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人生の選択ミスが多いけど何も学べない

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よく人生の選択ミスは、縁だとか其処で学べば状況は変わるとか何とか仏教で言われますが私は何ら状況は変わらないどころかその選択ミスのせいで人生が最悪になっていっています。

友人や親戚や幼馴染やらなんやらが私のアイデンティティを出すときにはその選択ミスの人生の失敗に対していつも投げかけられます。
なんであんな選択をしたの?なんで今そんな選択してるの?なんでやりたく無いことをしてるの?

などなど。

私のこの選択ミスのせいで、友人からはバカにされ徐々に疎遠になり(人は心理学的に自慢できる友人が欲しい)、選択ミスに対して見下した態度になり彼女には振られ(生物学的に失敗するような弱い男性にはそもそも惹かれない)、家族からは毎日疎まれる日々。

そしてやりたく無い事を一生懸命にやり、人生に対して一生懸命考えても縁とかもなく結局やりたく無いものはやりたくなく、あの選択ミスのせいでと過去を毎日毎日毎日反省しています。

私の友人は私が捨てた選択で楽しく私よりも更に素晴らしい生き方で最高の人生を歩んでいます。
なんで選択を私の道を捨てたんだろうと激しく後悔しています。

私にとっては人生後悔して、こんなやりたく無い事をやり、人から見下される為に生きるのが縁だったのでしょうか?
それって無残にも特攻してアメリカ軍の船でチリや藻屑となり亡くなった人達と同じで苦しんで後悔しながら自殺して死ぬ事が私の縁なのでしょうか?

未来にかけるといいましても未来にかける為のキーがそもそも選択ミスのせいで無くなっています。
もはや絶望しながらオッさんになるまで死ぬほどつまらない仕事をやり、孤独の中、みんなにバカにされながら、選択ミスの負債を抱えて生きていくのが私の生まれてきた意味なのかと思うとやりきれなくなります。

過去の後悔や選択ミスから何も学べません、何を学ぶのでしょうか?
少しでもミスると人生崩壊するよ?という事でしょうか?
仏教的には人生崩壊したらそのままそれを仕方ないとか諦めるのでしょうか?

捉え方とかそういう問題じゃ無いでしょうに。
苦しいもんは苦しいし、やりたく無い仕事はやりたくない。孤独は嫌。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

激しい怒りから脱する

人生には苦痛が必ずあります。
長距離走の選手は、試合でも練習でも、倒れる寸前まで身体を追い込みます。
しかし、彼らはそれを不幸と思っていない。
人は、自分で納得して向かっている苦痛には、激しい怒り(嫌だ・悲しい・むかつく)を感じないのです。
怒りを感じているとき、人は不幸を感じます。

そして、人は、何かに心が集中したときに、怒りの感情から冷めることができます。
心に浮かんでくる怒りの感情に、自分からのめりこまず、別のことに意識を集中すればよいのです。
たとえば、口で「あいうえお」と言いながら、同時に心で「12345」と念じてみましょう。
口業と意業を同時に使うのです。
それを何回か連続でやってみましょう。
口の「あいうえお」を連続するのはできますが、心の「12345」を途切れさせないで(雑念を挟まないで)続けるのは、難しいですよね。
雑念に意識が飛んでもかまいません。
すぐに「12345」に戻す。
これには、脳の前頭葉(理性)をかなり使いますから、あまりやりすぎると頭痛を感じる場合もあります。
それだけ、普段使いなれていない理性(感情制御)を使用したのかもしれません。
とにかく、雑念に飛んでもまた意識を戻す、妄想に飛んでもまた戻す、という感覚をつかみましょう。
怒りの波にザブンとさらわれた自分が、安全な橋の上に瞬間移動できる。
何かに心を集中するのは、そういう効果があります。

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