女性が殺されるのが好きなんです
私はかなり変わった性癖を持っています。
俗に言うリョナ好きというやつです。
私は女性、特に若い女性が殺されたり血を流して傷ついているのを見るのが好きです。
アニメ、実写物問わずです。
大人だけでなく、中高生の女の子が殺されるのを見たいと思うこともあります。
ですが、知り合いの女性(特に同年代の女の子)が殺されるのだけは、考えるとすごい怖くなります。
それだけでなく、その女の子が何か怖いものを見て怖がっているのも見たくありません。(キャーキャー言って怖がっているなら大丈夫ですが、本気で怖がってるのを見るのがダメなんです)
そこから転じてか、ヒロインが死んでしまうようなお話もあまり好きではありません。
自分とは何のかかわりのないキャラや女性が殺されるのは好きなのに、それが自分の知り合いになると途端にダメになるそのギャップが非常につらいです。
どうにかリョナ好きな性癖を改めてこのギャップを解消したいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
性癖や趣味も自分で開発し、調節したいものです。生活環境や自分の心の健康に繋がらなければ、逆に苦になるだけですものね。
かと言ってリョナ性癖を無くそう無くそうとしてどうにかなるものではないでしょう。そんな時は逃げ道を作ります。 他に性癖を開発してしまう。と言っても別にノーマルなジャンルで興奮しないとは書いていらっしゃらないので難しいことではないかもしれません。
私は幼い頃、スターウォーズの戦闘機、Xウイングが大好きでした。恐れ多くも先の大戦を生き抜かれたお檀家さんに
「Xウイングってカッコいいんだよ!戦いになったら羽が開いてXになるんだよ!」
「羽がペケの字に開くんか?敵の弾が当たりやすくなるじゃろうに、何でそんなことするんじゃろうか」
「それは…羽が開いてあっちから撃ったりこっちから撃ったりした方が強いじゃん!」
「そんなにちゃんと狙わずに撃ったら当てられんじゃないか」
「でも、でも、敵の弾が羽と羽の間にシュッてなって当たらないから強いじゃん!」
「そんなモンかのう…」
「そうだよ!」
と釈迦に説法したほど好きでした。
しかし、思春期に入ってから久々に見た瞬間、「何だこれ、先っぽ亀頭付いてんじゃん」と感じてヒドく萎えました。
ところが、今はどちらもお年頃だっただけだなぁ…と感じます。
人の感性なんてそんなものです。追いかければ追いかけるほど増幅してしまいますが、しばらく放置プレイしておけば落ち着くものです。
坐禅でも「頭の中に1が湧いても、2や3に膨らませないように1のまま放っておけ。そうしたらいつの間にか消えてしまう」と教わります。仏教的な手法です。
リョナを否定するのではなく、多趣味になって引き出しの1つに過ぎないものにし、放置しましょう。だからと言ってグロとかネグロイドとかに走らないよう、ご開発は計画的に。
見て終わりでなく。
変わりたいなら。。。
私たちお坊さんほどの頻度でなくても、、
祈る時間を持ってください。
念じる時間を持ってください。
ほんの数十秒でもいいです。
見て終わりでなく、
空想の世界であろうがあなたの頭の中で死んだままになっている人々のために。
本気で怖がるほど嫌だった実在の人々のために。
ギャップを治したいと本気で願うあなた自身のために。
なまんだぶつ。
自分と他人に線を引いている
一般的に自他というと、自分と他人を分けて考えている事が、根本にあり、他人を時として敵と見ることもあるのです。
国や性別、所属などにより線を引いています。
曹洞宗の開祖である道元禅師は自己に対し他己と表現されてます。他の人も己としてみる人間本来のあり方に気づかれたのです。それがお釈迦様の気づかれたお悟りです。
あなたのその趣味がただの妄想の範疇で済めば良いのですが、犯罪にまで発展してさしまいそう、自分を抑えられないというのであれば、病院に相談されると同時に、禅を学ばれ、他己を大切にする心に気づくことが、重要かと思います。
質問者からのお礼
皆さん回答ありがとうございます。 時がたてば落ち着くものですか…そうなってほしいです。今はとりあえず、いつか落ち着くことを願って、これ以上に悪化させないように過ごしていきたいと思います。 自他の間に壁をつっくているというのは、その通りです。大いに自覚があります。
たとえ想像の中にいた人であっても、私が存在させてしまったのだから分け隔てなく想いをはせてあげよう。難しいだろうけど、そうなれることを目標にします。 そうですね、祈る時間を、それによって自分を戒める時間を少しでも作っていきたいと思います。
追記:改行したように見せたつもりが、うまくいってませんでした。読みづらくて申し訳ありません。