生きていくとは何なのか、教えてください
社会人になってから、人の目を、人の意見を気にしながらやってきました。
自分の行動を否定され、自分の意見を否定され、家族にさえ愚痴を話しても「その程度は苦労に入らない」言われ、これまで自分なりに頑張ってきました。
そのなかで最近よく思うのです。
自分が今、生きている意味ってなんだ?
そもそも何の為に生きている?
と常々考えては何も浮かびません。
では何の為に毎日行きたくもない場所へ起きたくもない時間に起きて行き、したくもない事を一緒にいたくもない人間とやっているのかが甚だ疑問になり、でもその答えも当然出ません。
では私は何の為に何をしているのでしょうか、もう自分でもわかりません。
甘ったれた事をと、御叱咤されるのが最もな質問なのですが、どうか教えてください。
私は今、何をしているんですか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「生きていく」とは、「借りを返してゆく」こと。
こんばんは。亀山純史と申します。
永六輔さんの言葉に「生きているということは、誰かに借りをつくること。生きてゆくということは、その借りを返してゆくこと。」という言葉があります。この言葉の中の「誰かに借りをつくること」とは、「誰かに迷惑をかけること」ということです。たとえば、生きていれば、誰でも愚痴が出ます。でも、愚痴は誰かの迷惑になっているんです。愚痴を聞いて共感してくれる人の心に、果たして愚痴は良いことなんでしょうか。とは言っても、愚痴を言ってしますのが私たちです。だから、「生きているということは、誰かに迷惑をかけること」なのです。
そして「借りを返してゆくこと」とは、私としては「仏さまの教えに生きて行くこと」だと思っています。「人身(にんじん)受け難し今すでに受く、仏法聞き難し今すでに聞く」という言葉があります。「生まれがたい人間に、今こうして生まれることが出来、さらには、今こうして出会いがたい仏さまの教えに出会うことが出来ました」と言うことです。仏さまの教えに出会うことは、迷惑をかけてきたこの私が、ひとさまのために生きていくことへと繋がっていくのです。
最後に、「何の為に毎日行きたくもない場所へ起きたくもない時間に起きて行き、したくもない事を一緒にいたくもない人間とやっている」という思いにこそ、仏さまは教えてくださっています。「私たちの人生は思い通りにはならない」ということを。
以上が私からの回答です。ご参考になるところがあれば幸いです。
人生の変化と一緒に心を変化させる
たとえば転職したり、恋愛したり結婚したり。
新しい家族ができたり。
親の介護が必要になったり、自分が介護される高齢者になったり。
人生はどんどん変化してゆきます。
今のまま、何も変わらず退屈に過ぎていくわけではないと思います。
そして、そのような状況の変化に合わせて、心も変化してゆきます。
そこに仏教というスパイスが加われば、心は成長してゆきます。
私個人的には、大人になるにつれ、年をとるにつれ、人生が良くなっている感じがします。
幸せが増大している実感があります。
これは、仏教のおかげだと思っています。
私が子供の頃、大人になるなんて面倒くさそうだと悲観していましたし、進学とか就職とか、自分にそんなことができると思っていませんでした。
恋愛とかもまともにできるとは思っていませんでした。
しかし今は、就職し、結婚して子供もいます。
自分が子供の頃には考えもしなかったようなジャンルの習いごとを、私の子供がやっています。
不思議な感じです。
「ドカベン」というマンガをご存じでしょうか。
私が子供の頃、アニメの再放送をやっていました。
最初は柔道漫画かと思っていたら、途中から主人公が野球部に入って、野球漫画になりました。
人生も、それくらい変化します。
結婚するしないは別として、人生はどんどん変化します。
あなた自身、意図的に変化を促すこともできます。
独り旅でもなんでもやってみてはどうでしょうか?
今まで行かなかったアーティストのライブに行ってみるとか、色々やってみてはどうでしょうか?
独身だからできる時間の使い方もあるし、日本にいるだけでも、楽しいことは山ほどあります。