「人を頼る」ために必要な心構えについて
全国の僧侶様、はじめまして。みのうといいます。
早速ですが、人を頼るときに罪悪感がわかないような心構えや仏教的な教え/逸話があれば教えていただけないでしょうか。
今、人を頼ることが怖いです。
自分を変えようと、人を頼ったときに罪悪感が湧いたり、「こんな簡単なことも思いつかないだなんて」と自己嫌悪に陥ったりします。
また、まわりの人を頼っているような人や、私を気楽に頼るような人に対しても頼られたときに「なんでこの人は調べもせずに人に訊くのだろう」と怒りがふつふつと湧いてきます。
人を頼らないと生きづらいのはわかっています。
けれど頼れないもどかしさ…どう自分自身を説得すればよいのかわかりません。
よろしくおねがいします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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頼らない = 自立する とは、違うからね。
頼らずして、生きていくことは出来ない。
頼らない = 自立する とは、違うからね。
ただ、あなたの周りに、なんでも自ら学びもせずに、聞いてくる、頼ってくる、甘えた人がいるのかしら?
そんなときは、またか、自分でなんとかしなさいよ、私にばかり頼らないで、って思う場合もあるよね(^^;
人に頼る、頼む、罪悪感。
ん〜私もあるよ。申し訳ないなぁ、と自分の力不足に情けなくなったりね。でも、それに対して、感謝したり、また自分が成長出来たり。相手にも、頼られる自信になる。
こちらの想いだけでない、相手にも与える影響がありますから。あまり、罪悪感を強めるよりも、こうして繋がるご縁を大切にしましょうよ◎
頼らずして、生きていくことは出来ない。
頼らない = 自立する とは、違うからね。
そうしながら、人は人と関わりながら、生きているんだよ。生きていけばいいのだよ(﹡´◡`﹡ )
私達は既に多くの人に頼って生きています。
食べ物は農家や漁師の方々をはじめ、運送屋さん、お店屋さん、料理してくれる人達。あるいは電気を作ったり、水を作ってくれる人達、服を作って売ってくれる人もいますね。数えきれない人達のおかげで生活しています。
人という漢字が、二本の棒がお互いを支え合って立っている様に、人は支え合って、助け合って、頼りあって生きているのです。
ですから、助けが必要な時はちゃんと誰かに助けを求めてください。
そして、誰かがあなたを助けてくれたら、ありがとうと感謝の言葉をちゃんと伝えましょう。
また、誰かに何かを聞かれた時も、怒らないように気をつけて、何でも何度でも教えてあげてくださいね。
質問者からのお礼
中田さま、三宅さま、
夜遅くに回答ありがとうございます。
うれしくて、有り難し連打しちゃいました。
頼ることについておかげさまで前向きになれそうです。
>中田さま
「頼らない = 自立する とは、違う」というのがとても響きました。
自立しなきゃ、自立しなきゃと言う思いがどこか強すぎるのかもしれません。
自立=頼る=悪という図式が心の奥底で根付いているように感じました。
おっしゃるとおり、自ら学ばずに聞いてくる人が周りに多くいて萎えていました。
そのような人達を見てどんどん自立=頼る=悪の式が心に強く強く埋め込まれたのかもしれません。
人に頼ることで自分が成長したり自身になるというのはというのは目からウロコです。
自分で考えてこそ成長するという思い込みがありましたが実は頼ることで成長することもたくさんあったのかも。
罪悪感よりむしろつながるご縁を大切にするという視線はすごくささsります。
に人に頼るのもまた良さそうです。
頼ることは人との関わり…おかげさまで再認識できました。
>三宅さま
おっしゃるとおり、ライフラインから食料にいたるまでみなさんに頼りっぱなしの生活です…。
そんななか頼らないと言い切るのがなんだかちっぽけに思えてきました。
「人」は支え合っている…人間なのだから支え合う、頼り合うのが本能なのかなとさえ思えてきます。
助けを求めたときに最大限に感謝を自然に言えるようになっていきたいです。
そして損得ばかり見ずに怒らないようにこれから訓練していきたいと思います。