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LGBT差別に腹を立てることも煩悩なのか?

私はゲイです。
最近、LGBTの存在が広く知られるようになったおかげで、楽しいことも増えましたが、同時に酷い差別も目だってきました。
もとい、差別は昔からありましたが、ネットの発達によって、いわゆるヘイトスピーチを目にする機会が増えてしまいました。

私もパートナー制度の実現を喜んだりしただけで、虹色のイベントへの参加報告をブログに書いただけで、見も知らぬ人から心ない言葉をぶつけられます。
またゲイとの交流が深まるにつれて、差別で辛い思いをしている人々の話しを沢山聞き、自分と同じ性指向だけに他人事のように考えることは出来なくなりました。

「差別」は他人様がされているのを見るだけでも非常に不愉快ですが、自分が差別されると、その不愉快さは何百倍もします。
だから少なくとも自分は、他の少数派や弱者の方々を差別しないように気をつけていますし、「ヘイトにヘイトで返してはいけない」と自重しています。

でもやはり内心では、はらわたが煮えくりかえります。
いわゆるヘイトをする人には、これを娯楽半分で面白がっている人が少なからずいます。こちらは切実な問題なのに・・・

でも「怒り」は煩悩ですよね。
私は自分を差別してくる人間に対し、菩薩のように接するのは無理です。
私がお不動さんに惹かれるのは、これも理由かもしれません(お不動さんの慈悲の怒りとはほど遠いですが)。

そこで質問なのですが、
仏教でも差別に対しては、「右の頬を打たれたなら、左の頬を向けてやる」べきなのでしょうか?
それとも、非暴力、例えば言論等での抵抗はゆるされるのでしょうか?

差別に対する怒りも煩悩であり、消さなければならないのでしょうか?

よろしくお願い致します。

LGBT・同性愛
有り難し 72
回答 4

質問投稿日: 2018年9月6日 7:24

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

LGBTQという枠に属さない生き方が仏教

人間には名前がありません。ジャンル分けがありません。ラベルがありませんよ。
誰かが人を分けて名前を付けた方が分かりやすいからそうしただけです。
乗っからなくていいのです。
ラベルを貼り付けなくてもいいのです。
俳優さんが一つのドラマの主演をすると、そのイメージがついてまわりますが、本人の私生活は別モノでしょう。
LGBTに分類されるような人たちでも、そんなこともかまわず縛られずに人生を謳歌されている方をみならってみましょう。
彼ら彼女らは彼らでも彼女らでもなく、その人を生きておられます。
仏教では観音様はLGBTをも超越した姿なのです。
観音様とは人間の本来の心です。
外に求めるものではなく、自身の何物にも染まらざるこころ。何ものにも着(ちゃく)せざる
こころ。染まらぬ心。染まるとは人間の分別や分類など考えに染まること。
いま、知らずに呼吸をしていました。
年齢も生まれた県も忘れていた。今日いくら使ったかも忘れている。
一念を起こしていない。
一念を立てていないということ。
人間の本当の姿とは思ったことや、考えたことではありません。
そういう思いや考えに染まる前の世界があります。
男性でも男性ということを忘れている時がありましょう。
女性でも女性ということを忘れている時がありましょう。
人の決めたラベルや人の決めつける差別心に染まらない生き方があります。
差別は差別をする人の側の問題なのです。
こちらがそれに屈せず、彼らをしてより高い人間性に目覚めさせるべく、差別された側であっても啓蒙するぐらいの気持ちを持つべきなのです。
人は「しらない」だけなのです。
差別する人も「しらない」から差別してしまうのです。
自分も高め、相手の差別心もゆるしてより高い人間性に導く心。
それを菩提心と言います。
仏教の説く最高の心です。
お釈迦さまや祖師方を悟りに導いた心です。
今日から心に菩提心を念じて相手も自分も高める生き方をいたしましょう。
まずは、今そこで持ち物から手を放してあなた自身をして菩提心を起こすべくお手合わせ願います。
合掌

7ヶ月前
回答僧

大忍貫道

同じ土俵に上がらない。

ご質問を拝読させて頂きました。
LGBTの方々に対する差別は、性差別にも繋がってくる問題だと思います。
差別する人達は、「LGBTは子供を産まないから、反社会的なものだ。」と如何にもな大義名分を掲げていますが、それは女性に対しても「子供を産まない。」という選択を否定するものになります。

別に子供の有無で個人の価値が変わるわけではないし、環境によって生物は進化してきましたので、仮に世の中の全員がLGBTであっても、その環境に応じて人は進化するのではないかとすら思います。

どのような差別も大きな原因の一つに、「知らない」事が挙げられます。
実際に、私の祖父世代は眼や耳が不自由な人に対して蔑称を用いる人が少なくありません。
けれども、それが差別用語であると教育されてきた私たち世代が蔑称を用いる事は殆ど有りません。
だから、教育によって、ある程度是正する事が出来るものだと思っています。

