自分のダメさを受け入れるには
はじめまして。
現在卒業論文を書いているのですが、ぎりぎりまでまともに資料も読まず、論文と呼べるようなものにはなりませんでした。もしかしたら卒業もできないのではないかと考えています。
なぜ、そうなるまで何もしなかったかというと、自分は頑張らなくても優秀だから卒論くらいできるはず、という思いが根拠もなくあったのと、その反面研究を進めていく中で、できない自分に気づくのが怖かったからなのかなと思っています。
私は昔から根拠なく自分は頭がよくて、優秀で特別な人間なはずだと思っていました。しかし実際は正反対で今まで生きてきて人並みにできたこと、特別優れていたことは何もありませんでした。
また、今まで何かに挑戦して挫折した経験がなく、失敗しかけても寸でのところで何とかなってしまい、やっぱり私はできる人間なんだという考えを強くしてしまいます。大学もまぐれで努力せずに実力以上のところへ入学しました。
はじめて自分の出来なさを思い知らされることになりそうで、非常に怖いです。
開き直って、だめだったらだめで、それが実力なんだから、また来年ちゃんとやり直せばいいと親には言われています。それでも踏ん切りがつきません。失敗し、それが自分の実力だと認めるのがとても怖いです。
体裁だけを整えたボロボロの論文を提出することになりますが、仮に今回卒論が認められたとしても、また、やっぱり自分は優秀なんだと思い込むのが目に見えていています。それにこういう時だけ、反省のようなふりをする自分が嫌になります。
どうすれば、この思い上がりをただして、自分のダメさを受け入れることができるようになるのでしょうか?
長く、まとまらない文章で申し訳ありません。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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挫折は人を成長させてくれますよ。
質問読ませていただきました。
若いとき、私もすわさんと同じような心持ちでした。
大して苦労もせず、中・高・大となんとなくで切り抜けてきました。何となくで切り抜けられてきたのだから、本気を出せば自分とんでもない力があるんだ!なんて思って生きてきました。
しかし、学生から社会に出ると、自分が井の中の蛙であることをイヤというほど思い知らされます。社会に出るまでは、学校という狭い世界の中で、誰かに守られながら生きてくる人がほとんどです。ところが社会に出ると、自分の責任で自分の能力だけで道を切り開いていかなければなりません。
これは、とてつもないプレッシャーであり、不安との戦いでもあります。そんな中で、必ずすわさんは困難にあたることでしょう。そして、少なからず挫折を味わうはずです。そのとき、挫折を乗り越えられるかどうかで、その後の人生は大きく大きく変わってきます。
その挫折を味わうのはいつかはわかりません。遠くないうちに味わうかもしれませんし、40歳を過ぎて味わうかもしれません。50、60になって味わうかもしれません。
しかし、若いうちに挫折を味わっておく方がそれを乗り越える体力や気力もありますし、何よりその挫折を乗り越えたことが自信と力と経験になりますので、豊かな人生を送ることが出来るでしょう。
親御さんも、たくさんの挫折を味わい、乗り越えてきたからこそすわさんにアドバイスを下さったのでしょう。
もし出来れば、親御さんにどんな挫折を味わってどうやって乗り越えてきたのか、そんなことを尋ねてみてもいいかもしれません。
「挫折は自分を成長させてくれるモノだ」とまずは心の準備をし、その上で自分の弱さをしっかり認められれば、必ずや自分の糧になります。
何か参考にしていただければ、ありがたく思います。
質問者からのお礼
お礼が遅れてしまい申し訳ありません。
私は喉元を過ぎるとすぐに熱さを忘れてしまうのですが、今回は自分の弱さをしっかり直視し、成長に繋げられるよう心の準備をしたいと思います。
ご回答いただき本当にありがとうございます。