回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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口業(くごう)
口は何の為?
それは…生物として必要だからついているのでしょうが、ヨッシーさんが聞きたいのはそういうことではないのでしょう。
「なんで口なんかついているんだ!?」
と嘆きたくなるような、口(言葉)の役割がわからなくなるような、悲しく辛い出来事があったのでしょうか。何かひどい事でも言われたのでしょうか。
仏教でも口で何を語るかは重要な問題です。口業(くごう)と言います。
悪口は受け取らなければ相手に戻る
という有名なお釈迦様のエピソードがありますが、それでも心無い言葉に私たちは傷ついてしまいますよね。
仏教では避けるべき口業として
妄語(もうご):嘘をつく
両舌(りょうぜつ):二枚舌を使う
悪口(あっく):悪口を言う
綺語(きご):無益なおしゃべり
の4つがあげられます。
口で何を語るかは自業自得の原則により、その語った本人に影響を及ぼして規定していくものではありますが、受ける方としても相手の口業に対して何を思うかという自らの意業(いごう)によってはやはり影響を受けるものとなります。
心無い言葉はスルーしたり、受け取ってしまっても何らかの形で発散できるスキルをみにつけたり、辛い思いを受け止めてもらえる場を求めたりして、なんとか対処していきたいものです。
もしも何か辛い事があったのならばまた教えてください。hasunohaにてお話しをお聞かせいただきます。
キティちゃんは口が…。
口は何のためについているかと言われたら、
生命維持のため、コミュニケーションを図るためですね。
もちろん優しい言葉や、愛のある言葉をかけるために使いたいですが、なかなかそうはいきません。
人の悪口や陰口を言うのが大好きなのが私たちです。どんな人でも人間関係で悩みを持っていて、家族や友人に愚痴をこぼすものです。
それは、私たち人間が煩悩を抱えているからであり、もっと言うと、なんでも自分の思い通りにしたいと思っているからです。
しかし口だけでしか愛情や思いやりを表せないかと言うとそうではありません。
例えば、キティちゃんには口がありません。
やさしさや思いやりは口では無く、優しい態度や思いやりの行動で示そうという意味だそうです。
キティちゃんは、口は無くても、相手への思いやりや愛情を持って行動することが必要だと教えてくれています。
ちなみに私は口で綺麗なことを言うより、無口でも行動で示せる人の方が好きです。
関係無かったらごめんなさい。
【追記】
ヨッシーさん
苦しいこと、辛いことがあったら、
いつでもここで相談してくださいね。
質問者からのお礼
早速お返事有り難うございます。
辛くなったり…
苦しくなったらこの言葉を思い出して前へ進みたいです。
お返事有り難うございます。
また辛い事、苦しい事がありましたら此方で(ハスノハ)相談したいと想います。