天罰ってありますか?
自分は国家試験に向けて浪人中の者なのですが1つ相談、というかお坊さんにお伺いしたいことがあります。
自分には以前とても我慢し難い事をされて縁を切った友人がいるのですが、その元友人に関して最近ある話を聞き憤っています。
話によるとその元友人は卒業試験でどうやらカンニング紛いの行為をしていたそうなのですが、そのまま卒業し国家試験にも受かって今や先生と呼ばれています。
片や自分は一時期真っ直ぐ歩けなくなるほど必死に頑張って卒業したにもかかわらず、国家試験に落ち、未だに泥の中であえいでいます。
元友人に関してはもう興味もなかったのですが、この話を聞いてしまいどうしても腹の虫が治りません。こういう奴に天罰って下らないんでしょうか? 何故真面目にやってきた自分の方がこんなことになるのでしょうか? もう納得がいかず、今頑張ってることも生きることも馬鹿らしくなってきます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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天網恢恢疎にして漏らさず
天上に何か特別な監視者がいて、その人が私たちの善悪に賞罰を与えるということはありません。
しかし、善因善果悪因悪果(善い行いには善い結果が、悪い行いには悪い結果がくる)は絶対の真理ですから、それを心配する必要はありません。
現状を見つめすぎると、相手は何もかも順調でとても悪い結果に向かいそうに見えないかも知れませんが、心配する必要はありません。くりかえしますが、善因善果悪因悪果は絶対の真理です。
ただし、相手が遭遇する悪い結果が、こちらが望む時期に望む形で現れるかどうかはわかりません。こちらの知らない時に知らないところで知らないうちに現れ、こちらは一生知らずに過ごすかもしれません。それはこちらと関係のないことですので、いちいち気にすることはありません。
「天網恢恢疎にして漏らさず」という諺はまさにこういうことを指しています。
「なんとか自分の見ている前で、自分が納得できる形で相手を罰したい」と思い続けることもまた、悪い行いですから、それが過ぎると自分にも悪い結果が生じてしまいます。
相手の悪果にこだわってあれこれ悩むのは止めて、自分が善い結果にあえるよう努める方が賢明だと思います。
「コップの中の嵐」
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
まあ、大なり小なりにせよ、迷い苦しみの輪廻に生じている以上は、皆、そうは変わらない境遇であるところであります。
世間八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)での優劣、大小、長短をあれこれと比べてしまっても、「コップの中の嵐」みたいなものであり、できればそんなコップの中にいつまでもあって、迷い苦しんでいる者たち全てを憐れみ、可哀想だと思い、どうか、そんな輪廻の中から抜けられる道である仏道を皆が歩めるようにと思って頂ければ有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
他人のことで振舞わされないように。
自分で蒔いた種は、自分で刈り取るしかありません。
皆さんが言われるように、原因があれば結果もあるということですから、仮に友人がどのような手段を使ったのか分かりませんが、それなりにその結果はあるでしょう。
但し、人生はとても複雑ですから、私たちが思うような形で現れるとも言えません。
ゆえに、友人がどのようになろうとも考えないことが一番であり、煩わしさから解放されましょう。
世の中には理不尽に想えることはたくさんあります。どうして、何故?ということばかりですが、それもすべて意味のあることでしょう。
人生終わってみなければ分からないことばかりです。まずは、ご自身が正直に生きればいいのです。そういう人には必ず応援はあります。
ちなみに、天罰はありません。神様や仏様が罰をあてることはないからです。
質問者からのお礼
有り難いお言葉ありがとうございます。
そうですよね。気にしないことが一番ということはわかってはいるのです。今まで相談した全員にも言われてますし、理解はしています。が、今本当に苦しく人間的にひどく未熟な自分としては非常に難しいことです。毎日毎日思い出しては腹わたが煮え繰り返り、いつか誰かを傷つけてしまいそうです。なんでこんな目に遭わなきゃいけないのか。みんな同じように苦労していると言われましても納得ができないんです。どうしたら人間としてもっと強くなれますでしょうか。30近くなっても未だに人間にも大人にもなれません。