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現代人、みんな傷を抱えて今を生きているのではないかと思う

回答数回答 2
有り難し有り難し 22

世代を問わず今を生きる現代人、いろいろなかった人っていないのでは。
私もいろいろありました。中学時代のいじめ、高校卒業後の就職難、人格否定、職場で突然一方的に暴力を振るわれ怪我したこともあります。
最近ではここ2年の間に相次いで大好きな祖父母を亡くしました。
二人とも看取る事も出来ず、祖母は数年前から認知が進んでいたためもう家族の誰の事も分からなくなり、それから私の名前を呼ぶ事はありませんでした。
二人が可愛がってくれた想い出が蘇り、祖父母に対し何もしてあげられなかった後悔の念もあります。
私も法には触れなくとも自分の知らぬうちに過ちを犯してきたかもしれないし、これからもないとはいえない。
10代、20代の頃は精神未熟のままただひたすらがむしゃらに生き抜いて気がしますが、30代に入り始めていろいろ考えるようなりました。今までどれだけ泣いただろうか。他にもたくさん嫌な事、辛い事はありました。
一部報道されている事件、事故、自殺
または若くして病気で亡くなる人もいます。
亡くなった人やその人の家族の傷の大きさは想像出来ません。
または罪を犯したことで心に十字架に背負って生きている人もいます。
今を生きる現代人、それぞれ違うけれどみんな何かしら傷を抱えて生きている、私にはそう思えるのです。
だから私もいずれ死が訪れるまでこれからどんな辛い事があろうと後悔しない人生にしたい。
時代も変わりつつあるストレスも多い現代社会、どんな気持ちを持って生き抜いていけば良いでしょうか。

2018年11月2日 11:54

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

傷は悪いことじゃない

そうですね。お釈迦さまも言いました。「お金持ちにはお金持ちなりの苦しさがあり、お金がない人にはお金がない人なりのの苦しさがあります。それぞれ違うけれどみんな何かしら苦を抱えているのです。」(生苦)
これが仏教の出発点とも言えるでしょう。

みんな苦を抱えているということは、人は完璧に生きることはできないということです。

悟りを開いた後のお釈迦さまでさえ、あまりに家族親族をみんな無断で出家させてしまったものだから、お父さんに叱られてとても反省したことがあります。教団の後継ぎに…と期待して育てていた弟子のナンバーワンとナンバーツーに相次いで先立たれた時の辛さは、いかばかりであったでしょうか。

お釈迦さまでさえ、辛い時は辛いんです。だから辛いことがあった時、それをあたかも自分の価値を否定されたかのように置き換えないことです。止まぬ雨はありませんが、降らぬ雨もありません。どんなに辛いことがあっても、焦らず、無理せず、成すべきことを成していってください。そんな生き方を仏様はきっと見ていて下さいます。

2018年11月2日 15:23
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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

明るく、正しく、仲良く。
これは仏教の三宝である仏法僧を言い換えた言葉です。
これを大切に生きていけたらと思います。

2018年11月2日 14:19
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...

質問者からのお礼

温かいお言葉に励まされました。自分の中では忘れたくてもどうしても忘れられない忌まわしい出来事もあり、今までたくさん傷を負い辛い思いをしてきました。しかし、それは自分自身の心を強くしてくれたような気もします。これからもたくさん辛い事はあると思いますが、それでも振り返る事はせず、ありのまま自分らしく生きていこうと思います。ありがとうございました。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

