働くのが怖いです
自分が他者の中で働いている姿をイメージ出来ません。
自己肯定感が低く、指摘を受ければ攻撃されたと思い、他者は自分のことを否定する存在です。
なので、皆で助け合い仕事を行うということが自分にはよくわかりません。
もう人の中で生きていたくないです。それは自分の平常心を保つことができず、心が乱されるのが嫌なのとどう自分が振る舞えば良いかわからないからです。
昔も同じ事を思っていましたが、やってみようという気持ちの方が強かったです。それは、自分がどういう人間か全くわかっていなかったから自分はやればできると錯覚出来たのだと思います。でも、前職も鬱状態になり、辞めることになりました。
私には、自分は出来ないからがむしゃらにやるっていう気持ちが足りないみたいです。出来ないくせに努力する気持ちが湧かないです。ただ拗ねているだけかもしれません。
どんどん年齢だけ重ねて、自分の精神レベルが見合っていないのが本当に辛いです。だからといってどうしたらいいのかわからないです。経験しなければ(学ばなければ)いけないことを経験らずにここまできて、確実に自分には何かが欠落していますが、それが何なのかわからず、今更どう補ったらいいのかわからないです。
それを考える度に自分が憎くて仕方なくなります。こうなってしまったのも馬鹿で幼稚な自分の責任。
その裏で親や周りのせいと思いたい自分もいます。自分が愛されてるって自覚して育つことができたらこのような問題を持たなかったのではないかと思います。
それにしても、ある程度成長した時点できちんと現実に目を向けられていたらこんなことにはならなかったので結局は自分が何もわかってなかっただけ。
何が(誰が)いけなかったのか。そればかりを考え過去に囚われているだけですが、それでも、ことあるごとにその思いに苛まれ辛くなります。
もうこの問題をどう解消したら良いかわからないです。
今自分が抱えている問題を解決しないとまともに生きられない気がして。だからといって、どうしたら良いのかわからず前に進めずにいます。
どうしても今の気持ちを持ったまま生きていくのは嫌です。この気持ちを抱えて生きていくくらいなら逃げでも甘えでもいいから死にたいです。
本当に生きてるのが辛いです。
何でこんな風になってしまったのか自分でも訳がわからなくてただ辛くて仕方ないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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放てば手にみてり
プライド捨てましょう。失敗してもいいじゃん。人間失敗する生き物です。機会だったエラー起こすでしょ。それは当たり前のことなんです。
努力したらその分は結果になる。それも当たり前。やらなきゃ何にも変わらないのです。
自分を捨てるのです。こだわる自分を手放すのです。放下著といいます。放てば手にみてりともいいます。プライドなんか捨てて、こだわりも捨てたらそこに心の豊かさが残るのです。
考えていても変わらないのです。失敗覚悟でやるしかないのです。人に気に入られようが何だろうがあなたの信じる道を貫くのですよ。敵なんか始めからいない。自分で作らなければいいのですから、みんなのことを敵とすることなく、安心してチャレンジですよ。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり申し訳ございません。
アドバイスありがとうございます。