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自分の性格について

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有り難し有り難し 11

仕事で責任ある役職に就き、自分なりに頑張ってみたのですが元々プレッシャーに弱いのと周りと比べてしまう癖があり今回元の職に戻させてもらうことになりました。

この決断をするときも「お世話になった上司に迷惑をかけてしまう」「途中で投げ出したみたいで情けない」など、色々と葛藤がありました。正直、戻るのが決まった今でも本当にこれで良かったのかと悩んでいる時間があります。

元の職には戻させてもらうのですが正直、今のまま働くのが辛い状態で仕事に行きたくない、人と話すのが嫌だ、一人になりたいと思うことが増えて来て「でも仕事だから」となんとか行っている状態です。

仕事を辞めた友達が今別の仕事ですごく楽しそうにしていたり、結婚している友達が子供がいて幸せそうだったりを見聞きすると、以前までなら自分も嬉しく思えていたのに最近では羨ましいと思うばかりでなんで自分だけという思いが先行してしまい余計苦しいです。

あの時の決断は間違っていたんじゃないか、あの頃に戻れたらと思う毎日で、自分の人生に対して悲観的で毎日が辛いです。無理に前向きに考えようとしてもなかなか頭が追い付いてきません。

そういう性格だからと割り切ろうとしても「なんで」「どうして」と考えてしまう自分がいてしんどくなります。

性格だからと諦めてしまうしかないのかもしれませんが以前のように人の幸せを自分の幸せのように思える心に戻りたいです。私はどう変われば良いのでしょうか。時間のない中大変だとは思いますが、お目通ししていただけると幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

絶対的な正解や間違いはないんですよ!

質問読ませていただきました。

ご自身の選択に後悔し、悩まれておられるのですね。
心中お察しいたします。

さて、世の中には絶対的な正解や間違いといったモノは存在しません。
たとえ同じ選択をしたとしても、ある人にとっては正解ですし、ある人にとっては間違いなのです。

それは考え方1つで変わってきます。

雪吹さんがご自身の選択について、「あの頃に戻れたら・・・」と思い悩み、心がふさぎ込んで前を向けないのであれば、その選択は雪吹さんにとって間違いだったのかもしれません。

しかし、「今度責任ある立場になっても大丈夫なように、今は元の職で経験や自信を培おう。それが自分のためだから、あの時の選択は正しかったんだ!」と思えれば、その選択は雪吹さんにとって正解なのでしょう。

たとえどんな選択をしても、どんな状況に陥っても、1つも無駄なことなんてありません。そこから学ぶことが必ずあるはずですし、その1つ1つが必ず自分の経験になり、新たな思考の元になり、糧となります。
しかし、「無駄だ」と思ってしまえば、そこから学ぼうとせず、本当に「無駄」になってしまうのです。

今回の雪吹さんの選択から学ぶことはきっとたくさんあるでしょう。そして、それについて色々悩み考えたはずです。
それらを今後に活かすべく前向きに頑張るかどうかで、今回の選択の意味は全く変わってきますよ。

雪吹さんはまだお若いですので、これからたくさん色んな経験をされるでしょう。
全ての経験が雪吹さんを成長させ、そして雪吹さんが豊かな人生を歩まれるようお祈り申し上げております。

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有り難し
おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
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「自分を・性格を変えたい・直したい」問答一覧

生きづらい悪い性格を良くしたいです

自分の悪い性格を変えたいです。 私は咄嗟に出た言葉で人に勘違いをさせて嫌な思いをさせてしまうことが多いです。私は傷つけるつもりで言ってなくても、言い方や表現が悪いせいで相手が傷ついてしまいます。 それだけでなく、わざと傷つけるような発言をしてしまうこともあります。これは私の性格が根本的に悪いことが原因だと思います。 子どもの頃から怒りっぽい性格で、イライラして暴れることもありました。それくらい性格がもともと悪いということです。 両親の仲がよくなかったことや、転校して不登校になったことも悪い性格の原因のような気もしますが、そういった辛い出来事がなくても、きっと根っからの悪い人間です。 数年前に気分障害になってからさらに性格が悪くなりました。 人のせいにすることも多くて、ネガティブな考え方ばかりして、すぐに怒って、愛情を持てません。自分の利益ばかり求めて、人のために何かをすることができません。 だから仏様はどうしようもない人間の私が人を傷つけないようにそばにいてくれているのだと思います。 穏やかで優しい人を見ると、うらやましくて、憧れと嫉妬もあって自分がとても惨めに感じます。良い人の周りには良い人が集まるという考えがあります。それならば私は悪い人間だから私の周りには誰もいないか、悪い人だけ集まるということなのでしょうか。 どうしたら穏やかで優しい人に変われるのでしょうか。仏教の勉強をしても、実践が難しくて、頑張っても悪い性格が治りません。 良い性格になるための教えがあったら教えていただきたいです。 わかりにくい文章でごめんなさい。 頭が悪いから、人に伝えるのが下手です。 まだ20代前半で、これから長いこと生きて行く可能性も高いのに、今のままでは生きていくことが辛いです。

