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貰い事故

回答数回答 1
有り難し有り難し 6

宜しくお願い致します。
貰い事故を起こしました。最初はとにかく気が動転してしまって、追突された方への憎しみ、私の出発が前後していれば…というどうにもならない後悔、愛車が破損した悲しみなどでいっぱいでした。
しかし段々、誰も怪我はしていない、保険屋さんなども精一杯対応してくれた、お金はかかるが愛車も直せる、追突された方だってやりたくてやったわけではない、世の中には交通事故で亡くなる方が悲しいけど沢山いて、そう考えればこれは良い勉強だった。平和ボケしていた自分のお尻を叩く、良い事故だった。などと冷静になっていく事が出来ました。

冷静になれた事は良かったのですが、また怖くなってきました。車を運転していれば、いつだって加害者になり得る。また愛車を壊してしまうかも。被害者になる事だってあるかも。最悪、自分や周りの大切な人を亡くす可能性も…。悪い妄想が止みません。
地域柄運転無しでは生活出来ませんし、それ以前に私は運転が大好きです。今まで以上に安全運転に努めるのは当たり前なのですが、運転が怖くなってしまいました…。この悪い気持ちを、良い方向へ持っていく事は出来ますでしょうか?
いつも頼りにして申し訳ありません。どうか宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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車を運転「できる」ということは

お気持ち、お察しいたします。
私も近年に何度か事故を起こしまして、同じような思いを経験しました。
助けになるかわかりませんが、以下に。

・運転中は運転に集中
・絶対に漫然にボーっとならない
・他の事にとらわれない
・臆病になるくらいで丁度いい

私、これらの指針を、運転前や運転中に思い出したり口に出したりして意識するようにしています。それでも貰い事故となるとどうしようもない部分がありますが、自分の意識で防げる事故は自分の責任で消そうとする努力が必要だと、過去の何度かの事故で思い知らされました。

車やバイクに乗るための「免許」というものは、本来「してはならない特殊な行為」を一定の条件下で特別に「することを免ずる許可」というものです。であるならば、やはり日常利用の中で慣れっこになり、どうしても「使って当たり前」な存在になる乗り物について、「当り前じゃない、気をつけなきゃ」という注意を自分へ ”敢えて意識的に” 促すことが大事になってくるのではないか、と思います。
車やバイクを運転して街にくり出す…いつもの景色、いつもの場所、はたまた行ったことのない場所など、自分のフットワークや可能性を何倍にも上げてくれて、人生を豊かにしてくれる大事なツール、それが乗り物です。ですから「楽しむ気持ち」は大事に育んでください。
貴女の愛車は貴女の相棒?恋人?友達?それとも家族なのかな?きっとそれくらい大事で身近な存在のはずです。愛車と一緒に出かける時の「楽しむ気持ち」は心のアクセルとなり、「戒めの気持ち」は心のブレーキになります。そのどちらも欠けてはならないものです。あとはその気持ちをコントロールする貴女の「心のハンドル」を両手でしっかりと握って、車間距離を十分にとって、今日も愛車と、行ってらっしゃい!

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質問者からのお礼

お見苦しい問いに答えて頂き、本当に感謝します。
「当たり前じゃない、気を付けなきゃ」という意識が自分に欠けていた事に気付く事が出来ました。指針を口に出しながら運転する事、実践しようと思います。
私の愛車は…頼りになる相棒?なのかな?今まで沢山楽しい思いをさせて貰いました。心のアクセルとブレーキ、そしてハンドルで責任を持って愛車を操れる様にします。
大分心がスッキリしました。本当にありがとうございました。

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