意識
よく臨死体験された方が
この世と あの世の境目に川がながれているといわれますが お釈迦様は中道を行きなさいと いわれてますが
あの世とこの世の真ん中 川に身を委ね 成り行きに任せなさいと言われてるんでしょうか
子供の頃 寝たら死ぬんじゃないかと思って
寝ている時って 魂はどういう状況なのでしょう
肉体を手放したら 仏様に会える 肉体があるうちは
仏様は見えないんですね 。という事は性を持つ事が汚れを持つと
言う事なのですか?汚れを持つと 見えないと言う事?
ですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
中道と外道
中道とは悟りに向かう道ことを言います。
私たちは煩悩と向き合いながら生きていかなければなりません。その煩悩を打ち消し、八正道を行いなさいと、お釈迦様はお伝えしています。
「生と死」の間にあることを中陰といいます。
死後から四十九日間、陽と陰の境目にいることを表します。そして、49日の期間を経て、六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)に生まれ変わるのです。どうやって決まるのか?それは49日までに7回の裁判があります。有名なのは35日目に閻魔大王に出会います。そこで生前の行い(業)によって、来世が決まるのです。しかし、人は地獄には行きたくないですよね。また、身内の方は極楽浄土へ行って過ごしてくださいねと願います。その願いこそが追善供養です。
仏様は見えるのではなく、心の中におられるのです。
弘法大師(空海)は
「夫(それ)仏法遥かにあらず、心中にして即ち近し」
とお言葉を残しています。この言葉は、仏さまは遠くに居ないというのではなく、いつも心の中にいるのですよと言ってくれています。
私たちは仏の国から生まれ、また仏の世界へと帰っていくのです。では何故にこの世にいるのか?それは、私たちが人間として修行をこの世にしに来ているのです。
亡くなると享年や行年と見聞されたことがあると思います。享年は天から亨けた年数です。また行年はこの世で何年修行をしたのかを表します。
仏教にも様々な宗派があり、寺院によっては説き方は異なりますので、予めご了承ください。
真っ直ぐ人間たる生き方をすること(中道)で悟りに近づけるのです。また、煩悩があり人は間違った道にそれてしまうことも多くあります。その中道からそれることを外道といいます。
心が汚れていれば、見えるものも見えなくなります。例えば机の上が散らかっていれば、大事なものを探すのに時間がかかりますよね。
このようにいつも心を清らかにすることが大切なんです。それを六根清浄といいます。
「六根清浄」
・眼・耳・鼻・舌・身・意(心)
人は生きていれば、多くを経験し、欲に流され、六根が知らぬ知らぬ内に汚されていってるのです。
それをヒーリングやヨガや山登りなどをして、本来の自分に戻す(リセット)するために、清らかなことを行おうと修正し、外道から中道に戻り邁進していくのです。
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質問者からのお礼
おはようございます。お忙しい中時間をさきご回答頂き有難うございます。 心の中にいる 見えない間は
きっと 自分が 正しく生きていないと思っていいのでしょうね 。おっしゃる通り 生きていたら 自分が
汚れていくのでしょうね。だから 私くしも苦しい時や
辛い時が多々ございます。どのように 汚れを自分で
落とせば 楽になるのか わかりません。
悩みも ちりもつもればの如く 山のように 自分に
のしかかってまいります。 自然に触れる事が 心を
磨く事になるのかもしれませんね。 昔のお坊様は
自然と共に 自分を置かれていたと思うので
人は自然が無いと 汚れなく 生きていけないのでしょうね。 数回読み返して 自分なりに 考えてみます。
法源様のお言葉 ありがたく 受け止めてまいります。
(^人^)