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頑張れない自分、自分が嫌になりました

卒業論文を執筆中で、提出期限が残り僅かでもう書き直しは出来ない状態です。かなり適当な論文です。
こんな論文になったのは私の怠慢が原因です。ゼミで落ちこぼれ、就職活動を言い訳にし卒論に取り組むのが遅かった私は、時間が無いからと教授に言われ、自分の考えていたテーマとは全く違うテーマで研究をすることになりました。皆が自分の研究を頑張っているなか、楽な研究をし、適当に論文を書き上げました。先生にもどうせもう呆れられているから...と。しかし今になって、なぜ諦めてしまったんだろう、執筆が遅れたなら取り戻そうと必死になってやればよかった、と後悔でいっぱいです。ここまで指導してくれた先生、大学に通わせてくれた親、頑張っていたゼミの仲間、色んな人への申し訳なさと罪悪感で押し潰されそうです。なぜ私は頑張れないんだろう、努力できないのだろう、必ず後悔するのに、いつもそうです。頑張ろう、努力しよう、とずっと思っているのに出来ない自分が嫌で嫌でたまりません。皆が出来ていることが出来ない、自分は欠陥人間なんだ、と辛くてたまりません。昔から好きなことは一生懸命になれました。でも嫌なことや難しいこと、これこそ努力すべきということが全く努力出来ません。ただただ自分は駄目人間だと自己嫌悪する日々です。変わりたい、とずっと思っていて、結局今も変われない自分が情けない。お恥ずかしいですが、助言を頂けたら嬉しいと思い、書き込みました。稚拙な文を最後まで読んで頂きありがとうございます。

後悔・自己嫌悪
有り難し 21
回答 2

質問投稿日: 2018年12月4日 12:12

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

ダメな人などいない

ご相談拝読しました。

私も大学の卒論は考査に通ることを第一目標としてしまい、まあそれなりにという感じで仕上げ、やはり後悔はありました。考査後はこれで良しとせず卒業後も自分自身でこのテーマについて考え続けようと意気込みましたが、就職後はなかなかそうすることもできず、今こうしてお寺に帰って来てからようやくそのテーマに取り組んでいる状況です。

それから私の友人には大学に8年通いましたが卒業できず、それから短大に入り直した人もいます。

何が言いたいかと言うと、他人にはできるがりなこさんにできることもあれば、りなこさんにはできても他人にはできないこともあります。社会はそのバランスで成り立っています。

しかしこれから就職して何らかの職場に所属すると、その場の中でこのバランスをとっていくことが求められます。すなわち、できないこと(苦手なこと)もそれなりにできるようにならなければいけないということです。

りなこさんはその大事な事に卒業前にきちんと気づけたのです。その気づきから次の一歩が始まります。自己嫌悪していてももう卒論という提出期限があるものについてはやり直すことは難しいでしょう。しかしこれからの人生は違います。これからどうするかが今回の経験を活かすこととなりますよ。

これからの人生においても自己嫌悪すること、情けなくなることはきっとあるでしょう。

明石家さんまさんの名言に

「俺は、絶対落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているから、うまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん」

とあります。これを仏教的にみるならば、過大評価した自分というのは「頭の中の理想の自分」であって今・ここの現実の自分ではないということです。
理想の自分を本来の自分と捉えて、それができない現実と比べると落ち込んでしまいます。でも本当は今このできない自分が自分なのです。

そこを受け入れて、今の自分を冷静に客観的に観察しましょう。そしてそこからどうすべきか、どうしたいのかという道筋をつけていきましょう。

長い目で見れば人生に無駄はありません。大学と言う枠内で考えず、これからに活かしていきましょう。
ダメな人などいないのです。いるのはダメだという思いにとらわれた人なのです。

5ヶ月前

嫌いなことはそれなりに

りなこさん、はじめまして。質問を拝読しました。

りなこさんは卒論の締め切り間近ですが、適当な内容の卒論になってしまったことを後悔しているのですね。もっと頑張ればよかったけれど、諦めてしまったのですね。

りなこさんは頑張ろう、努力しようとしてもできないことが多いのですね。でも、好きなことに関しては努力できるのではありませんか?イヤなことや嫌いなことに取り組み努力をして克服することも必要なことでしょう。しかし、それ以上にりなこさんが得意とすることを伸ばしていくことが社会の役に立つのではないでしょうか。

真言宗の宗祖である空海は、学問に取り組みました。でも学問では人々を救えないとして仏教の道を選びました。空海は学問の道を究めていくこともできたはずですが、あえて仏教の道を選びました。空海にとって仏教が得意だったからです。

嫌いなことはそれなりに、得意なことは誰よりも伸ばして社会に貢献されることを祈念しております。

5ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

ご回答、拝見しました。お二方ともありがとうございます。
中村太釈様
嫌なことはそれなりに、得意なことは伸ばして…なんだかすっきりしました。それなりでいいのだと思ったら、少しづつ頑張れそうな気がします。まずは「それなりに取り組む努力」をしてみたいと思います。ありがとうございました。
吉武文法様
今出来ない自分が本当の自分、それを受け入れる。確かに今まで出来ない自分を受け入れられなかったです。まずは自分を受け入れ、その上でこれからどう行動していけばいいのか、しっかり考えたいと思います。ダメな人間などいない、とても勇気づけられました。ありがとうございました。

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