自分に自信が持てない。苦しみから解放されるにはどうすれば?
お隣さん夫婦とちょっとトラブルがありました。(詳しくは個人特定のおそれがありますのでここにはかけませんが…)
相手に過失があるのですが、相手から謝罪の言葉は一切なく、それどころか全く別の案件に話をすり替えて、その事で逆にいいたてられました。
頭を下げ、努めて円満に話が終わるように、低姿勢で話をしました。心の中ではなんで私が頭を下げなきゃいけないの?と、思いながら…
主人からは、明らかに相手に過失があるのだから、今回のことに関して毅然な態度でいれば良かったのに…といわれました。
今の所に住み初めて10年が過ぎようとしています。お隣さんとの関係も上手く行くように挨拶したり、おすそわけ持ってったり、心が顔にでるかも知れないからと、悪い人と思わないように…と努めてきましたが…いざこざがおきるたび、嫌になります。
昔から、自分に自信が持てずに生きてきました。自分が悪くないことも、裏の裏の裏を考え悩み、結局非がないことも謝ってしまったりすることが、子供の頃からありました。
もういい年なのに、こんな自分が嫌です。
もっとしっかりしなければ!と思うばかり。
母親になれたら、もっと強くなれたのかな。
自分に甘い性格がいけないのかな。
心の中で自分に対する嫌な気持ちが膨らむばかり。
死にたいとさえ思うこともありました。
でも、私の死にたいは、生きたいってことなのだと思います。
自分の心を上手くコントロールができない今の自分が、本当に嫌になります。
なんとか気持ちを立て直したいのです。
笑顔で、前向きに、自信もって自分の人生を生きたいのです。
支えてくれる主人のためにも、こんな自分でいたくない。
じゃないと、この先、生きるのが辛いです…
こんな私でも、強くなれますか?救いのお言葉を頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【雪に耐えて梅花麗し】
梅花さん
ご質問読ませていただきました。
気持ちを立て直したい、前向きにを自信をもって人生を生きたいと
強く思われているんですね。
解決するヒントは「梅花」さん、あなたのお名前にあります。
梅花さんのお名前を見てこれだと思いました。
タイトルに書いた
「雪に耐えて梅花麗し」は
私の大好きな元広島カープ黒田投手の座右の銘でもあり、
これまた私の大好きな西郷どんが甥っ子に向けて詠まれた言葉です。
梅の花は、寒い冬を耐え忍ぶことで、春になれば麗しく咲く
人生の厳しさ苦しさに負けることなく、
ただひたすら自分を信じ
努力を怠らずすすめば必ず花開く
ということで
試練や苦難を耐えて乗り越えれば、必ず強くなれるという例えです。
この言葉を座右の銘にされた黒田さんの野球人生は、
この言葉を見事に表され、多くの方に感動を与えてくれました。
仏教では、私たちの人生は苦しみの多い人生と言われます
決して楽して幸せにはなれませんし、
もちろん何もせずにお金が入ってくる訳でもありません。
私たちのこの人生では、苦しみから耐える「忍耐」が不可欠だということです。
自分に自信を持ちたいということです。
自信を持つということは
そのまま自分を信じるということです。
自分を信じるということは、
自分を信じることができるためにはそれだけの努力が必要です。
強くなるためには自分の弱さを受け入れることも必要です。
梅花さん。
文章から察するに、周りに余りにも気を使いすぎじゃないですか?
梅花さんが何か行動を起こすとき、
「相手からこう思われたらどうしよう」と、
周りの目や評価を気にしていませんか?
梅花さんが思っているほど、周りはあなたのことを気にしていません。
周囲の目なんて気にせず、まず第一に自分の「心の声」を優先して行動すれば良いのです!
まずは自分がどうしたいのか、
自分の心としっかりと向き合って自分に正直に生きてください。
そして自信を持てるようになるための努力も怠ってはいけません。
梅花さんの人生に、麗しい梅の花が咲くことをいつまでも応援しています。
【追記】
梅花さんもカープ好きとのこと。
ご縁ですね。とっても嬉しいです。
一緒に応援しましょう!!
もちろん梅花さんのことも応援してます!
