幸せに飽きると言う事について
2年前に仕事を辞めてから趣味に没頭するためにフリーターをしています。先日読んだ本に『人間はある一定の年齢を過ぎると自分が幸せなだけじゃ物足りなくなる。美味しいものを食べて幸せとか、趣味に没頭して楽しいとかそう言う感情は歳を重ねていくに連れて経験し尽くして、幸せと言う感情そのものに飽きが来る。そして歳を重ねていくに連れて誰かを幸せにする事が幸せと感じてくる。だから配偶者や子供は作っておいたほうがいい』と書いてあり、その言葉が頭から離れません。
私は結婚には興味がなく、出来ればしたくないとさえ思っています。そもそも1人の時間が好きだし、例え結婚して一緒に暮らすのが自分の好きな相手でも、相手が発する生活音、例えば歩く音や息遣い、気配にさえ気を遣ってしまって、それをストレスと感じてしまいます。今一緒に暮らしている家族にさえそう感じています。だから私は結婚には向いていないと思っています。
周りはどんどん結婚する子や子供をつくる子が増えて、飲み会の度に『最近良い人いないの?』『結婚したくないの?』って聞かれます。その度『向いてないと思うんだよね〜』って上手く濁してきました。『孤独死が怖くないの?』と言われるけど、例え看取ってくれる人がいたとしても死ぬ時は1人だし死は死だと思ってしまい、死後何週間も発見されない話をよく聞くけど、そんなのは実際死んだ側の人間にとっては関係ないと言うか、他人事のように感じています。でも、幸せに飽きるって言うその話、その話はとてつもなく怖いです。いつか自分の幸せを幸せと感じられなくなったらどうしよう。ずっと私の生き甲斐だった趣味に飽きが来たらどうしよう。これを取ったら私には何も残りません。もしこれからその飽きが来ても、きっと『なんか物足りない』を感じながらも、その感情に気づかないフリをして今まで通り過ごし、そんな自分に劣等感を感じながらも何となく生きていく事になりそうで怖いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
不安は真理からの呼びかけ~世間を超える道を求めよ
ご相談拝読しました。
その本に書いてあることは、誰かを幸せにする事の具体的な方法として配偶者や子供を例に挙げているのでしょうが、表現として配偶者や子供の方法がそれに限定されてしまうような印象を受ける点を除けば、まあ内容はもっともなことであるかとも思います。
しかし仏教的視点に立てばもう一歩といったところでしょうか。それがあなたがおっしゃるところの
>死ぬ時は1人だし死は死だと思ってしまい
これです。つまり「死」の問題ということです。つまり仏教が見ている視点としては世間のものを何を持ってきたとしても人間は満足しないのですよ、ということです。それでは間に合わないのですよ、本当の満足は得られませんよ、という教えです。
お金も健康も地位も名誉も仕事も、例にある配偶者も子どもも全て世間のものです。それはどれ一つバカにできない大切なものです。しかしどれも世間のものなのです。つまり因と縁(時と条件)によって移ろい変わる無常なものであり、当てにはならないということです。
どれも大切ではあるけれども、それは世間的な価値観の中においてであり、出世間(世間・世俗を超えたもの)までは突き抜けないのです。
なぜならばおっしゃるとおり私は死ぬ者であり、死ぬときには何一つ持っていけないからです。
お釈迦様はこのことに気づき、深く憂いて、そして世間を超える道を求めて出家されました。国も王位も財も妻子も置いて出家されたのです。それが生老病死・四門出遊のエピソードです。
私が老い、私が病み、私が死するというこの避けられない問題をどうするか
ということです。なぜ「死」があるのか、私が死ぬとしたらその「私」とは何かという出世間の問題です。
あなたが感じる『なんか物足りない』という感覚は、けして趣味や配偶者や子供だけで埋められるものではないのです。それくらい深い問いなのです。趣味に飽きるか飽きないか、結婚するかしないかという問いの奥底にもっと深い根本問題が横たわっているのです。
これは出家しましょうという単純なお誘いではありません。あなたのその感覚をどこまでも大事にしましょうというお誘いです。
あなたが本当に満足するのは何か?
あなたがあなた自身という存在に満足しない限り、どんな世間のもので環境・状況を埋めようとも無常の真理の前に不安が拭い去れないのではないでしょうか?
最強の趣味は仏道
今の趣味に飽きたときは、是非仏教を学んでみてください。
仏教、仏道は、最高最強の趣味になると思いますよ。
あとは、後悔しないという決意や覚悟を持ちましょう。
このハスノハの質問者でも、不妊に悩む人がいます。
晩婚の影響もあるのではないでしょうか。
何かのきっかけで気が変わって結婚した場合に、年齢的に難しいとなったときに、「なんでもっと早く子供を産まなかったのだろうか」と後悔しないように、今から主体的に、後悔しないぞと「決意」しておきましょう。