ご先祖様とは、お経とは
日々、お仏壇を拝むときに義父と息子の法名と、ご先祖様の追善増進菩提を拝んでいます。
拝みながら、ふと思ったのですが自死で先に逝ってしまった息子も、先に亡くなった事で、ご先祖様になるのでしょうか?
また、ご先祖様と言っても、昔の写真を見た記憶の大祖父は想像できるのですが、それ以上は想像計り知れずわかりません。
こんな気持ちで拝んでいてもいいでしょうか?
あと、不束な事をお聞きしますが毎日お経を読んでいても
仕事で拝めない時などは南無阿弥陀仏を唱えるだけでいいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたのお考えの通りでよいのでは
私は南無阿弥陀仏を大切にする浄土真宗という宗派に属しています。お念仏は、日々の生活に追われ、仏道修行が出来ない在家者(出家者じゃない人という意味です)が仏にさせていただける最高の行いとされます。だから、お念仏をお称えになるのがよいということになります。迷いなくお称えください。
さて、さきに亡くなられたご子息がご自身よりさきに命を終えられたから先祖なのかというと、この言葉の定義からると違うかもしれません。
また遠い先祖までは実感がわかないのは、そりゃそうですよね、というごもっともなお話です。
そこで、また私たちの浄土真宗の教えをもとにお話しします。親鸞さま(浄土真宗の開祖)は、すべての生き物は輪廻転生し生まれ変わり死に変わりする生命の歴史の中で、あるときには親子として、ある時には兄弟として暮らしてきたのであるとおっしゃっています。この考え方にしたがえば、あなたがご先祖だと思っている人も赤の他人だと思っている人もみな命の歴史の中で隣人であり家族であったことになります。分け隔てしたりピンと来りピンと来なかったりに関わらず大切にお思いになっては如何でしょう。
すべての命ある者の幸福にさせずにおかない仏心が南無阿弥陀仏に込めらえれています。南無阿弥陀仏を称えてください。
質問者からのお礼
こんばんわ。
ありがとうございます。
やはり息子はご先祖様ではないですよね。
毎日、何かモヤモヤしながらお仏壇に向かっています。
そんな中でも、生命と魂の繋がりを、有り難い事と思えます。
この気持ちで、息子に御先祖様に、たくさんの仏様方に、と手を合わせています。
南無阿弥陀仏でいいのですよね。
どうぞ息子が導いて頂けるように・・・と拝んでいます。