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慈悲の心を身に付けるにはどうしたら良いですか?

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質問させて頂きますハルソラと申します。

仏教の学びから、観音さまの慈悲の心に感銘を受け、慈悲の心を身に付けたいと思っています。

しかしながら現実の私の行動を鑑みるに、慈悲を実行できてるとは到底思えません。

それは慈悲に対して、概念的な理解だけにとどまり、エゴ(自己中心的な考え)を離れる事が出来ないためだと考えています。

とある座禅会に参加した際に、和尚さんにそれを質問したところ
「体験を通して学ぶことです」
という有り難いお言葉を頂きましたが、何をどう体験すれば良いのか分からず進歩がありません。

慈悲の心を身に付けるための体験とはなんでしょう。

また考え方の上の事でも構いません。慈悲を身に付けるためのご教授よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「智慧」と「慈悲」

ハルソラ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

先ほどに下記問いにても「慈悲」につきまして回答をさせて頂きました。

問い「「慈悲」は人によって全く違うのか」
https://hasunoha.jp/questions/29812

この中でも言及いたしておりますように、「慈悲」と「智慧」は仏教における車の両輪の如し、鳥における双翼の如しであり、両者を並行して修習していくことが望まれます。

「慈悲」の心を養うことは、菩提心として、この輪廻の迷苦にあるものたち全てが、やがて救われるようにとしての実践を目指すために大切なところとなります。

例えば、私たちの場合、その実践として、供養、功徳のどんなものでも、最終的に「普回向」を行うことなどとなります。

普回向「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に、仏道を成ぜんことを。」

最初はそういうものなのか、と考えて実践しているところから、最終的には、自然に、一切衆生の平等の済度へと向けて、行住坐臥、全ての行いを調えられているということが望ましいものとなります。

また、その慈悲については、「智慧」の裏付けも必要となります。「智慧」とは、簡単には「空性の理解」のこと。空の理解が高まれば高まるほどに、慈悲のレベルもアップしていくというところとなり、その智慧と慈悲による功徳が、尚、両者をレベルアップさせていくための糧にもなっていくのであります。

特におっしゃられている「エゴ」を退治するためにも「智慧」は欠かせないところとなるのであります。是非、「空」の理解についても取り組んで頂けましたらと存じます。

とにかく、両者を仏道にてバランス良くに調えて参りたいものとなります。

川口英俊 合掌

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質問者からのお礼

お二方のご回答拝読させて頂きました。

柳原さま、ご自身の体験を踏まえてのご回答おそれいります。
辛いこと、苦しいことの実体験を他者への理解に繋げていくということですね。

川口さまのご回答の「空性の理解」ももっともだと思います。
「空」になるとは自身(エゴ)が消えること。自身が消えると、自と他の区別もないから、他人に対して自身に接するのと同じように慈しめる。と言ったところでしょうか。

ご回答大変参考になりました。ありがとうございます。

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