hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

慈悲の心を身に付けるにはどうしたら良いですか?

回答数回答 2
有り難し有り難し 27

質問させて頂きますハルソラと申します。

仏教の学びから、観音さまの慈悲の心に感銘を受け、慈悲の心を身に付けたいと思っています。

しかしながら現実の私の行動を鑑みるに、慈悲を実行できてるとは到底思えません。

それは慈悲に対して、概念的な理解だけにとどまり、エゴ(自己中心的な考え)を離れる事が出来ないためだと考えています。

とある座禅会に参加した際に、和尚さんにそれを質問したところ
「体験を通して学ぶことです」
という有り難いお言葉を頂きましたが、何をどう体験すれば良いのか分からず進歩がありません。

慈悲の心を身に付けるための体験とはなんでしょう。

また考え方の上の事でも構いません。慈悲を身に付けるためのご教授よろしくお願い致します。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「智慧」と「慈悲」

ハルソラ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

先ほどに下記問いにても「慈悲」につきまして回答をさせて頂きました。

問い「「慈悲」は人によって全く違うのか」
https://hasunoha.jp/questions/29812

この中でも言及いたしておりますように、「慈悲」と「智慧」は仏教における車の両輪の如し、鳥における双翼の如しであり、両者を並行して修習していくことが望まれます。

「慈悲」の心を養うことは、菩提心として、この輪廻の迷苦にあるものたち全てが、やがて救われるようにとしての実践を目指すために大切なところとなります。

例えば、私たちの場合、その実践として、供養、功徳のどんなものでも、最終的に「普回向」を行うことなどとなります。

普回向「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に、仏道を成ぜんことを。」

最初はそういうものなのか、と考えて実践しているところから、最終的には、自然に、一切衆生の平等の済度へと向けて、行住坐臥、全ての行いを調えられているということが望ましいものとなります。

また、その慈悲については、「智慧」の裏付けも必要となります。「智慧」とは、簡単には「空性の理解」のこと。空の理解が高まれば高まるほどに、慈悲のレベルもアップしていくというところとなり、その智慧と慈悲による功徳が、尚、両者をレベルアップさせていくための糧にもなっていくのであります。

特におっしゃられている「エゴ」を退治するためにも「智慧」は欠かせないところとなるのであります。是非、「空」の理解についても取り組んで頂けましたらと存じます。

とにかく、両者を仏道にてバランス良くに調えて参りたいものとなります。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

お二方のご回答拝読させて頂きました。

柳原さま、ご自身の体験を踏まえてのご回答おそれいります。
辛いこと、苦しいことの実体験を他者への理解に繋げていくということですね。

川口さまのご回答の「空性の理解」ももっともだと思います。
「空」になるとは自身(エゴ)が消えること。自身が消えると、自と他の区別もないから、他人に対して自身に接するのと同じように慈しめる。と言ったところでしょうか。

ご回答大変参考になりました。ありがとうございます。

「仏教における慈悲」問答一覧

無償で人を助け続けることについて

はじめまして。 無償で人の要求に応え(助け)続けることとは、仏教的には何なのか、続けることに嫌な気持ちを持つ理由は何なのか、嫌になった場合はどうしたら良いのか、などお話伺いたいです。 きっかけはバイトです。 現在北欧に住んでおり、仕事はレストランでのバイトです。バイト先にはジプシーが大抵1日3人ほど来ます。 ジプシーとは、道で物乞いをするホームレスのような人々のことです。ヨーロッパで多く見かけられ、北欧にもいます。 彼らは決まって「カップとお湯をくれ」と横柄な態度で要求してきます。 私の何人かの同僚は、一切断っています。 理由は、1人の要求に応えると他のジプシーがどんどん来てお店がお客さんとジプシーで忙しくなるから、とのこと。 他の同僚と私は、たかがお湯を渡したところで減るものは無いし(店としては、カップ代の損失)、無銭でご飯を要求されているわけでも無いので、毎回要求されたら渡してきました。これで誰かが助かるなら渡した方が良いし、渡さないのは冷たいとも思ってました。 しかし、繰り返されるごとに段々嫌な気持ちになるようになりました。 お店が忙しいある日、1人のジプシーがいつも通り要求してきました。彼は2つ欲しいと言いました。ただでさえ忙しくてイライラしてるところに、嫌だなと思い始めてたジプシーの要求が来て、私は腹が立ちました。この怒りから早く解放されるために、彼に早く帰ってもらいたくて、私は2つお湯を渡しました。 ところが続けてまた別の1人のジプシーがお店にやって来てお湯を要求してきました。私の苛立ちは更に悪化して、お湯が無くなったと嘘をついて彼に早く立ち去ってもらおうとしました。 しかし彼はもらうまで帰ろうとしませんでした。なぜなら、前のジプシーが2つももらってるところを見たからです。 結局別のスタッフにお湯が無くなったことを説明してもらい、彼に帰ってもらいました。 なぜ私は、人助けを段々嫌になっていったのか、なぜある人は助けてある人には怒ったのか、自分の人助けへの感情や思考がわからなくなりました。お湯をあげる行為は1分で済み、それ以外の損害は私にはありません。 仏教的に、人助けとは何なのでしょうか、そもそも助けるという考えが誤っていますか。私の感情や思考方法について何かヒントがあれば教えてください。 最後までお読みいただきありがとうございました。

