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天罰ってありますか?

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有り難し有り難し 57

自分は国家試験に向けて浪人中の者なのですが1つ相談、というかお坊さんにお伺いしたいことがあります。
自分には以前とても我慢し難い事をされて縁を切った友人がいるのですが、その元友人に関して最近ある話を聞き憤っています。
話によるとその元友人は卒業試験でどうやらカンニング紛いの行為をしていたそうなのですが、そのまま卒業し国家試験にも受かって今や先生と呼ばれています。
片や自分は一時期真っ直ぐ歩けなくなるほど必死に頑張って卒業したにもかかわらず、国家試験に落ち、未だに泥の中であえいでいます。
元友人に関してはもう興味もなかったのですが、この話を聞いてしまいどうしても腹の虫が治りません。こういう奴に天罰って下らないんでしょうか? 何故真面目にやってきた自分の方がこんなことになるのでしょうか? もう納得がいかず、今頑張ってることも生きることも馬鹿らしくなってきます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

天網恢恢疎にして漏らさず

天上に何か特別な監視者がいて、その人が私たちの善悪に賞罰を与えるということはありません。
しかし、善因善果悪因悪果(善い行いには善い結果が、悪い行いには悪い結果がくる)は絶対の真理ですから、それを心配する必要はありません。
現状を見つめすぎると、相手は何もかも順調でとても悪い結果に向かいそうに見えないかも知れませんが、心配する必要はありません。くりかえしますが、善因善果悪因悪果は絶対の真理です。
ただし、相手が遭遇する悪い結果が、こちらが望む時期に望む形で現れるかどうかはわかりません。こちらの知らない時に知らないところで知らないうちに現れ、こちらは一生知らずに過ごすかもしれません。それはこちらと関係のないことですので、いちいち気にすることはありません。
「天網恢恢疎にして漏らさず」という諺はまさにこういうことを指しています。
「なんとか自分の見ている前で、自分が納得できる形で相手を罰したい」と思い続けることもまた、悪い行いですから、それが過ぎると自分にも悪い結果が生じてしまいます。
相手の悪果にこだわってあれこれ悩むのは止めて、自分が善い結果にあえるよう努める方が賢明だと思います。

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おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。
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「コップの中の嵐」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まあ、大なり小なりにせよ、迷い苦しみの輪廻に生じている以上は、皆、そうは変わらない境遇であるところであります。

世間八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)での優劣、大小、長短をあれこれと比べてしまっても、「コップの中の嵐」みたいなものであり、できればそんなコップの中にいつまでもあって、迷い苦しんでいる者たち全てを憐れみ、可哀想だと思い、どうか、そんな輪廻の中から抜けられる道である仏道を皆が歩めるようにと思って頂ければ有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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他人のことで振舞わされないように。

自分で蒔いた種は、自分で刈り取るしかありません。
皆さんが言われるように、原因があれば結果もあるということですから、仮に友人がどのような手段を使ったのか分かりませんが、それなりにその結果はあるでしょう。
但し、人生はとても複雑ですから、私たちが思うような形で現れるとも言えません。
ゆえに、友人がどのようになろうとも考えないことが一番であり、煩わしさから解放されましょう。
世の中には理不尽に想えることはたくさんあります。どうして、何故?ということばかりですが、それもすべて意味のあることでしょう。
人生終わってみなければ分からないことばかりです。まずは、ご自身が正直に生きればいいのです。そういう人には必ず応援はあります。
ちなみに、天罰はありません。神様や仏様が罰をあてることはないからです。

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おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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質問者からのお礼

有り難いお言葉ありがとうございます。
そうですよね。気にしないことが一番ということはわかってはいるのです。今まで相談した全員にも言われてますし、理解はしています。が、今本当に苦しく人間的にひどく未熟な自分としては非常に難しいことです。毎日毎日思い出しては腹わたが煮え繰り返り、いつか誰かを傷つけてしまいそうです。なんでこんな目に遭わなきゃいけないのか。みんな同じように苦労していると言われましても納得ができないんです。どうしたら人間としてもっと強くなれますでしょうか。30近くなっても未だに人間にも大人にもなれません。

