改名してはいけないでしょうか。
以前もこちらで質問をさせていただきましたが、度々の質問で申し訳ありません。長文となりますが、投稿させてください。
生後半年以上経つ娘がいますが、名前のことでずっと悩んでいます。
妊娠中に候補が絞れず、産まれてから夫の候補と私の候補から選び、最終的には夫の候補の名前に決めました。
しかし、決めた直後から「やっぱりいい名前ではなかったのでは」と思い、ずっと悩んでしまいました。古風すぎる名前、発音しづらい、ある犯罪者の名前に通じる、女性器に通じる…など、ネガティブな要素ばかり浮かんできてしまいます。
実際、人からは古風だと言われることが多く、おかしな名前を付けてしまったようで本当につらいです。
娘には大変申し訳ないことですが、今でもうまく名前を呼べません。
妊娠中から考えていた名前があったのに、なぜあの時夫の候補にしてしまったのか。もう何日か考えていたら違う結果になったかもしれないのに…と何度も考え、毎日涙が出ます。名前のことで悩まなければ、今までの数ヶ月を明るく過ごせたのに、と思います。
また出産後、夫の無神経さや無理解にものすごく腹が立ってしまうことが多く、より一層、夫の考えた名前が受け入れられないようにも思います。
勝手なことかもしれませんが、自分の考えた名前であれば、いい名前でしょう、と自信を持てたのではないかと思います。
名前に関してなぜここまで悩んでしまうのかずっと考えていたのですが、思い返すと、この世に生まれたばかりの子どもの一生にかかわる決断を自分が下すのがこわいような気持ちがどこかにあった気がします。私の気持ちの弱さゆえに、きちんと考えてこれがベストだと確信を持てる名前を贈れなくて、子どもに本当に申し訳ないです。
現状、子育てや家事にも支障が出ており、本当に勝手なこととは思いますが、こうして名前を呼べずにいるよりは、改名をして、母親の私がたくさん名前を呼んであげられる方がよいのではとも考えてしまいます。簡単でないことは承知しておりますが、通称として数年使用すれば認められる可能性があるようです。
娘が自分の名前を認識し始める時期を考えると、早く結論を出さなければと思っております。
私の性格、考え方にも問題があることは重々承知しております。ただ、娘の名前をネガティブな気持ちなしに、愛情を込めて呼んであげたいのです。まとまらない文章で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
責任転嫁
”現状、子育てや家事にも支障が出ており”
”夫の無神経さや無理解にものすごく腹が立ってしまうことが多く”
”自分の考えた名前であれば”
私には、あなたの腹のうち巣食う日頃の不満や鬱憤、今後の不安、ご自身の未熟さを子どもの名前のせいにしているだけのように感じます。もちろん厳密にいえば改名は不可能ではありません。しかしながら、まだ子どもは乳幼児で何も言えないこといい事に、もう済んでしまった事、事実上どだい無理な話などを持ち出しては格好の言い訳とし、ご自身の未熟さや不甲斐なさを正当化しようとしてはいませんか?子どもが大きくなって、他ならぬ当の本人が「この名前が大変気に入っている」とでも言おうものなら、あなたの言い訳や夫へ攻撃材料がたちまちのうちに消滅します。さて、その時が来たらあなたはどうするのでしょうか。
質問文から察するに、たとえこの先どんな流行りの名前にコロコロ付けかえたとしても、おそらくあなたの気が済むことはないでしょう。
ちなみに、お坊さんのみが閲覧できるプロフ欄に載せてあるお子さんの名前ですが、大変美しい響きで、上品でステキな名前です。
名前を呼ばれたら嬉しいものです。
ご相談拝読しました。以前にも一度ご縁をいただいておりました。
さて、基本的には名前自体に良い・悪いがあるわけではありませんし、名前によって人生が決まるわけでもありません。
では名前とは何かというと始まりは親の願いであり、その後はその人を象徴するもの(指し示すもの)になります。
ですから、親の願いを受けてもやがてはお子様はその願いから自分の願いを歩む人生へと進んでいくわけですが、それでも親がその子にかける願いを象徴するものである名前にネガティブなイメージを持っているのはお子様にとっても好ましいものではないのでしょう。
それはお子様が気に入らないかもしれないなどとお子様のせいにする話しではなく、ゆり様が気に入っていないことがお子様に影響するという意味においてです。
しかし、そのネガティブなイメージの原因がその名前自体かというと果たしてそうでしょうか?私の個人的な感覚では素敵なお名前だと思います。
ゆりさんはこれまでのご相談で人生の全ての選択に後悔しているということおっしゃっておりました。結婚のこと、恋愛のこと、お仕事のこと…今の夫婦関係、それらの後悔の全てを名前に押し付けてしまってはいないでしょうか?では名前を変えたら全て解決するのでしょうか?