有り難し有り難し 28
回答数回答 2

慈悲の心を持つためには?

私は精神に病気を持ち、人生で2度の自殺を経験しています 生きる意欲がわいてこないというわけではなく、食べていくために働かなければならないということが受け入れられず、死のうとしました それはすでに自分の中で消化しすでに悩みではありません 問題は、食べていくために嫌な仕事をひたすらやり、その姿勢から同僚や上司をとても苦しめてしまったということです 今はその仕事をやめて無職ですが、以前人を苦しめてまで生きていた頃の自分を思い出すと、とてもやるせない気持ちになります 生きていくために仕方がない、それで周囲を傷つけてしまった こんなことなら死んでいたほうがはるかにましかもしれない、そういう道もあったんだと考えています 今は生きることに迷いもなく、死んでいくことも怖くはありませんし、私はあの世を信じていないので裁かれる心配もありません ただ、どうしても昔の自分の生き方に後悔を持って、今はそれに苦しんでいます 仮に因果応報が私の身に降りかかったとしても覚悟をして生きているので素直に裁かれるつもりはありません ただ、覚悟だけを頼りに生きると周囲の人にも覚悟を求めてしまい以前の自分と何も変わりません 自分は十分に傷ついたと思いますが、それを優しさに変えることができません 慈悲の気持ちを持つにはどうすればいいでしょうか?

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

間違った教えの見分け方

前回の質問の回答が、よく分かりませんでした。 (※特定の宗教団体に関する書き込みがあったため、質問は削除されたみたいです。) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー Q「慈悲」は人によって全く違うのか あるお坊さんの問答にて1 「私は仏様の存在を感じることが出来ます。けれど、周囲にこの話をしても誰も信じてくれません」という人に対し、お坊さんはこう言いました。「それはとても悲しいことですね。その人はかわいそうな人です。地獄に落ちるように祈ってあげましょう。それも慈悲なのですよ」と。 別のお坊さんの問答にて2 「過去に人からされたことで苦しんでいます。どうすればいいでしょうか」という人に対し、お坊さんはこう言いました。「自分は遥かに優れていて、相手は可愛そうなのです。そのように見てあげる慈悲の心を持ちなさい」と。 どちらも実在するお坊さんの問答です。 慈悲とは何でしょうか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この回答で、 「そのお二人のお坊さんの言葉は慈悲の間違った使い方だ」 というご意見と 「この言葉・表現により、仏の悟りが具体的にその人にはたらくならばそこには「慈悲」があるのです。「その人の」ではなく「仏の」慈悲です。」 というご意見がありました。 双方、慈悲についての説明があり、仏教にとって「智慧」と「慈悲」はとても大切なものなのだと知りました。 しかし、間違いないのか間違いではないのか分からないまま終わりました。 非仏教徒である私や詳しくない人は、例に挙げたような話をされると、言葉通りの意味=仏教でいう慈悲なんだと信じてしまいます。 間違っているのでしたら、どのように間違っているか。 どのように見分ければよいのでしょうか。 仏教に無知な私にも分かるように教えてください。 お願いします。

有り難し有り難し 25
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