女子高生コンクリート殺人事件犯人への罰

以前、女子高生コンクリート詰め殺人事件という悲惨な事件がありました。 この事件を知り私は、本当にこの事件の犯人が許せず『司法は少年法で犯人たちを庇ったが、神仏は必ず彼らを罰してくれるはずだ』『因果応報があるのなら、この犯人たちは地獄に落ちるだろう』と願いました。 しかし、事件から数十年経過し、数年前、この事件の犯人がまた別の事件で逮捕されたそうです。 聞けば犯人の一部には妻や子供もいて、しかも『俺は人を殺したことあるんだぞ』と、件のコンクリート詰め殺人事件の話をネタに別の人を脅して再逮捕されたそうですね。 これを聞いて、私は絶望しました。 全く反省していないどころか、むしろあの事件のことを新しい犯罪を犯すためのネタにしていたなんてあり得ないです。 コンクリート詰め殺人事件の被害者の女の子は何の落ち度もないのに凄惨な殺され方をされ未来を断たれたのにも関わらず、犯人には家庭もありのうのうと生きています。さらに反省せず再犯を犯してます。 神仏は彼らを罰してくれないのでしょうか? それから、インターネットを見る限り多くの人たちが犯人に怒りを感じ、掲示板に『死ね』などと発言していましたが、犯人たちは一向に元気です。よく『言葉には言霊の力がある』と言われますが、あれだけ恨まれ『死ね』と言われているにも関わらず『言霊の力』は彼らに届いていないのではないか、と思いました。 『言霊の力』だけでなく『生霊』や『念の力』に対しても疑いを感じはじめました。あれだけの人が怒りを感じているのだから誰か一人くらい『生霊』や『念』を無意識にでも意識的にでも飛ばしていてもおかしくないはずなのに、犯人はのうのうとしているみたいだからです。 これでは、犯人に殺された被害者が浮かばれません。 神仏の罰はないのでしょうか。因果応報はないのでしょうか。言霊の力や念の力、生霊なども全部存在しないのでしょうか。

有り難し有り難し 35
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ターミネーターか人間のどっちかなのか

死刑制度についての質問をさせていただきます。 僕は死刑制度に賛成です。理由は一つで、犯罪への抑止力となっていることと、今までそれで社会が成り立っていたのだから急に廃止することで世の中が混乱するからです。 でも、このままでいいとは思っていません。僕が思う死刑によるデメリットは、 1.刑務官(死刑執行人)への精神的ダメージ(たぶん) 2.死ねば更生するチャンスは二度とない 3.死刑制度は国民の国家に対する甘え 4.死刑囚の国(?)への恨みは他の誰かが相続すること、 つまり殺意は死なないということ →3国家に対する甘えについては、国民が国家に殺してもらうだけでは誰も成長しないのではないかと思ったからです。結局は現状維持で、また同じ苦しみが繰り返されるから、殺人者に共感する能力が育たないまま。 そこで、死刑制度を新しくすることを考えてみました。2と4は変えられないので1と3について解決策を考察しました。 それは、「刑務官(死刑執行人)の仕事が減り、遺族または志願した者が死刑執行代理人となり国の代わりに死刑執行のボタンを押す。代理人は遺族を最優先とすること。死刑執行の一週間前までに5人を死刑執行代理人と決定し、決定してから覆せない」というものです。 つまり、『明らかな人の殺意によって死刑を執行する』という案です。 こう考えた理由は、 A.国に殺人を止める力は無いから。死刑制度は抑止力としてもう限界まで来ていると思う。 B.死刑囚は遺族の悔しさ、怒り、憎しみ、恨み、殺意を真正面から受け取るべきだと思ったからです。(理由は、なにより殺して欲しいと望んでいるのは遺族だから、その殺意が伝わればいずれ更生するための種になるかもしれないから。そもそも国に殺意は無いから。) 前回の問答の後、他の国と比べてみて考え 、死刑が無くても穏やかな国になるが一番いいのではないかと考えました。それに、今ある社会正義は必ず崩れ去るものだと思っています。 でもそんなこと出来やしないので、死刑囚の殺され方なら変えられるのではないかと思いました。僕はターミネーターか人間に殺されるなら人間を選びたいです。(笑) もう何が正しいのか分かりません。 いろいろ間違っているところもありますが、ご回答頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 26
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理不尽だらけの世の中で大人になるのが怖い

