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心の支えとして

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有り難し有り難し 10

こんにちは。以前にも質問に答えていただいた者です。ご無沙汰です。
前回、漫画家になる夢に挫折したという内容で質問させて頂き、温かい励ましのお言葉をいただきました。あれから有り難いことに周囲の人々に助けてもらい、現在は色々なことを割り切って今後を現実的に見据えています。
ただ、割り切ったとは言ってもまだまだ「あの時ああしておけば…」という後悔の念が湧き上がることがあります。そんな時、つい前世や来世といったことを夢想してしまいます。
現状を全て諦めた訳ではありませんが、疲れた時などに現実逃避気味に「ひょっとして前世で何かやらかしたから上手くいかなかったのかな」「今踏ん張ったら来世ではもっと上手くやれるかな」等考えてしまいます。
頭では割り切っていても、心がなかなかついてきません。また皮肉なことに、前世来世を前提としていると自分を納得させられて心穏やかになり、結果的に前向きにはなるのです。
今を受け入れて生きることが最も重要なのは理解したつもりです。しかし一朝一夕で屈強なメンタルにはなれず、不確定なものを心の支えにしないと精神的なストレスを解消できません。理想を言えば来世があったら素敵だなと思っています。
現実逃避の果てに、「望む来世ではない、また来世などなかったとしても今を頑張る価値と理由になってくれる」という結論に落ち着きます。
今私は諦めたものもあるけれど、自身が非常に恵まれた立場であると自覚しています。なのに来世に想いを馳せてしまうのは欲張りなのではないか…。前世来世を考えてることは、周囲には口外していませんし、するつもりもありません。
ちなみに、上手くいかなかったことというのは幼少期から思春期にかけて母親のストレスの捌け口にされ、それに耐えたことで価値観や自己肯定感が歪み、挙句和解が不可能だったことです。要は「母親との確執のない幼少期を過ごしてみたかった」、「それが無理ならせめてもっと早くに母親に立ち向かっておきたかった」というのが自分の中の最大の後悔です。

長くなりましたが、日々の心の支えとして前世来世のことを考えてしまうことは、よくないことですか?また、来世があると前提にした場合、今世で「来世は困難に耐えるのではなく立ち向かいたい!」という想いは反映されると思いますか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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来世へのこだわり

 こんにちは。拝見していて、色々と考えさせられました。
「漫画家になる夢は諦めた」…。私は仕事柄、子どもたちが「自分の夢は〜です」というのを聞く機会が多いです。まぁ、幼稚園の卒園式なのですが。
例えば「プロ野球選手になりたいです」って。うんうん、理想とする人物像があってよかったね。そう思います。
「プロなんて、何万人に一人しかなれないんだから、そんな夢想するのは止めておきなよ」等の「現実を見ろ」的なことは言いません。
 その夢、よくみていると「僕は野球が好きだ。たくさんやっていたい。プロになれば野球をやって食べていけるんだから、そりゃいいや。一挙両得!」…表現は汚いですが、現実無視で言いたいことを言っているわけです。
 でも、元々彼がやりたかったのは「野球をたくさん」です。楽しいのはそちらで、「…で食べていける」ことではなかったはず。本当は、「どうすれば野球をたくさんできるのか?プロになるしか道はないのか?」を考えるべきですよね。「おじいちゃんになっても、野球の楽しみを味わいたい」とすれば、プロになることは二の次とわかるハスです。無理もしないでしょう。
 本来あなたも、「漫画を描くのが楽しいな。たくさん描きたいな」な人だったのではありませんか?「先生、先生」と呼ばれ、チヤホヤされたかったのですか?がっぽり印税生活をしたかったのですか?
 さてさて。
 私は浄土宗で、「現世が終わったら来世のことは仏様任せ。阿弥陀様まかせ」の宗派です。なので…来世のことについて、思い煩うことはありません。その分、現世で自分のやること・やるべきことについて考える時間があると思います。これを「現世利益」と呼んでいいのかは知りませんが、「自分にはどうにもならないことを、きっぱりと預ける」ことができるのは、心が楽になっていいなぁ、と思います。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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