現代人、みんな傷を抱えて今を生きているのではないかと思う
世代を問わず今を生きる現代人、いろいろなかった人っていないのでは。
私もいろいろありました。中学時代のいじめ、高校卒業後の就職難、人格否定、職場で突然一方的に暴力を振るわれ怪我したこともあります。
最近ではここ2年の間に相次いで大好きな祖父母を亡くしました。
二人とも看取る事も出来ず、祖母は数年前から認知が進んでいたためもう家族の誰の事も分からなくなり、それから私の名前を呼ぶ事はありませんでした。
二人が可愛がってくれた想い出が蘇り、祖父母に対し何もしてあげられなかった後悔の念もあります。
私も法には触れなくとも自分の知らぬうちに過ちを犯してきたかもしれないし、これからもないとはいえない。
10代、20代の頃は精神未熟のままただひたすらがむしゃらに生き抜いて気がしますが、30代に入り始めていろいろ考えるようなりました。今までどれだけ泣いただろうか。他にもたくさん嫌な事、辛い事はありました。
一部報道されている事件、事故、自殺
または若くして病気で亡くなる人もいます。
亡くなった人やその人の家族の傷の大きさは想像出来ません。
または罪を犯したことで心に十字架に背負って生きている人もいます。
今を生きる現代人、それぞれ違うけれどみんな何かしら傷を抱えて生きている、私にはそう思えるのです。
だから私もいずれ死が訪れるまでこれからどんな辛い事があろうと後悔しない人生にしたい。
時代も変わりつつあるストレスも多い現代社会、どんな気持ちを持って生き抜いていけば良いでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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傷は悪いことじゃない
そうですね。お釈迦さまも言いました。「お金持ちにはお金持ちなりの苦しさがあり、お金がない人にはお金がない人なりのの苦しさがあります。それぞれ違うけれどみんな何かしら苦を抱えているのです。」(生苦)
これが仏教の出発点とも言えるでしょう。
みんな苦を抱えているということは、人は完璧に生きることはできないということです。
悟りを開いた後のお釈迦さまでさえ、あまりに家族親族をみんな無断で出家させてしまったものだから、お父さんに叱られてとても反省したことがあります。教団の後継ぎに…と期待して育てていた弟子のナンバーワンとナンバーツーに相次いで先立たれた時の辛さは、いかばかりであったでしょうか。
お釈迦さまでさえ、辛い時は辛いんです。だから辛いことがあった時、それをあたかも自分の価値を否定されたかのように置き換えないことです。止まぬ雨はありませんが、降らぬ雨もありません。どんなに辛いことがあっても、焦らず、無理せず、成すべきことを成していってください。そんな生き方を仏様はきっと見ていて下さいます。
質問者からのお礼
温かいお言葉に励まされました。自分の中では忘れたくてもどうしても忘れられない忌まわしい出来事もあり、今までたくさん傷を負い辛い思いをしてきました。しかし、それは自分自身の心を強くしてくれたような気もします。これからもたくさん辛い事はあると思いますが、それでも振り返る事はせず、ありのまま自分らしく生きていこうと思います。ありがとうございました。