生きづらさを感じます
最近、生きづらさを感じます。
SNSを活用して、人と繋がることが簡単になりましたが、その分、現実での人の関わりが苦手というか自分を出すことが難しく感じるようになりました。今の所、大きなトラブルにはあったことはありませんが、何かミスをした時、年を重ねるごとに家族や今まで仲良くしてくれた友達のことを思いだし、自分のことを分かってくれている人の大切さを感じるようになりました。
地元を離れて、ひとり暮らしが長いのですが
心から安心できる場所が見つからず、時々孤独を感じてしまい、誰でもいいから仲良くなりたいとかそんな気持ちになってしまいます。
もう少し、前向きに生きたいです。
昔の人は孤独を感じた時、どのように生きてきたのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
目標を持ち、親友ではなく心友を。
SNSでは「いいね」などを対象を評価価値されがちな傾向が現代では強いられ、意識がそちらに高まって来ているように感じますね。
その環境ではSNSで投稿する人々は避難されることを避ける意識が高まることから、美化意識の言語を交え投稿し、本心が見えなくなってしまいます。
こうしたことから、まさしく「百聞は一見にしかず」のように、また まんまるさん がおっしゃるように真の友達がどれなのかさえもままならなくなってしまうお気持ちが理解できます。
知らず知らずの内に本来の自身との心のバランスのズレを痛感していることに気付いた時なのでしょう。
しかし、気付いたときが肝心なのです。気付いたときから、人は成長や元に戻すように意識が向いていきます。
社会人や独り立ちをすることで、虚無感がでてしまうことが無きにしも非ずであり、心を切り替えることが大切です。
類は友を呼ぶといった ことわざ があるように、何でもいいから友になってしまうと後々、安易で友人関係を築くんではなかったと後悔が生じます。
友人も一人の人間であり、一人の他人でもあります。信用をして付き合うのではなく、自分を信じて相手と付き合っていくことで、友人はどんどん集まってきます。
今はまず、自分らしさをしっかり出していける環境を探されることから、初めてみれば方向が時間経過とともに変化していきます。
弱気になったときは目標や夢を持つことです。目標等をもったときは、がむしゃらにそこに向かっていくので、寂しさを忘れさせてくれるものでもあります。また、目標や夢などを追いかけていると、その情熱に憧れて付いてくる人もいます。そのときに、大切な親友ではなく心友なる共感できる仲間が継続できる要素になります。
合掌