執着と慈愛
お世話になります。
大事な人を亡くし、もうすぐ一年になろうとしています。
毎日のように「今日も元気にしてますか?美味しいもの食べました?楽しく過ごしてください」と空に向かって声をかけ、夜は就寝の挨拶をしています。
ですが、時折、自分が負の感情に覆われてしまっている場合、生前のように「困っちゃったよ……」と弱音を吐いてしまいます。
なるべく弱音や愚痴を口にしたくないので、故人含め友人にもあまり吐き出すことはしないよう努力はしています。
故人には、いつも見守ってくれてありがとうと感謝は伝えていますが、弱音を吐いてしまっているとき、自分のこの寄り添う感情? 気持ち? は、執着ではないかと不安になります。
そんなつもりは一切無いのですが……。
故人には優しく楽しくしていて欲しいです。
私のこのずっと想う心は執着になるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
故人を困らせなければ、たくさん話しかけてください。
こんばんは。亀山純史と申します。
私は一人息子を昨年の2月に、突然死で亡くしました。あと2ヶ月で二十歳になる矢先のことでした。それから1年半以上が過ぎていますが、次のことを心がけています。それは、故人が返答に困るような問いかけはしない、ということです。それは「何で死んでしまったんだ。」「お父さんは、お前がいなくなって寂しいよ。」などです。このような問いかけは、故人からすれば、どう答えていいか困るのではないでしょうか。「何で死んでしまったんだ。」なんて言えば、逆に「ぼくも知りたいよ。」っていう返事が返ってきそうです。そのような問いかけ以外であれば、たくさん話しかけてください。私も毎日、話しかけています。
大丈夫ですよ!
拝読させて頂きました。
先に亡くなられた大切な方々はいつでも私達を見守っていてくださいます。そして私達に寄り添い支えてくださいます。
いつもそのことに感謝しながら手を合わせることも大切なことですね。
そしてもしも辛いことや悲しいことや苦しいことがあってその思いが溢れてきたときにはその思いを心から素直にお伝えなさってください。弱音を吐きたいならばそのままお伝えなさってください。泣きたい時にはそのまま泣きながらお気持ちをお伝えなさってくださいね。
いつ如何なる時でもどこにいても大切な方々はあなたのそのお気持ちをありのままに受け入れてくださいますからね。そしてあなたに寄り添い見守ってくださいます。
私達生きる人間は本当に弱いものです。甘えも弱音も愚痴も出てしまうような愚かなものなのです。
それを仏様やご先祖様方や大切な方々はお分かりなさってくださっていらっしゃるのです。そしてありのままに受け入れてくださるのです。
ですからあなたもありのままにお伝えなさってくださいね、どうか安心なさってくださいね。
仏様もご先祖様方も大切な方々もあなたのお味方なのですからね。そしてあなたを許してくださいますからね。どうぞ心おきなく素直なお気持ちでこれからも様々なことをお伝えなさってくださいね。
あなたがこれからも仏様やご先祖様方や大切な方々に見守られながら心豊かに安心なさって生きていかれますようにとお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
お二方、本当にありがとうございました。
大切に想う気持ちは変わらないのですが、時折甘えたくなってしまうのが、執着となってしまうのではないかと思っていました。
けれど、大切な方々は、ありのままの自分を受け入れてくださるのですね。
本当に有り難く、故人への感謝の涙でいっぱいです。
また、お二方のコメントもとってもあたたかく、心がじんわりと癒されました。
これからも故人を困らせるような語りかけはせず、また困らせるような想いを伝えずに、たくさん話をしようと思います。
別件となりますが、亀山様、ご自身のお辛い体験をお話くださり、ありがとうございました。