私は幼い頃から何か違和感があります。 小学校1年生のとき、クラスメイトの一人が宿題を忘れて教壇の前で先生に怒られていました。皆は自分の席に座りその光景を見ていました。勿論わたしも。 すると先生が私の名前を呼び、「〇〇君は悪い事をしたよね?」と聞いてきました。 私は、目の前でまるで晒し物みたいにされているクラスメイトを見て、違和感を覚えました。確かに宿題は先生との約束だけど、一方的な約束だし、わざわざ皆の前で叱り、恥ずかしい思いをさせなくてもいいのではないか、そして、普通は先生という子どもにとって学校での絶対権力者に「悪いことよね?」と言われて首を横に振ることなんてできません。でも私は最期、先生の怒りが落ちる間際まで首を縦に振ることが出来ませんでした。それが小さな抵抗でした。 それからは、なぜ私は生まれてきたのか。 なぜ学校に行かなければいけないのか。 先生が言うことに皆当たり前の様な顔をして従い、疑問を持たないのか。 大人の言うことは絶対に正しいのか。 校則には厳しいのにいじめは見て見ぬふりのか なぜ動物は殺しても罪に問われないのに、人は殺してはいけないのか 心と肉体は殺すのはどっちの方が悪いのか いじめで自殺に追い込まれても何故罪にならないのか 沢山考えるようになりました 私は自分に正直に生きたいと思うのですが、自分がやりたくないことを美化して言っているだけだと言われます。 それはワガママだと言われます。 私は悪口は言いたくないし、したくないことはしたくありません。私の正直に生きるとは、人に対して誠実であり、理解すること、愛をもつことです。 傷つけてはいないだろうか?ちゃんと向き合うことが出来ているだろうか? 気をつけてはいるのですが、確かに私は自分の意見を押し付け自分の型にはめてしまったり、自分の意見に執着してしまうことがあります。大人になるということは自分が折れることが出来るということだと思います。 でも、ねじ伏せられて皆同じ、個性がないとも思ってしまいます。出る釘は打たれるのだと感じます。 理想と現実の狭間で辛さを感じます。 勉強よりももっと大事な事があるのではないかと思ってしまいます。 思春期だからと言われますが、関係なしに私はやっぱり自由や愛に憧れを感じます。 でも、人に言っちゃいけないことだと言うこともわかっています。 なので、相談できずに苦しいです。

有り難し有り難し 7
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私の理解されにくい考え方や気持ち

私は高校生です。本を読み漁っても曖昧なヒントしか得られません。「人は人を殺してはならない」というのは分かっているし、人を殺めることに肯定的な訳でも加害者を庇う訳でも無いけれど、加害者の生い立ちや事件の背景を見た時に、とても悲しくなるのです。(快楽殺人とは別) ニュースやマスメディアでは表面的に事実を淡々と言い、加害者を責めます。みんなどこか他人事のように感じるのです。 でも、もし、誰かが加害者の背景を事件の裏みたいなものを見れていて、そこに愛や差し伸べられる手があったのなら、何かが変わっていたのかもしれない。生まれながらに悪い人なんていないし、なにがこの人を歪めてしまったのだろうと考えるのです。 繰り返さないためには咎めるのではなくて、愛を持ち続けることでは? 貧困や虐待など、社会全体が目をそらさないことだと思うのです。 なぜ人を簡単に殺めるの?という人がいるけれど、じゃあ、なぜそこを追求しないの?と思うのです。私は加害者の育った環境は大いに影響していると考えるからです。もしも手を差し伸べることが出来たなら、被害者の人生も加害者の人生もこんな結末にはならなかったのでは?と無念の涙が止まりません。高校を卒業したらなにか私にできないだろうかと思います。 私はこのことを言ったりすると、誰もが顔をしかめます。私は私の話を理解できる人に出会えたことがありません。理解されない時のひとりぼっちのような寂しさが辛いです。 私の考え方が変わっているから、みんなに合わせなさいと言われます。私は普通なのに。 学校は苦痛で同級生とは話が合わず、悲しさと自分の至らなさと無力さに苦しんでいます。

有り難し有り難し 13
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何故人は匿名の場だと辛苦を余計に煽るのか

これは私自身の見識による物なので一概に言えない部分も有ると思いますが… 何故ネットや匿名が許される場所、または普段の生活や仕事でも 一度の失敗で人を痛烈に責めたり、艱難辛苦を煽る人々が居るのでしょうか? 中には疾患を抱えてしまった方や障害と言われる人まで責められる人も居ます 例えば家庭内で虐待を受けた人が学校に相談しても、または虐めが原因で教師に 相談しても取り合ってくれなかった子ども達のニュースを見ると酷く思いますが、更に子どもの時に大人に相談しても聞いてくれなかった事で大人に対する信頼を失い、20代や30代になってようやく行政機関や周囲に相談できた方も居ます。 それまでにもネットや匿名の場所、現実世界でも「甘えるな、苦しむのは当たり前、苦しんだ?だからどうした相談するのは非常識だ、誰もお前の話など聞いていない、お前には先が無い」などと徒らに弱者を責め煽り更に弱者を作り出し、他人同士で生き甲斐を奪い合ってるのを見ると、何故互いに尊重し問題を解決する為の話し合いをしないのか?と思ってしまいます。 お坊さんは、この様な場合どの様な対処法が必要だと思いますか?

有り難し有り難し 11
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