることは少なく
「大人なんだから、いいかげん両親を許せる度量を」
というような意見などを頂戴いたします。

もともと、恨んでも憎んでもいないものを、どう許せばいいのか。
ほんとうは私は、自分でキレイに自分をつくろっているだけで、両親を恨んだり憎んだりしているのではないか、と怖くなります。

モラハラ、という言葉があります。
親子であろうと、違う人間なのですから、思想の違いはあって、あたりまえだと考えています。
ネグレクト、という言葉があります。
親の都合のいいときだけ、用事をいいつけるときだけ呼ばれ、賞状をもらっても、ほめられたためしはなく、弟と遊びに行くために病気の私はひとり置いていかれることも、しばしばでした。そういうものだと理解し、役に立たない状態なので仕方がないと、思いながら育ちました。
そのような状態の親子であれば、親を憎んだり恨んだりするはずだ、と言われるのです。

けれど私には、そのような激しい感情の自覚はなく、ただただ「あきらめ」の自覚しかありません。
しかたがない、だから、こうしよう、という形の「あきらめ」です。

そうすると、きれいごとだと言われます。
良い子ぶっているだけだと。

ひとさまから見たら、私は両親を恨み憎んでいるように見えるのかと、困惑しています。
私はただ、両親が好きだからこそ、自分を自分としていられる距離を置いて、あの方達と接していたいと思っているはずなのに。

どうぞ御返答、よろしくお願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

恨んでいないなら許すこともない

人にどのように見られようがこれはしかたがないこと。
それよりも自分はどうありたいのか、どんなときに嬉しいのか。
そう考えて嬉しくなるための行動を起こすことです。
頸椎に後遺障害が残ったようですが仕事ができるようであればした方がいいでしょう。

ご自身が考える自立の在り方をこれから模索してはどうでしょうか。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
まわりにどう見られるかが気になる、というのは、幼少期から「親がどう見るのか」を気にして生きてきた後遺症なのかもしれないと、感じました。
自分がうれしいときは、どんなときなのか。
自分がたのしいときは、どんなときなのか。
時間がかかっても、すこしずつ自分の気持ちを見つけるように、過去の自分と対話していこうと思います。

頚椎の後遺症は14級認定をされ、いつ痛みが発生し、動けなくなるかが不明であり、行動制限もあるので、外に働きにでることが困難です。
ですが、交通事故に遭う前に、作家としてデビューができ、微々たるものですが原稿料もいただけるようになったので、それと障害年金とを合わせて、細々と日々を過ごしていくく所存です。

ありがとうございます。

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