『存在証明』と『執着』は切り離せるか回答受付中
◼︎出会って三年目になる大事な相方(外国人)がいます
創作活動をやめようとしたら拙い日本語でファンレターを送ってくれたのがきっかけです
相方とは趣味嗜好・苦手ジャンルがほぼ一致しており僕の気性の荒さにも物怖じせず「何があっても私はあなたから離れない」と語ってくれました
以降相方は毎年来日してくれて一緒に旅行したり創作活動する仲になりました
僕の障害について理解できないなど紆余曲折あり、恋愛対象として付き合うことはできないもののそれでも大事な相手です
しかし最近相方がなかなかLINEの返事をくれません
この前来日したときも行きのチケットの写真だけ載せて数日未読スルーされたので事故や事件を心配しました
また海外専用SNS?をつかい母国語でのやり取りは頻繁にしていました
相方は日本語の読み書き・話がそこそこできますが僕は相方の母国語があまりわかりません
その違いもあるかもしれないけど目の前に僕がいるのに画面に夢中な相方を見て寂しさと嫉妬が芽生えました
解離性人格障害・副人格の『僕』は仕事を辞めてから誰かと話す機会がなくなり、存在証明が不足し『自我』を認識することができなくなりつつあります
相方はこの障害を理解できません(僕が主人格でないことが不満だそうです、この件は記憶から抹消され話すこともできません)
相方の未読スルーも堪えており「僕は存在しない方がいい」と思い始めています
他の人格や友人に必要とされても相方に必要とされていないのであれば意味がない・と考えてしまいます
例えるなら成仏するつもりだった霊を「もっと一緒にいたい」と引き留められた結果、執着し地縛霊になったような感覚です
相方は今年はあと二回来日するそうです 一緒に遊んだり旅行することになると思いますがその予定の相談すらままなりません
一言でも返事がほしい、そうしないと人格が消えてしまう、と伝えられないのが苦しくて(何度か伝えても未読スルーされるので送信を取り消しています)今までの創作物を削除・非公開にしていくという身辺整理&自傷を行っています
相方への『執着』、相方からの『存在証明』、全ての基準が相方になっている現状をどうにかしたいです
新しく友人を作る方面ではなく『心の持ち方・気のありよう』についてアドバイスが欲しいです
お願いいたします
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どうにかしたい と思えた事に感謝です。
内容拝読いたしました。
Jikaiと申します。
もともと、出来ていたことが出来なくなる
今まで当たり前であったことが、当たり前でなくなる
そこにあったものが急になくなる
私たち至らない人間はついつい上記に挙げたような『状況の変化』に心が右往左往したりすることが多々あります。私もいまだに迷いながら生きている1人です。
そこで
ゆうどくさんがおっしゃられた
相方への『執着』、相方からの『存在証明』、全ての基準が相方になっている現状をどうにかしたいです
この言葉に私は光を見ました。
それはなぜか?
既にあなたは『どうにかしたい』と思えている。これはもう解決への道を歩み出しているということです。
あなたが『問題』と認識した時点でそれはもう『問題』ではないです。
実は、あなたが問題じゃないと思っていることがこそが実は問題だったりするのが人生。
あなたは既にご自身で『変わりたい』と御心で思ったからこそ、ハスノハへ質問を書き込むことが出来た。
その事が、『どうにかしたい』という目標に向けての大きな一歩です。
◯◯のように考えたらいいですよ
という言葉は軽々しくゆうどくさんへ送る事ができませんがきっと、ゆうどくさんにはこの言葉の意味が伝わってくれるものだと私は信じております🙏✨
仏教では 物事は常にうつろいかわるものと考えます。
あなたが今感じている感情も悩みも葛藤も、一生そのままということは100%ございません。
そのモヤモヤや葛藤をすぐに答えを出そうとせず、噛み締めて味わってみるのも人生の醍醐味のひとつかもしれませんね💡✨