本当はそうではないことはご自身でもよくお分かりのことと思います。
それでもどうしてもそのお名前を受け入れられないのならご主人とも、改名に関する手続きの関係諸機関ともよくご相談の上で検討してお話を進めてください。
これからゆり様にもお子様にも人生において苦労・苦難はいくらでもあるでしょう。それを名前のせいにしてしまうようなことがあればそれは悲しいことです。
そうはならないように、変えるなら変える、変えないなら変えないで、そのお名前を自信をもって呼んであげてください。ゆり様の願い、愛情を名前をとおしてお子様に伝えてください。
名前を呼ぶということは大事なことです。今はまだわからないから…ということではないと思います。本当は今からでも名前で呼びかけていただきたいです。
それがお子様にとっても、そしてゆり様ご自身にとっても大切な事なのです。名前を通して人は出会いを深めていくものですからね。
名前をたくさん呼べるために、よく話し合ってそして決断し、まずはゆり様が名前を受け入れましょう。そのために本当に必要な事をしてください。
ご家族でよく相談して
ご家族と相談のうえで改名を決めるのならば、良いのではないでしょうか。
ただ、仏教的な観点から申し上げたいことは、後悔は怒りの煩悩であるということです。
今のあなたの悩みは、もしかしたら、名前のせいではなくあなたの怒り(後悔)の煩悩のせいかもしれません。
そうだとしたら、名前を改名した後に、「なんで改名なんてしてしまったんだろう。」など、新たな後悔に悩む可能性があります。
ですから、名前の件に限らず、「あのときはあの決断がベストだと判断したんだ」と、後悔しないように決意をしましょう。
皆、未来はわかりません。
今ある情報の中で判断するしかありません。
後になって新たな情報を知って、あのときの選択は間違いだったとわかる場合もあります。
しかし、選択したあの時点で、そのときにある情報の中では、あの選択は間違っていなかったのだと思うしかありません。
それを踏まえたうえで、改名してもしなくても後悔しないと決意を新たにしてください。
古風な名前と気にされていますが、国際化の時代に、日本人らしい名前というのは悪くないと思います。
「太郎」という古風な名前で活躍している有名人もたくさんいます。古風な名前は、王道の名前と考えても良いでしょう。
外国人でマリーとかジョンとか王道な名前の人がいても、私達は「古風な名前だね」とか気にしないでしょう。
本当かどうかわかりませんが、田舎では昔は、便所(肥溜め)に落ちたら改名する、なんて話も聞いたことがあります。
また、お寺の檀家さんで、亡くなったときにご家族に本名を確認したら、普段みんなが呼んでいた名前が通称だったという人もたまにいます。
(本人が本名を気にいらなかったからなのか、理由はよくわかりませんが。)
つまり、改名したら改名したで、高齢の親戚なんかは「なんで改名なんかしたの」と気にする可能性があります。
ですから、家族や親戚に「事前に根回し」をしてから改名しましょう。
急いで自分たちの判断で改名したあとに、親戚から批判されたら、また後悔してしまう可能性がありますから。