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孤独を認める

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私は精神障害者です。16歳で統合失調症になり現在52歳です。社会に出て働いたこともなければ結婚もしておりません。今は父と母と私の三人暮らしです。

2歳年上の兄と2歳年下の弟がいますが結婚して関東に住んでいます。統合失調症になり高校を中退して通信制の高校を5年かけて卒業して2年間専門学校に行って介護士の資格を取りましたが統合失調症が治らないため就職はしませんでした。

それから病院のデイケアに通ったり家で毎日ゴロゴロしたりそんなこんなであっという間に52歳になりました。友達はほとんどいません。

病院のデイケアで会って20年続いた女友達がいましたが些細なことから電話で口げんかして別れました。来年の年賀状は書く予定はありません。

週一回病院の診察日にデイケアに行きますが皆スタッフもメンバーも優しいです。心が癒えます。只毎日毎日家にいます。本当に心を開いて交流できる人が欲しいです。

このメールを書いていても果たして返信が来るのか不安です。何か頼れる人信じられる存在が欲しいです。お釈迦さまは己を頼りにせよと言われたそうですが、それではめげそうです。

出会いの場所を見つけたらとも言われましたが私の住んでる田舎町ではそれもありません。精々病院のデイケアです。人間関係に満たされない思いを抱えてこれからの人生の午後を生きていく。

子供の頃から結婚をしたらとか大人になって家庭を築いたら幸せになれるかと夢見ていましたが夢で終わりそうです。お坊さんは出家をして生涯独り身を通される方もいらっしゃるそうですが寂しくありませんか。私は孤独です。

喧嘩別れした女友達も思い起こされますが彼女に頭を下げるつもりはありません。プライドが邪魔するのです。妄想もあって色々頭の中は賑やかなのですが、ふと一人に帰ると寂しいです。

孤独の中を生きる道、寂しさを癒す方法をお教え願えないでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

孤独はどこからはじまるか?

釣りキチ三平様、ご相談拝読しました。

仏様の教えでは私たちは孤独の存在であると言い当てられています。しかしそれではおっしゃるように寂しさに耐えられないのも私たちです。だから何かを持ってきて埋めようとする。けれど何かやはり埋まらない…それは迷いの中でやみくもにもがいているからなのです。

孤独の中を生きる道、寂しさを癒す方法があるとするならば、それは自らの姿、自らが迷っているのだと知ることです。ご質問のタイトルの「孤独を認める」ということとも通じるでしょう。

何か頼れる人信じられる存在がどこかにいると思い迷い続けるならばそれは「夢」でしかありません。
私の事を理解してくれて、支えてくれていつも寄り添ってくれる、なんでもわかりあえる人、そんな人は世界中どこにも存在しないのです。

なぜならば、この私自身が他人のことはわからないからです。それが何よりの証明です。
私が誰かのことをわかってあげられないのに、どうして他人が私のことをわかってくれるでしょうか。私が誰かの事をわからないように、誰かは私の事がやはりわからないのです。

他人を「あの人はああだから」「この人はここがちょっと」と裁いていく姿勢はその自分の姿があきらかになってこそ懺悔されます。

私も誰かの事を全くわからないくせに裁いていたなあ

それに腹の底からの頷きを得た時、わからないままに自分と関わってくれた他者への感謝が芽生えるのかもしれません。自分もわからないままに誰かの事を認めて関わってみよう、そんな促しに預かるかもしれません。

それでも私たちは迷いの中にいることにはかわりませんからどこまでもぶつかるでしょう。ケンカもすれば嫉妬でも何でもするでしょう。

その私たちをいつでも平等に見る目は仏様にしかありません。私もあなたも仏様に共に願われているのだなあとの目覚めが、私もそのようになりたいとの促しとなってくるのです。

私自身から始まる「誰かと共に」という姿勢はいつでもご都合主義です。仏様こそが本当に「共に」という願いをお持ちです。仏様の願いに触れてこそ、嫌いな人とは嫌いなままに、孤独な自分は孤独なままに、共に救われていくはたらきに包まれるのです。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

私の質問にお答え有難うございます。お答えを全文読んで引っかかった言葉は目覚めです。仏の教えで一番よく聞くのはあるがままです。仏と共に生きること。同行二人と言うのでしょうか。よく私は結婚出来たら幸せになれるのにとか優しい親友がいたら寂しくないのにとか思っていました。それは一種のエゴなんだなと感じました。仏の願いとは真に誰か特別な人を見つけることではなく、自分の現実に立ち返ることなんだなと思いました。有難うございました。

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