何をしたら自分が喜ぶのか分からない
なぜだか、楽しいであろうことをしたり、人に優しくされたりしても、嬉しさを感じません。
まさに楽しいことをしたり優しくされている瞬間には、確かに笑顔になったり、感謝の言葉を口にしたりするのですが、それを俯瞰しているもう一人の無感動な自分がいるような感じがしています。
笑顔や感謝は、ただの演技で、本当の自分は無感動な方の自分であるような感覚です。
確かに嬉しいはずなのに、何か大切なものが決定的に欠けていて、喜び切れていない、満足を感じきれないような、何かを我慢しているような感覚がつきまとっています。
まとまりのない文章で本当に申し訳ないです。
私が質問したいのは、自分がなにを求めているのか、それをどうすれば知れるのか、ということです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あまり追いかけない方がいいですよ
>それを俯瞰しているもう一人の無感動な自分がいるような感じがしています。
それを仏教では煩悩と言います。詳しくはこちら↓
https://hasunoha.jp/questions/20174
リンクのご質問とは加熱する方向と冷ます方向で逆のように感じられるかもしれませんが、向きが陽か陰か、東か西かで違うだけで、本質的にやっていることは変わりません。
あと、リンク中にブラックについて言及しました。ひょっとしてかなりお疲れではありませんでしょうか?
例えば『趣味だったことをしても楽しく感じられない』というのに当てはまれば、それは典型的な鬱病の症状の1つかもしれません。鬱病まではいかなくとも、そういった傾向があるのかもしれませんね。ネットで色々な心のチェックシートを試してみて、必要そうなら早めに専門の医療機関で診てもらうことといいでしょう。
いずれにせよ、その症状自分の本質だと誤認して深みに入り込まないことが大切です。それは言わば心が風邪を引いているようなもので、風邪の症状のようなものだと思われます。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
確かに疲れてるのかも知れないですね。しばらく心を休めることに集中してみようと思います。
今の状態が自分の本質ではないと言っていただけるだけでも少し楽になりました。