高齢の母に優しくできない私
私は現在、自分の母と二世帯で暮らしています。
母は3年ほど前から物忘れが進み、前の日に用事で出かけたことや、次の日に出かける予定などを忘れてしまいます。
特に、習い事など自分が行く予定になっていることを、その前の日になると忘れて、「カレンダーに○○って書いてあるけど、これ何かしら。」と聞いてきます。
そこで私が、「明日は○○に行くことになっていたでしょ。」と言うと、「えっ、そうなの。どこへ行けばいいの。」と場所を聞いてくるので、今度は場所を教えます。
でも、そのような場合、明日○○をしに行く、その場所はどこそこである、ということを、母はなかなか理解できません。
その時教えたことを5分後にまた聞きにきます。
そして、また教えます。
それを何度か繰り返すうちに、私はいくら口で教えても忘れるから、紙に書いたものを渡して読んでもらおうと考え、習い事の場所への行き方を書いた紙を渡し、その内容を読み上げます。
しかし、またしばらくすると、「○○ってカレンダーに書いてあるけど、何かしら。ここへはどうやって行くのかしら。」と聞いてくるので、また教えて行き方を書いた紙を渡します。
けれども、それがその後もさらに続く場合、私はたいていの場合、母に対して怒ってしまいます。
「さっき行き方を書いた紙を渡したでしょ。あれを見て、自分での良く思い出してよ!忙しいから、もう来ないで!」と怒鳴ってしまいます。
そういうと、そのあとは母は聞きに来なくなります。
そして、私は怒鳴ってしまったことを後悔しますが、また同じことが起こると、また同じように反応し、同じように怒鳴ってしまいます。
しかし、次の日になると、前の日に何度教えてもわからなかったのがウソのように、母は目的の場所に一人で出かけていき、無事に帰ってきます。
だから、わからなくなるのは前の日だけなのですが、私は何度も同じことを聞かれるのがどうしてもいやになり、母に対してきつい言い方になってしまいます。
このことに限らず、母が私に対して、「何にもする気になれない、生きているのが嫌になった」などと泣き言をいうときがあり、私は「そんな話は聞きたくない。止めてよ!」などと怒ってしまいます。
いずれにしても、母に優しくできない自分です。
お叱り等、ご助言いただけたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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怒りよりも辛いのでは
高齢になると 大なり小なり誰でも
物忘れ(認知症状)が出てくるものです
出来ていたことが できなくなって
なぜ どうしてと いたたまれない感情が
怒りという形を取るのでしょうね、
本当は こんなハズでない 悲しい
変化する母を受け入れるのが辛いのではないですか
でもね
一つずつ できないことが増えていく
本人が もっと不安で辛いのですよ
不安で何度も確認してしまうのです
認知症サポーターなど沢山学ぶ場所はありますので
物忘れや認知症について学び 対応の方法を知ると
カモメさまも 上手にお母様に声かけができるのでは
ないかと思います。
大丈夫 カモメさまは対応の方法を知らないだけですよ
質問者からのお礼
ご助言をいただき、ありがとうございます。
私はまだ母の現状を認めることができていないのだと思います。
どうしてこうなってしまったのか、と考えて、こうでなければよいのに・・・、とつい思ってしまいます。
でも、おっしゃられているように、一番つらいのは母本人なのですよね。
そのことも、頭ではわかっているつもりでも、母と面と向かっているとつい忘れてしまいます。
対応の方法を知り、できるだけ穏やかな声掛けができるようになれたらと思っています。