ただ、ネットなどを見ていて感じることですが、差別発言をする人というのは、特定の差別発言をしているのでは無く、満遍なく差別発言をしている事が多いです。
もっと言えば、世の中の様々な事柄に対して否定的な意見を発信している事が多いように見受けられます。
そのような人達は、もっと別の問題を抱えているのでしょうね。

さて、ようやく本題ですが、仏教では、
「怨みに怨みをもって報いず。」と説かれます。
この言葉は、「ダンマパダ(法句経)」に記されるものですが、スリランカのジャヤワルダナ大統領が、日本に対する戦争賠償請求権を放棄した際に引用した事で有名になりました。

憎い相手と同じ土俵に上がってしまった時点で、相手を負かす事は出来ません。
私の尊敬する僧侶は、「ゆるす。」事でしか自らも救われないと説いていました。
相手が発言するまでの背景、心境を察し、その事に心よりの憐れみの情をかけること。
これしか無いのではないでしょうか。

7ヶ月前

執着しない

仏教の基本の教えに「諸法無我」というのがあります。執着しない。自らの道が間違っていないと思うなら、人からの批判なんて受け流しましょう。
書かれているように、怒りをもってはいけない「不瞋恚」戒という戒律があります。そこまで分かっておられるのなら、つまらない輩は相手にしないようにしましょう。
そうしたら彼らは増長する。確かにそうですが、いつかは仏罰が当たると考えて、自らは菩薩道に励みましょう。
自分のことに忙しくなれば、周りの雑音は気にならなくものです。
虹色イベントには私も応援しますし、実行委員に入って積極的にしているものもあります。差別と偏見が無くなるまで共に戦いましょう。

7ヶ月前
回答僧

願誉浄史

まずは、怒りは煩悩と理解しておく

悟っていない私達には、怒りがあります。
怒りはストレスの原因だから、怒らない方が生活が楽になります。
しかし、怒ってしまう。
自分の怒りで自分にストレスを与えている。

まずは、それを理屈上で理解しましょう。
そして、怒りを弱めていくように、仏道修行のヨチヨチ歩きを始めましょう。

怒りは煩悩だと知っているか知らないか。
あなたは、それを知っている人々の仲間に入りましょう。

7ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

柳原貫道 様
ご回答ありがとうございます。
本当にLGBTに対する差別は性差別につながっています。ゲイに意地悪を言う人は女性をも見下していることが多いです・・・
またおっしゃる通り、LGBTを差別する人は、他のマイノリティや弱者にも意地悪な人が多いです・・・
なので彼らは、私にとって反面教師にもなってくれました。

確かに幸福な人は心に余裕があるので差別はしない。差別をする人は何か問題を抱えているのかもしれません。
おっしゃる通り、同じ土俵にあがるべきではないのでしょうね・・・
私が単なる道徳よりも、仏教を含めた宗教に惹かれるのは、「ゆるし」の思想があるからだと思っています。
でも、自分に意地悪をしてくる人をゆるすのは、とても難しいことなんですよね・・・
でもこれも仏道修行の一環と思って、努力してみようと思います。

改めまして丁寧なお返事、ありがとうございました。

丹下覚元(たんげかくげん)様
ご回答ありがとうございます。
私も「LGBT」という言葉が消滅した社会。わざわざそうしたカテゴリーを主張する必要の無い社会。それが理想だと思っています。
そうなれば差別は無くなると思います。
差別をする人を見ていますと、幸福そうな人は居ません。「何か心に問題を抱えているんだなあ」と分かります。
そしてご指摘の通り、彼らは本当にLGBTについて無知です。
ただ私は、なるべく穏やかにLGBTについて、何度も何度も説明をしてきました。覚えていないくらいの数、説明してきました。稀にわかってくれる人も居ますが、意地悪をする人は基本的に耳を塞いで聞いてくれません(涙
でも、ここで私が感情的になってしまっては駄目なのでしょうね・・・
稀であっても、過去に数人わかってくれた人もいますので、私の説明は無駄では無かったわけで・・・
また自分に意地悪をする人をゆるすことは難しい・・・
でも菩提心について考え、またこれも仏道修行の一環と思って、努力してみようと思います。

改めまして丁寧なお返事、ありがとうございました。

願誉浄史様
ご回答ありがとうございます。
やはり、怒りは煩悩なのですね・・・
言葉だけではなく、意味と言いますか、実感としてもそれを自覚できるよう、もっと努力してみようと思います。
確かに怒ってしまっては、事態は悪くなっても良くなることはありませんからね・・・
分かってはいるのですが、これの実践がとても難しいですが。
でもこれも仏道修行の一環と思って、努力してみようと思います。

改めまして丁寧なお返事、ありがとうございました。

柴谷宗叔 様
ご回答ありがとうございます。
僧職の方々が虹色のイベントに参加していただけることは、仏教徒のゲイとしては非常に勇気付けられます。
やはり、怒りは煩悩なのですね・・・。怒るより、もっと建設的なことに専念するように努力して行きたいと思います。
ある意味、差別する人々は、とてもかわいそうなのかもしれません・・・
そんな人たちを相手にするより、私と仲間たちの幸福を優先してゆくよう、努力してみます。

改めまして丁寧なお返事、ありがとうございました。

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