本人への謝罪について
私には、わざと人を傷つけた過去があります。10年くらい前のことです。
具体的に何をしたかというと、その人が過去やってきた悪いこと、その時現在やっていた悪いこと(詐欺などの違法行為)を匿名で役所に通報したんです。
被害者を増やしたくないという気持ちもありましたが、一部の人には酷いことをしながら、他の人には良い人間を演じきっているその人を見ていて不快だったからです。
その人は、当時はすごく怒っていたようですが(その人はブログをやっていて、その内容で様子がわかりました)、表面上はすぐに立ち直ったようです(内面では今も傷ついているかもしれません)。
後になって、匿名で行ったその行為がすごく罪深い行為だったと、恥ずかしい行為だったと気付き、心底落ち込み、反省しました。
私は陰でその通報をしてからも、その人とたまに会う時は何食わぬ顔で接していたんです。
その気付きのおかげで、私はそれ以降、人を批判的な目で見ることをしなくなり、どんな相手にも暖かい気持ちで接しようと心がけて日々過ごすようになりました。そして、もし何か注意しなければいけない時は、正面から注意するようにしました。
しかし、その人には未だ自分がやったことを告白していませんし、そのため謝罪もしていません。
それは自分勝手な理由でです。
復讐が怖いからです。
その人が怒って復讐してきたら、私の家族にも影響が出そうだからです。
ですが、いくら反省しても、謝罪していないため後ろめたさがつきまといます。
謝罪した方が清らかな気持ちになれるだろうと思うのですが、
何をするかわからないような相手なので、家族を守ることを優先するなら、やはり告白は避けた方がいいのか。
どちらをとっても自己中心的でしかない気がします。
謝罪せず、罪の意識を背負って生きていくしかないのかと、今は思っています。辛いですが、そういうことをしてしまったということなのかと思っています。
この考え方は、間違っていますでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
この件に関して、一切、関わらないこと。無事であるように。
いいんじゃないですか。
あのとき、直接 意見していても、反対に返り討ちに遭っていたかもしれません。
対応が難しいですよね。違法行為を発見したら、知り合いなら、正義の名の下に、指摘したくなりますが。向こうも必死ですからね。
こちらが、危険に晒される。かと言って、見て見ぬ振りもいけない。
信用出来る人に打ち明けながら、協力者と共に、きちんと対応出来たらね◎
もちろん、身の安全は確保されなければ。今回の件は、匿名でよかったんじゃないですか。卑怯だとは思いませんし、むしろ、今後の安全を考えて、この件に関して、一切、関わらないことです。
ここで、口にされた(告白)のですから、もう充分ですよ。
人は8秒に一度嘘をつく。
拝読いたしました。
あなたの正義感が、自分を苦しめ、相手の方を陥れる事になってしまったのですね。
あなたは、罪悪感と後悔に包まれていますが、でもあなたの行為のおかげで助かった人がいることは事実です。
あなたは今、正直者になるか不正直になるか、二者択一で悩んでおいでです。
果たしてあなたには、その二通りの行動しか残っていないのでしょうか。
また、正直って正しいのでしょうか。
例えば街を歩いていたとします。
すると正面から、歩きスマホの極道が歩いてきて肩がぶつかりました。
「コラにーちゃん、前見て歩かんかい」
と言いがかりをつけられたとします。
あなたならどうされます?
明らかに相手に過失があります。
「オタクが前みてないんじゃん」と正直に言い返しますか?
普通の神経なら、無用なトラブルを回避するため「すみません」と謝ります。
しかし、この「すみません」は嘘です。
そう。
この場面では、正直、不正直の選択ではなく、自分に利益をもたらすことを選んでいるのです。
今、あなたが直面している問題も同じことが言えるでしょう。
自分にとって有益な選択をすればいいのです。
正直者にこだわらなくてもいいのです。
背負わなくてもいい。
今をいかに幸せに生きるか。
そのためには、常に有益な判断をしなければなりません。
仏教の十善戒に不妄語、すなわち嘘をつくなという戒律があります。
しかしそれとは別に「中道」という教えがあります。
両極端になるなという事です。
嘘はいけない。
ですが、極端になっても苦悩がつきまといます。
ならば、嘘をつかない在り方で生きていこうではありませんか。