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三途の川の深さ

回答数回答 2
有り難し有り難し 28

質問します。
前にも質問したのですが、内容がマニアック過ぎたのが、誰にも答えてもらえませんでした( ; ; )
このままでは悲しいので、プロフを再編集して再度質問させて頂きます。
どなたか答えて下さいますように(^人^)

私は以前、心臓の病気で倒れて意識不明になった事が有ります。
その時の夢?の話です。

私は川の中にいました。
浅くて歩いて渡れる感じではなく、深くて大きな川の中に、足の着かない状態で首までたっぷりと浸かっていました。
空は青くて水は綺麗でした。

川の向こう側にはピンクや白の綺麗なお花と、大きなドーム型のお寺がキラキラ輝いていて、私はとにかく泳いで渡らなくては、と思ってお寺に向けて泳ぎました。

しかし、一所懸命泳げば泳ぐ程に川の流れは強くなり、右手方向に流されてお寺との距離がだんだんと遠くなって行きました。

そして、滝のような所に流されて落ちる時に、「お前はまだ早い」的な意識が頭に入りました。
耳で聞こえるのでは無くて、頭に直接入る感じです。

そして滝に落ちたと同時に現実の私も目が覚めました。そこは病院でした。
医師の話しでは、一時的に心臓が止まっていたそうです。

これが臨死体験と言うものかと思って、後からネットで調べると、罪深い人は三途の川が深くなるとか、三途の川の滝に落ちたら地獄に落ちるとか物騒な事ばかり書いてました。

私は地獄行き決定なのでしょうか(T_T)

今のままでは地獄に行くから、良い事をする猶予を与えられたのでしょうか?

余談ですが、その出来事の後、元々有った霊感が強くなりました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これからの人生に必要なことなのでしょう。

以前のご質問は読んでいないので何とも申し上げられませんのご了承ください。
理央さんの経験は、貴重なものだと思います。
スピリチュアル系の方が読めば、臨死体験ですね、と言われるでしょう。
この世からあの世(まずこのような表現をすること自体が問題視されますが)へ向かう途中の経験なのでしょうが、なにしろほとんど方が忘れている(あえて忘れているといいますが)ことなので証明のしようがありません。
しかし、日蓮聖人(日蓮宗の宗祖)は、「三途の川にては船となり、冥途にては灯となる・・」とのお言葉を残されていますから、三途の川は存在するのでしょう。ただし、この世を離れた後の事です。
積み深い人は地獄へ、そうでない人は天国へ。これも一概に言えることではないと思います。とりあえず、今回の体験は理央さんご自身にとって、死後の世界はあるということを思い出してくれることだったのではないでしょうか。
そういう意味では、今後の人生にとって価値観も変わってくると思いますので、これからもご自身の体験を大切にしてください。

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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにもにある”と発願し、法筵寺を新寺建立。住職として41年になります。どこまで、その思いを達成しているか分かりませんが、少しでもお釈迦様、日蓮聖人の教えに触れて頂けたら思います。 FB https://www.facebook.com/kaisho.suzuki 法筵寺FB https://www.facebook.com/houenji/ 日蓮宗ポータブルサイト内 https://temple.nichiren.or.jp/3031069-houenji/

地獄は一定すみかぞかし

ご質問拝読しました。質問は利用規約に反しないものの場合は必ず回答が入ります。
なかなか答えるのが難しいものの場合は時間がかかりますし、もちろんお坊さんも全てがわかるわけではありませんから、その場合は「わからない」という回答が入る場合もあるかもしれません。
ですので、(基本的には知識を求めるものでなく、生きる現実におけるお悩み相談が主体ですが)何でもお尋ねください。そして恐れ入りますが気長に回答をお待ちくださいね。

さて、貴重な体験をなされたのですね。臨死体験とはあくまでも「死後の体験」ではなく「死に臨んだ体験」=「生きている状態での体験(意識)」ではないでしょうか。(この表現自体が生死を分断するものであり仏教的ではないかもしれませんが)

ですので多分に文化的背景の影響を受けるものと思われます。「三途の川」を知らない人が臨死体験において「三途の川」を見るのかどうかということですね。
こういう記事もご参考に⇓

臨死体験は「死後の世界」の証拠ではない? 実は脳の働きによる“幻覚”の可能性:研究結果
https://wired.jp/2018/10/14/near-death-experiences-psychedelic/

仏教において地獄とはもちろん死後世界のような文脈で説かれる場合もあるかと思いますが、それは方便(伝えたい内容を知らせるための手立て)的なものであり、本来的には私たち一人一人の在り方を言い当てるものかと私は受け取っています。
地獄を作り出すような生き方を今この私がしてしまっているということですね。さまざまなものにとらわれ、はからい、迷い、自ら苦しみ、他をも傷つけてしまうような在り方です。

自分をその様なものとして受け取ることは大変に厳しいです。どうしても目をそむけたくなりますね。
しかし「地獄は一定すみかぞかし(地獄こそが私の決定的なすみかである)」と言ったお坊さんがいます。

それが浄土真宗の宗祖親鸞聖人です。親鸞聖人は自らが地獄を作り出す在り方をしていることを仏の教えに言い当てられ、そして引き受けていかれました。そこにこそ確かな救いがあったのです。絶対に救われないものが救われるという矛盾の超越です。

仏教は奥が深いです。底なしです。是非ネットの知識だけではなく、これから共に学びませんか?
またいつでもお待ちしています。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

お答えありがとうございました。
それぞれのお坊さんの三途の川=仏教の考えを聞かせていただいて、何だか気持ちが軽くなりました。三途の川が深かったのは、川をまだ渡る時期ではないから仏様が水を増して流して、この世に戻したと解釈します。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