また何かあればいつでも仰ってくださいね。
布施
お隣さん、面倒な人ですね。
過失があるにもかかわらず、謝罪もしないどころか話をすり替え攻め立てる。
要するに、苦情を伝え、逆切れされ、謝罪したということですね。
悔しいですね。
なんで自分はいつも・・・と思いますね。
ただひとつ。
あなたが、低姿勢でいなければどうなっていたでしょうか。
相手は大変な人。
恐らく、無用なトラブルが頻発していたのではないでしょうか。
今、曲がりなりにも円滑にお隣さんと生活できているのは、ひとえにあなたのその思考そのものです。
頭を下げるという事は、相手に施しているのです。
誰だって頭なんか下げたくありません。
だから施しなのです。
仏教ではそれを布施と言います。
双方が主張すれば、最終的には争いに発展します。
だからこそどちらかが、頭を下げれば争いにはなりません。
それは、どんどん布施をしなさいって意味ではありません。
ただ、お隣さんのように、自分の意見ばかりを押し付けていては、いずれどこかで争いに巻き込まれることになるでしょう。
といって、人間頭を下げてばかりも悔しいですね。
ハイハイ布施しますよ~なんて平然と思ってなんかいられない。
だから、自分に腹を立ててもいい。
それで自然なのです。
そのうえで、また頭を下げるようなことがあれば、相手に施したんだ、善き行いをしたんだと、イライラしながらも思っていただければと思うのです。
こんな自分でいたくない。
でも、こんな自分だからこそ、人に与える人生を生き、争いのない人生を生きておられるのではないか。
少なくとも私は、そう思います。
私たちは、「自分に非があっても謝る」という術を心得ている
こんにちは。亀山純史と申します。
世の中には、ズバッとモノを言う人がいますよね。傍から見ていると、気持ちのいいものです。よく、〇〇のご意見番、なんて評される人がそうですよね。「あぁ、自分もあんな風にモノを言うことが出来たらいいのに。」と自分の自信のなさを実感することもあります。しかし、実は、私たちは自信が無いのではなく、「自分に非がなくても謝る」という術を心得ているのではないでしょうか。それは自分のことにとらわれるのではなく、相手との関係性を第一に置いた対応なのだと思います。
もちろん、はっきりと自己主張をするときも必要でしょう。でも、それによって失うものもあるかもしれません。それを私たちは無意識のうちに感じ取り、自分が下がる姿勢を取るときもあるのだと思っています。
ご相談のようなことは、決してあなただけのことではありません。前向きに生活をしていきましょう。
質問者からのお礼
亀山様
「自分に非がなくても謝る」という術を心得ている、確かにそうですね☆
そうしないと、事態は更に悪化していたかもしれません。
悔しい思いはしましたが、どこにいてもこういう揉め事はあるものなのでしょうし、今は落ち込んでいますが、また前を向けるように頑張ってみます。
ありがとうございました。
海老原さま
そうなのです、『逆ギレ』まさにそれです。
自分達が正しいという方向に話を持っていかれ、私が謝るという…本当に悔しかった。
頭を下げる=布施
そう思うと心が少しだけ軽くなりました。
頭を下げるという施しをしたのだと思えば、いくぶんか気持ちも楽になります。
『こんな人生だからこそ人に与える人生を生き、争いのない人生を生きている』
その言葉を聞いて、ふと介護職の頃を思い出しました。どんなに気難しい高齢者でも、プロの仕事として、気持ちよく過ごせるように最善を尽くす。そのためなら頭も下げましたし、その結果、ツンツンだった方に大好きだとまでいっていただけました。
そんな一面も私にはあるのだと思うと、欠点だと思っていた自分もプラスに変えれる気がしました。
『布施』
心に止めて、日々過ごします。
ありがとうございました。
慶成さま
「相手からこう思われたらどうしよう」と、
周りの目や評価を気にしすぎてしまうところ、あります!
気にすぎてあれやこれや行動した結果、自分を押し殺して疲れ果ててしまう…そんなことを繰り返してきました。
心の声に素直になれるように、もう少しきちんと自分の心と向き合ってみようと思います。
自信を持つためにする努力…日々の生活の中で、何事においても一層努力すること、してみます。きっと、努力は自信に変わってくれると思って。
「雪に耐えて梅花麗し」
偶然にも、黒田さんの座右の銘、私もカープが好きなので(^^)知ってましたが、私の名前が入っていたことは気付きませんでした。
辛いことに耐えて、花を咲かせられるように、これから日々の努力、重ねていきます。
本当にありがとうございました。
慶成さま
カープ、ご縁があり嬉しいです(^^)
頑張ってほしいですね♪
私も一緒に、しっかり応援します!
お隣さんとのトラブルも、きちんと話がまとまりそうです。ここで皆様に相談できて、本当に良かったです。
このご縁に感謝して、これからまた頑張ります。
また何かありましたら、よろしくお願い致します。
ありがとうございました。