心の拠り所の人に拒絶され関係を切られてしまいそうです
既婚でこんな質問をするのはおかしいと思うのですが。。
SNSで知り合った彼と好きと言い合う関係になって4ヵ月、気分屋な彼に冷たくされたりなど散々振り回されてきましたが、好きだからとがむしゃらにくっついてきました。
会った事はありませんが、毎日夜になったら彼と話せるからとそれを楽しみに生活していました。
しかし、昨夜本当に些細なことで彼を怒らせてしまい、その場では許してくれましたが、朝になるとLINEはブロックされSNSの親密関係などもすべて解除されていました。
まだSNSから連絡はとれそうですが、このままだと数日中にそれも断ち切られ、関係を切られてしまう気がしてなりません。
完全に彼に依存してしまっているので本当につらいです。
まだ終わったわけではないけど心にぽっかり穴が空いたみたいです。
いまのこの気持ちはどうやったら乗り越えられるのでしょうか。。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
全ては手に入りませんよ!
質問読ませていただきました。
既婚とのことですが、人を愛する気持ちといいうのは突然湧き、コントロールする事がままならないので厄介ですよね。
まずは、自分の気持ちをしっかりと確かめて下さい。現在のご主人への気持ちは?その会った事もない相手に対して過剰な理想を抱いていないか?なんでご主人以外の異性にそこまでのめり込んでしまっているのか?
ちょうど連絡が途絶えている今がチャンスです。感情のまま、思いのままに行動してしまうのではなく、しっかりと自分の気持ちと向き合う時間を与えてもらったと考えて、きっちり整理を付けて下さい。
何をすれば不倫か??という基準は人それぞれでしょう。
法律的には、「性行為があった、もしくはあったと推測される」場合は慰謝料などを請求される対象になるようです。
しかし、らぱんさんのご主人は、自分以外の異性に好きと言う事は裏切りだと思うかもしれません。その場合、らぱんさんの今までの行動が何かの拍子にバレたときに夫婦関係は取り返しが付かなくなるかもしれません。そして周りに知れたら「不倫をした人だ」との目で見られるのです。
ご主人を傷つけ、周りからも白い眼で見られても、会った事も無い異性を選んで良いのか、しっかりと自分の気持ちを見直して下さい。
もしご主人とも良好な関係を続け、他の異性とも愛し合っていく、なんて都合良く考えておられるとしたら、全ては手に入りませんよ。いつかはばれます!何かを手に入れたら何かを失う。その覚悟が必要です。
なお仏教的には、婚姻関係にあるのに他の異性に手を付けたら「不邪婬戒」という決まり事を破る事になります。これは重い罪であります。
ですので、もしご主人を選ぶのであれば、きっちりとその異性の方との関係を断って下さい。
もし、会った事の無い相手を選ぶのであれば、今のご主人との関係をきっちり清算してからにして下さい。
らぱんさんの将来を心より心配して、拙僧の意見を述べさせていただきました。何か参考にしていただければ、ありがたく思います。
自分のための仏事のすすめ。
おはようございます。
お辛い気持ちを聞かせていただきありがとうございます。
「気持ちの乗り越え方が知りたい」がご質問の内容ですよね。
ご質問のはじめに既婚ですがと前置きをされるのも覚悟か勇気の要ったことかと推察します。
彼への依存を続けたいでなく、彼に代わる他者で穴を埋めたいでなく、「乗り越えたい」と話されたお気持ちが向く方向は間違っていないと思います。
僧侶という仕事柄、人との別れに遭うことは少なくないです。
愛別離苦によって遺された人の心に開いた穴を埋める役割も年忌の仏事は果たしています。
節目の日をつくって祈る時間を設け、よきことも振り回されたことも振り返ってください。
本当に依存していたのは男性でなく自分自身の中にある寂しさに依存してたんじゃないでしょうか?
寂しさで開いた穴を他者に埋めてもらおうとして依存が深まってしまっていた。
他者でなく自分自身が寂しさに愛着をもってケアしてあげてください。
ケアといっても難しくないです。
両手を合わせて合掌したあとに胸にに手をあててひと言。
「今までありがとう」と自分の心に呟いてあげてください。
毎日1分でいいんですが、それも難しいなら、最初の7週間は日を決めて週1回、その後は月に一度、一年(一周忌)経ったら春夏秋冬に一度(彼岸お盆彼岸晦日)、その後は5年後に祈る。
仏事は亡くなった人にだけ当てはめるものでもないです。
節目の日を設けることで時間の力をうまく使って乗り越えることは可能です。
人に疲れたり振り回されたら、自然や芸術、音楽、寺社めぐり、読書など人以外との関わりの時間を少しつくってみることも健康的かと思います。
これからクリスマスシーズンに入りますが、仏教はクリスマスを必要以上に意識しなくてよい教えです。
その点は心に留めていただけるとありがたいです。