「運・運命」問答一覧

家族の怪我が続く

以前主人について、離婚すべきかご相談させて頂いたものになります。 その際は心温まるお言葉を誠にありがとうございます。 その後数ヶ月我慢して日々を過ごしていたところ、土曜日出勤で私が仕事中子供を保育園に預けている間、主人が仲間たちと遊んでいたところ、階段を踏みはずし、脛と膝を粉砕骨折、救急車で運ばれ2ヶ月入院の大怪我を致しました。 ちなみに骨折入院中に主人は私と同じ会社を退職しました。2ヶ月ほど前に、私には相談も無く、独立するということで会社に退職届を出していました。 それもこれもやはり神様の思し召しか、独立は時期早々かと思いましたが、私は何も言わずに、毎週3歳の子供を連れて片道2時間かけて面会に行きました。 その退院後、主人も心を入れ替えたのか、家事や育児にも協力的になり、出かけても家に毎日帰ってくるようになりました。昨年の7月頭骨折、9月頭退院の出来事です。 そんな年が明けた矢先、おととい、 姉の旦那が小学生の子供2人と家族4人でスケートをしていたところ、くるぶしを骨折、本日から急遽入院、手術することになりました。姉の家族は私から見ても羨ましいくらい夫婦仲も家族仲もよく、何も悪いことは見当たらなく、夫婦2人3脚でやってきたので、1ヶ月程度の入院ということで姉が大変ショックを受けています。 また、正月に実家に帰った際、姉の家族を見送った翌日に私が帰ろうと駐車場から出た際に、私の父が階段から転倒したらしく、骨折まではいかなかったのですが足を怪我しています。 私の身の回りで、しかも父に当たる人が立て続けに足を怪我をしているのですが、何か良くない運気があるのでしょうか? ちなみに以前のご相談で記載させて頂きました私の母は、3年前の私の出産時末期の白血病だったのですが、私の祈りが通じたのか奇跡が起こり、今年はお正月料理を今までで一番盛大に準備し、私の子供と遊べるくらいまでに回復しました。 私と姉は元気ですが、立て続けに試練が来るのでかなり不安になっています。 偶然でしょうか? 何か断ち切る方法があれば教えてください。

有り難し有り難し 3
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「運」って何ですか?

初めまして。疑問に思っていることがあります。 「運」という言葉は現代人は皆当たり前のように使う言葉です。「ギャンブルで勝ったから運がいい。」「ソシャゲのガチャで狙いが全然当たらず運が悪い」といった感じに。 このように「過去に起こった出来事」に対して運がよかった、悪かったということに対しては特に疑問はありません。 しかし、「今の俺は運がいいから次も勝てる」「私は運が悪いから何をやってもうまくいかない」といったように、あたかも「運」を自分の才能や能力のように語ることに疑問を感じます。 どんなに過去の結果がよかったとしても、これから振るサイコロの目が出る確率は変わることはないはずです。しかし人は「運」で確率が変わるかのように信じ、験担ぎをしたり神社にお参りに行ったりします。 私の中で「運」という物は以下のどれかかなと思います。 1:「運」は人が持つ才能や能力の一つであり、良い行いをすることで鍛えることができるもの。 2:「運」は天上の存在が与えるチャンスであり、良い行いをすると巡り合いやすくなる。 3:「運」なんて存在しない。全ては過去の結果であり、行いで変化するものでもない。 私は「運」を信用していない人なので3だと思っています。 お坊さんの方々は「運」というものを何だと考えるか知りたいです。

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運命とは

私は周りから見たら、外見才能知能、そんなに恵まれてたら何もかもがイージーだろと言われるように産まれました。 しかしそんな人間は周りから見るといるだけで「ずるい」許せない存在であり、あらゆる人(家族友人教師)から酷い迫害に遭い幼少期からストレスで病気だらけ、頼る人もいず、彼氏も友達(養育環境による鬱で)も自殺し義務教育すら終えられず11年も引きこもりまともな就労経験もなく15年もうつで餓死寸前で入院、差別され続け何で生きているのか分りません。 大人になっても外見のせいで異性にとんでもない目に遭わされ同性には嫉妬、やっと結婚し昨年息子を産み激しいトラウマの末、家族と夫にまで虐待されていた事を40年経って気付き絶縁し自分は悪くなかったと知り一瞬で鬱が治りました。 姉二人は普通の人生です。親戚に誰も似ていない才能があり美しい私「だけ」家族中から虐待され、三歳で殴られ死ねと言われ去年生きている間にと改名しました。 唯一優しかったのは祖母であり、その長女が「この子は産まれてきて良かったという顔をしている」と言い、彼女には何か不思議な力があったらしく私に純白のドレスを小学校入学式に贈ってくれたりもしました。 その通り私は不思議なものを見たり聞いたり奇跡的に助けられたりを何度もしました。物理的にあり得ないことが起き周りの人の方がそれを見、知っていました。 妄想などと診断された事もなく、大抵のスピリチュアルには懐疑的で幽霊や恐ろしいものを見たことは一度も無いのです。一番強烈な体験を信頼できるお坊さんに話したら「私はそんな体験はないけれど真実だと思います」と逆に驚かれました。 親は身近で知りうる限り最も愚かで尊敬できる所のない人間でした。私はたった一人ボコボコにされながら家族を助けてきました。もう十分だろうと思います。彼らが罪を悔い改める時間が残されているといいですが。 神仏がおられるのなら(私は確信しましたが何の神かは分かりません)真に救われるべきは自らの弱さに対峙せず、それを抗えぬ幼い我が子にぶつけた彼らの方だと思います。 夫は酷いモラハラを大変反省してくれ何もかもこれからだと思いましたが、夫はおそらく軽い自閉症であり息子は遺伝したのかもっと重く知的障害も併せ持っているようです。 私の人生よりも、生きる力をくれた息子を不幸にした事が許せません。 運命とは一体何なのでしょう?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