母を亡くしてから
一人っ子で、親友のようで姉妹の様で、何もかも包み隠さずに話をし、何もかも受け止めてくれていた、世界で一番私の味方であった唯一無二の母が亡くなり一周忌を終えました。
亡くなった直後から、必死で仕事に打ち込み、いつも以上に活動的に動き、でも朝起きてから眠るまでずっと頭の中に母が亡くなった、母がいない、、、ということを抱えながらこの1年やってきました。
笑うことも出来ます。ですが、何をしても嬉しいことがあっても、いつも真っ先に話していた、喜びを分かち合っていた母がいません。お墓まいりや、仏壇に手を合わすこともしています。ですが、人はやがて居なくなるのに何故生きるんだろうか…と。虚しさに襲われる時があります。疲れ果て、全て投げ出したくもなります。
父と子供はいます。
ですが、母との関係性の分かち合うということは出来ません。パートナーにも巡りあえません。ただただ、必死に生きているつもりです。真摯に仕事を頑張っているつもりです。
ですが、この心の痛みと穴は、塞がるのだろうか。何かにすがりたい。支えが欲しい。私を受け止めて欲しい。亡くなった直後とは形を変えた苦しみがじわじわと毒の様に効いて来ている感じで、乗り越えたつもりがたまに後を追いたい気分にさえなります。
はぁ。
一枚ガラスを隔てたような、視界や、一枚ベールを被ったような心は蘇るのでしょうか。今は、何もかも、ああ、母に一番に伝えたかったなぁ、見せたかったなぁ、という気持ちばかりでとにかく虚しく辛いです。
自分が崩れるのが怖く、1年、その気持ちに蓋をしてきた気がします。
拠り所が自分でなくてはいけないのでしょうけれど、拠り所が欲しい。偶像崇拝する対象が欲しい。子供だましでも、これさえ持っていれば大丈夫というような私だけのお守りや何かがないか?探したりしてしまいます。
今の命を与えてもらい、大事にしてもらったことに感謝して今生きていられることを大切にしなくてはということは十二分に分かってもいます。
でも、寂しいです。
今の状況を客観的に見て頂きアドバイス頂けたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これからもお母様と共に
拝読させて頂きました。
あなたは今お母様を亡くされた喪失感や悲しみの中にいらっしゃるでしょうからどうしてもそのことにとらわれてしまっていらっしゃるのでしょうね。
お母様は今でもあなたを片時も忘れることなくお見守り続けていてくださいます。
あなたとお母様とのご縁は永遠に続くのですからね。
あなたがさみしい悲しいと思っておられることをいつも気にかけていらっしゃるでしょう。
ですからこれからもお母様に手を合わせながらあなたのそのお気持ちをそのままお母様に心からお伝えなさってください、悲しみは尽きないかもしれませんけれどもその思いも含めて素直にお母様に心からお話なさってください。
お母様はあなたのその思いをそのままにしっかりと受けとめてくださいます。そしてなぐさめ寄り添ってくださいます。
死は人を分かつものではありません。
私達はいつも親しい方々や大切な方々とつながっているのです。
お母様はあなたがこれからも一生懸命に生きていかれることを喜びあたたかく見守り支えてくださいます。
あなたがこれからもお母様や多くのご先祖様方や大切な方々に見守られながら皆さんと一緒に仲良く心穏やかに生き抜いていかれますようにと心からお母様にお祈りさせて頂きますね。
いつもあなたはお母様と共に生きるのですからね。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
悲しい気持ちに蓋をしていましたが、
少しその辺りの気持ちを緩めてみようと思います。