正しく生きるということ
何度も間違え、その度に成長しようとしてきたはずなのに今になって振り返ってみても何も成長できていなかったのです。今までの反省を元に頑張っても何年かしてまた後悔するんじゃないか、と思ってしまいます。
正しく生きたかったんです。でも正しく生きようとしているのに正しく生きるということがどういうことなのかわかりません。
過去を振り返ってもどうにもできないことは分かってます。でも思い出しては毎日生きるのが苦しくなっています。
ずっと親を憎んできました。でも違ったんです。私が親を大事にしていること、親が私を大事にしてくれていたことに気付けなかっただけでした。
周りの人たちは誰も私を傷つけません。みんな良い人ばかりで本当に恵まれています。私を傷つけているのは私なのです。
自分の陰と陽を受け入れることが大事と言いますが陰の部分はどうやって受け入れるのでしょうか。
なんだかめちゃくちゃな文章になってしまいました。どうかお助け下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今風『般若心経』だそうだ。
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。もっと力を抜いて楽になるんだ。苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ。安心しろよ。この世は空しいモンだ。痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。この世は変わり行くモンだ。苦を楽に変える事だって出来る。汚れることもありゃ背負い込む事だってある。だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。この世がどれだけいい加減かわかったか?苦しみとか病とか。そんなモンにこだわるなよ。見えてるものにこだわるな。聞こえるものにしがみつくな。味や香りなんて人それぞれだろ?何のアテにもなりゃしない。揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。それが『無』ってやつさ。生きてりゃ色々あるさ。辛いモノを見ないようにするのは難しい。でも、そんなもんその場に置いていけよ。先の事は誰にも見えねぇ。無理して照らそうとしなくていいのさ。見えない事を愉しめばいいだろ。それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
『正しく生きるのは確かに難しいかもな。でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。』
菩薩として生きるコツがあるんだ。苦しんで生きる必要なんてねえよ。愉しんで生きる菩薩になれよ。全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな。適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。勘違いするなよ。非情になれって言ってるんじゃねえ。夢や空想や慈悲の心を忘れるな。それができりゃ涅槃はどこにだってある。生き方は何も変わらねえ。ただ受け止め方が変わるのさ。心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。この般若を覚えとけ。短い言葉だ。意味なんて知らなくていい。細けぇことはいいんだよ。苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる。そういうモンなのさ。今までの前置きは全部忘れても良いぜ。でも、これだけは覚えとけ。気が向いたら呟いてみろ。心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』心配すんな。大丈夫だ。
だれが作ったのかは知りませんが、ちょっと前に有名になった『般若心経』の現代語訳です。何か、あなたの日々の生活の一助になってくれれば。拝
持ち回りんぐ
『間違ってはいけない』
そんなこだわりをポイっと捨てちゃいましょう。
それが『正しく生きる』ということです。
誰だって間違う。だから後悔し、反省できる。
誰だって間違う。だからきっと私の後の人たちも間違う。
その時は自分の親のように大事にしてあげよう。
誰だって間違う。だから他人を傷付けずにいられる。
だから親御さんやまわりの人を見習い、次世代に同じようにしてあげましょう。
人生の先輩がたからお預かりした優しさを次世代に渡してあげる。それが何よりの恩返しであり、罪滅ぼしであり、『正しく生きる』ということだとお坊さんは思いますよ。
「八正道」
群青様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「正しく生きる」とは、色々な見方や価値や意味によって見い出し得るところであり、「これが正しい」と絶対的に言えるようなものはあり得ないところとなります。
ただ、仏教としては、と限定ではありますが、述べることはできます。
仏教的に正しい生き方とは、悟り・涅槃へと向かう生き方となり、その典型としては「八正道」というものがございます。
詳しい解説はウィキペディアを参照に。
https://ja.wikipedia.org/wiki/八正道
人間に陰の部分があるのは仕方がありません。善業もすれば、悪業もしてしまうものです。最初から何も完璧完全を目指す必要はありません。
しかし、仕方ないとして諦めてしまっては、何らとして前進もしません。
反省、慚愧、懺悔もしつつに、少しでも悪業を成さずに、善業に努めていけるように調えて参りたいものとなります。
そのためにも是非、仏教を実践していって頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
転落院 様
はじめまして、この度は質問に回答してくださりありがとうございました。
般若心経はこういう感じなのか…と思い、詳しく意味を調べてみました。
「正しく」より「明るく楽しく」生きていけるよう自分を改めたいです。
大慈 様
はじめまして、この度は質問へのご回答ありがとうございます。
ずっと間違ってはいけないと思って生きてきましたが間違うことはダメではないのですね。自分も周りの人たちも許したいのに許せなくてずっとつらかったんですが「自分の親のように大事にしてあげよう。 」という言葉にハッとさせられました。
川口 英俊 様
はじめまして、この度は質問に答えてくださりありがとうございました。
「八正道」はじめて聞いた言葉でしたので調べてみました。自分の気持ちに気付き、善い行いを心掛けてこれからを生きていきたいです。