有り難し有り難し 7
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寄り添ってもらえなかった心

こんにちは。 いつもお世話になりありがとうございます。 季節の変わり目のせいか、自分が更年期も含めて不調なせいか、気持ちが落ち込む日が続いています。 ふと振り返ると、義理の両親との同居生活で辛かったとき、夫は仕事に集中していて私の苦労には無関心で寄り添ってくれませんでした。 孤独で責任感に押しつぶされそうでも他人事のようで、その姿に怒りや悲しみでいっぱいでした。 また実家の父が亡くなった時には、母は自分一人が悲しみのパニックに陥って、一緒に悲しみ苦しかった私を一度も気遣うこともなく、亡くなってからもそれは続き『共に』という考えはなく私には寄り添ってはくれませんでした。 いろんな悲しみや辛さを一人で心の中にしまいこみ、寄り添うべき相手から寄り添ってもらえなかったことが今でも深い傷になっています。 後になって相手に私の気持ちを打ち明けてみれば、一応形だけは反省する気持ちを見せてはくれますが、どうしてもその時の癒しにはなりません。 誰にも精神的な力になってもらえなかったことは、今生きていることへの無力感や虚しさにとても大きな影を落としている気がします。 どうしたら自分を立て直すことができるでしょうか? なにかお知恵をお貸しいただけたらと思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
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強すぎる規範意識に苦しんでいます。

神経質でルールに厳しいところがあり、グレーを許せない性格をしています。強迫性障害として現在は治療も受けているのですが、根本的に物事の捉え方を変えたいと思っています。 法律はもちろん、例えば「取扱説明書」に書いてある指示や、「利用規約」、会社の規定など、言葉に表されたルールや指示が存在すると、自分の行動がそれに反していないか、あるいは過去の行動がそれに反していなかったかと何度も言葉の解釈を検討したり人に聞いたり確認したりを繰り返してしまいます。 もちろん明らかな犯罪行為とか、他人に迷惑がかかるマナー違反などはやるべきではないと思いますし、ルールを守る意識があること自体はむしろ良いことだと思います。 しかし世の中、取扱説明書や利用規約は読まない人のほうがおそらく多いですし、はっきり言って商品の説明書の注意事項など、書いてあることを言葉通りに受け取って厳密に解釈・実行していたら、まともに生活ができなくなるんじゃないかと思うほどですよね。 とは思っているのに、「この充電の方法で合っているのか?」「この洗濯の仕方で良いのか?」などと細かく確認し、少しでも疑いがあるとやり直したり、厳密に正しいと言えるやり方に限定したり、どんどん生活が不自由になっています。(普通に考えて、ただのシャツを1枚ずつ個別に洗濯機で洗ったり、家で延長コードを全く使わなかったりする人なんてこの世にいるんでしょうか。) そして、誰かに迷惑がかかったり、事故が起きたりしたわけでもないのに、自分がとても悪いことをしているという意識に苛まれます。 最近は、数年前に知らずに法律違反を犯していた可能性があったことがきっかけで、知らない法律や規則があって、自分の行為は実は禁じられているのではないかなどと考え事をしたり調べごとをしたりする時間が増えました。 元々の性格もあるとは思いますが、少し前まではもっと大雑把な感じだったと思っていて、もう少し気楽に生きたいです。杓子定規により厳しい方に決まりや指示を解釈し、自分を縛るのをやめ、なんでもないことに罪の意識を感じたりしないようにしたいです。 治療も続けていますが、波はもちろんあるものの全体としてはあまり改善している印象がなく、考え方や物事の捉え方を変えたいです。もちろん医師にも相談はしますが。 何とか肩の力を抜いて生きられるアドバイスをいただけないでしょうか。

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