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人と立て続けに疎遠になる意味と、その喪失感の埋め方

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最近立て続けに人と疎遠になります。
疎遠になる理由と、その喪失感の埋め方を教えて頂きたいです。

私は現在、大学四年生です。
就職も無事決まり来年から社会人になります。
それまで真面目な学生では無かったので人より頑張らないと、と思い遊ぶ事も辞めて就活と卒業単位取得に集中していました。

面接のために見た目も磨いたので就職活動する前と後では大分見た目も中身も成長したと思います。
その頑張りのおかげで、こんな不真面目学生な私でも無事就職活動を終えることが出来ました。

就職活動を終えたので、遊べなかった人達と遊ぶとなんとなく違和感を覚えました。
ハッキリ何が違和感なのかは分かりませんでしたが、結局その時遊んだ長年の友人に連絡を絶たれてしまいました。これには凄く落ち込みました。

就職活動を終えた辺りから人間関係が一気に変わったように感じます。
長年の友人の後にも何人か疎遠になりました。
そして今仲良くして貰っている友達は皆、就活を乗り越えた仲間です。

人と立て続けに疎遠になるのは、新たな出会いがあるからでしょうか?
それは希望かもしれませんが、そう思っていないと寂しさでいっぱいになります。
そしてこの寂しさをどう埋めたらいいのか……。

時間が解決するとは思うのですが、立て続けに人との御縁が切れたので、寒い季節も相まって気持ちが沈む日々です。

これを読まれたお坊さんの解釈と、喪失感や寂しさの埋め方、紛らわし方をお伺いしたいです。

拙い文章で失礼致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

環境に合わせて、新たな縁が生まれますよ!

質問読ませていただきました。

長年の友人達が離れていく喪失感、とても辛い思いをされておられるのでしょう。
心中お察しいたします。

さて、人との関係は距離や環境が大きく関係してきますよね。
離れた場所にいる人と、近くにいる人では、やはり近くにいる人の方が密に関係を築くことが多いでしょう。
また、環境が変われば、お付き合いする友人も変わってくるものです。

特に、人生において大きく環境が変わる時期というのがあります。大学生から社会人になるというのは、まさにそのときです。学生というある意味守られた立場から、社会人という現実社会の荒波に入るという立場に変わることを考えれば、その環境の変化たるやものすごいものです。

その環境の変化の中で、離れていく縁もあれば、新たに結ぶ縁もあります。
喪失感や悲しい気持ちもあるでしょうが、まずは新たに結ぶ縁を大切にし、白檀さんの晴れやかな未来に希望を抱いてみて下さい!

また、友人と疎縁になる意味ですが、絶対的な意味はありません。そこに意味を与えるのは白檀自身です。
友人達との付き合いから色んな事を学び、そのおかげで自分は成長できた、とそれまでの関係を糧に出来るなら、今までの付き合いはとても有意義なモノだったのでしょう。
しかし、長い間付き合ってきたのに、疎縁になるなんて無駄な時間を過ごした、なんて考えるのなら、今までの付き合いは白檀さんにとって本当に無駄なモノになりかねません。

過去を良い思い出とし、そこからたくさんのことを学び、さらにこれからの縁を大切にしていければ、必ず幸せな未来が訪れますよ!

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京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
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アイベツリク。。。(´・ω・`)

四苦八苦という言葉があります。hasunohaの「相談カテゴリ-四苦八苦 Sick Hack!-」の四苦八苦です。これはお釈迦さまが嘆いた人生の思い通りにならんことビッグ・エイトが原語です。その中に愛別離苦が挙げられます。アイベツリク。別れって思い通りにならないよね(´・ω・`)という意味です。解釈も何もそれだけのことです。あるある探検隊。お釈迦さまでさえあるあるです。ちなみにお坊さん達は日頃、「物事に脳内で意味付けしてんじゃねーぞ!事実に生きろ!!」って回答してるんで、ソコんとこ夜露死苦(90年代ファッション)。

まぁ、ぶっちゃけね…あなたが変わったということは、あなたにとってプラスなことでも、お友達からすれば寂しいことだったのではないかなと思いますよ。仏教の考え方ではありませんが、巷では「同じくらいの程度の人としか付き合えない」とも言われます。いろいろ否定したい思いはありますが、まぁそれが人情だよなとも思います。
こういうことは人生の中でしばしばあります。例えば「ずっと仲良しグループだったのに、出産したグループと未婚のグループで話が合わなくなって自然分裂しちゃった…」とか。哀しいけど、これが人生なのよね。

こういう時どんな顔すればいいか?泣けばいいと思うよ。悲しんでいい。沈んでいい。そこで何も感じないでハイ次っ!ハイ次っ!ってケロッとしてる人、僕は好きじゃないっス。ケロッとしてるようで悲しんでるツンデレちゃんは嫌いじゃありませんけど。

本当はね、どんなに変わっても一緒に喜び合える関係が理想なんです。仏教的に言っても。でも、それが出来る人は決して多くありません。そんな心で溢れる世界にするために、私は仏教を説いていきたいです。

あぁそうそう、横山光輝さんの三国志で、徐庶(ジョショ)さんが孔明(コウメイ)さんに嫌われた時、徐庶は「すまない。だが今はどんなに謝っても聞いてくれまい。いつか謝る機会も巡って来よう。」みたいなことを呟いて去ります。子供心に印象に残ったシーンでした。別に私もあなたも謝るようなことはしていませんが、私はそんな風に「また仲良くなる時も巡って来よう」と思って、気にすまい気にすまいとすることがあります。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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