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性格について

回答数回答 3
有り難し有り難し 34

こんにちわ、初めまして。

自己紹介に大まかに書いてありますが、
私はあまり「自分」というものがなく、特定の人物(親兄弟や彼女、尊敬する先輩等)の為に努力し、相手の喜びやありがとうが私の喜びに直結しています。

去年年末頃に、5年近くお付き合いしていた女性と別れました。
元々離れて生活していたため、日常生活自体へのダメージは少なかったのですが、私のモチベーションである「特定の人物」がいなくなってしまったことで、いろいろな面で精神的なダメージが日々積み重なっています。

私は高校卒業より海外に留学し、大学卒業後そのまま現地で就職しており、家族とも離れて生活しています。そんな中で昨年お付き合いしていた女性と別れたため、私の性格も相まって今現在一体何のために日々の生活を送っているのかがよくわからなくなってきてしまいました。

今はSNSなどで友人ともお話しはできますが、部屋の中で一人でいる孤独が怖いです。
何より、自分の為に何か行動を起こそうと思ってもモチベーションが続かず、自分が頑張るために新しい「特定の人物」を探そうとしている自分がいます。

私は自分のこのような性格は嫌悪も否定もしていませんが、この機会に少しだけでも自分の為に努力し、自分というものを少しでも明確にしたいと思っています。

以上まとまらない文章で誠に申し訳ありませんが、なにかアドバイスを頂けたらと思っています。
宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分磨きもいいですが。。

自分のための呼吸だけど、
呼吸して行動した結果が誰かのためにもなっている。
誰かのためにやってたことだけど、実は自分のためにもなっていた。

海外での生活とお聞きしました。
現地の人々の価値観が個人主義ならば、自分と他人を明確に分けて主張する必要も出てくるかもしれませんが、
他者との関わりの中で自分のいろいろな一面に気づく世界もありますよ。

身体がダメージを受けた時は休養して回復を待つ。
何かをすることでなく休養すること、回復することに意味がある。

心が悲しみや受けたダメージを回復するために今がある。

まずは、心身をご自愛くださいませ。

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泰庵  一法
「変えるべきは自身ではなく歩む方向」「時間とお金の使い方」「向きが変われば...
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「自利即利他」の精神で、もっと広い視点から。

亀山純史と申します。
自分自身、自分のためになすことが、他人のためにもつながるような行いを目指したいものだと思っています。仏教ではこれを「自利即利他」と言います。自利だけでも、利他だけでも駄目なのです。自利だけ、または利他だけ、それらは共に自己満足の世界だと思います。自利がそのまま利他になる、利他がそのまま自利になるような関係が望ましいのです。なぜ、利他だけでもそれが自己満足の世界になるのかと言えば、利他だけの世界は自己犠牲の上に成り立っており、自己犠牲はその見返りを期待する性質を持っているからです。つまり、利他だけの行為は、相手から感謝されることを期待している行為だということです。せっかく相手のことを思ってやったのに、相手からは感謝の言葉もなければ、悲しくなりますよね。それが自己満足を追求する心なのです。ですから、たとえば家にケーキがあったら、自分一人だけで独り占めしない。また、自分は食べるのを我慢して家族に分け与えるのでもない。自分も含めて、家族のみんなで「おいしいケーキだね。」と話しながらいただくこと、それが理想だと思います。(もちろん、親の立場になれば、自分は食べなくていいから、と言って、子供たちに食べさせることはあると思いますが…)
さて、今回のご相談に対してですが、「特定の人がいなければならない」とするところに、自己犠牲による自己満足の世界を感じてしまいますがどうでしょうか。もっと広い視点からの人のために何が出来るかを考えることは出来ないでしょうか。たとえば、地域社会への社会奉仕とか。広い視点からの行為は、あなた自身の学びの場にもなることと思います。もっと広い視点から、自分には何が出来るか考え、そして行動を起こしてみませんか。
以上が私からの回答です。お役に立てれば幸いです。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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それは「特定の人物」という「自分」ルール

それはぶっちゃけマイルール、自分ルール、オレルール、オレ設定っているのです。
あなたもふたを開けてみたら「あなたの理想とする特定の人」から軽くズレませんでしたか?
だからオレ・ルール通りじゃなくなってしまったが為に、しょぼん、と落ち込んでいるのかも知れませんよ?グサリ
自分にとっての理想の人、自分にとっての特定の人に対する情愛は、とてもセルフセルフセルフしたものです。完全なマイワールド。幻なのです。私はそうでした。
思い込み、理想が強すぎたのです。
「❝幻❞滅」ということばが、ピンときませんか?
おれの幻が音を立てて、くずれたァっ、という感覚がありませんでしたか?
それこそ!それぞまさしく!マボロシ、マイ幻、セルフ幻、オレ幻の失われ。崩壊。幻滅なのです。
幻滅という言葉は奧が深い。
自分が最初から思い描いた、独自の世界だったのです。
だから、それが無くなって苦しいのは、相手が無くなったからではない。
自分のマイルールが壮大過ぎたと言ってもいいのではないでしょうか?
それに気づけたとしたら、それは今後の人生において大変有用です。
マイルール・マイ幻想なきひとは傷つくことが無くなります。
人間はマイルールあるから、マイルールに縛られ傷つき、マイルールに参るーるするのです。
あなたはとても計画的な人ですが、それが時に自分独自のマイルールをつくっている事を知るべきかもしれません人かもしれませんがそれもマイ幻想かもしれませんが、当たっているかもしれませんし外れているかもしれません。こういうのも幻の一種です。

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質問者からのお礼

3名もの方に回答をいただき、誠にありがたく、感謝いたします。
泰庵様
誰かのために、という思いが強かったのは過去にその行為で心が満たされ、得るものがあったからなのだと思います。それこそが泰庵様のおっしゃる純粋な人のためにやったことが自分の為になったことなんだと思います。その思いに味を占め、自分で壁を作り、考えに固執していたのかもしれません。ゆっくり、初心を忘れずに行きたいと思います。ありがとうございます。
亀山様
「自利即利他」しっかりと心に刻み込みたいと思います。
自己満足、まさにその通りだと思います。そしてその思いに打ちひしがれていました。
自己満足でもいい、そんなことを頭で考えても心のどこかで拒んでいたのかな、と亀山様の回答を拝見して思いました。人のためにがんばる、このことは悪くないことだと思いますので、視野を広く持ち、「自利即利他」になるよう心構えて行きたいと思います、ありがとうございます。
丹下様
自分ルール、ドキッとしました。まさにその通りだと思います。
自分が傷つくのを極度に恐れ、そして自分の中に幻を作っていたんだと思います。
そしてその幻もただ自分が描いただけの妄想で、現実と幻の差に苛立ち・がっかり・失望していたんだと気づきました。これからは現実を現実として受け入れられるように成長できるように、しっかりと心構えていきたいと思います、ありがとうございます。

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