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10年以上前の出来事を後悔し苦しいです

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10年以上前になりますが、ショッピングセンターの駐車場で当て逃げをしてしまいました。そのことが今になって気になって罪悪感で苦しくて仕方ありません。
相手車両のライトを破損してしまったのですが、自分勝手な思いで逃げてしまいました。修理費のことで夫に叱られる、そればかり気にしていた覚えがあります。
しかしやはり気になって、その日のうちか翌日以降か忘れましたが、駐車場の管理会社に電話して被害車両の申し出がないか聞きましたがないとのこと。
警察にも電話したら私有地なのでどうしようもない等言われた記憶があるのですが、かなり前のことで私の記憶も定かではなく、本当にちゃんと警察に電話したのかも自信がありません。
しかしどちらも免罪符でで電話したように思います。今になってとんでもないことをしてしまったと苦しくて仕方ありません。
今となっては被害者の方もわからないだろうし、どうすることもできないのはわかっています。
でも、相手の方が修理費を払われたのだろうし、腹立たしい思いをされたのだろうと思うと罪悪感で自分を責めてしまいます。心が疲れているように感じます。以前鬱状態になったこともあり、あまり自分を責めすぎるとまた鬱状態にならないかも心配です。
どのような心持ちで過ごすと人生楽になりますでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

滅罪の利益~罪の重きことを知らせて救う

ご相談拝読しました。ずっと抱えてこられたのですね。よく話してくださいましたね。大変勇気がいったことだと思います。これから共にどのように受け止めていくか考えていきましょう。

まず、厳しい事を申しますとしてしまったことはなかったことにはなりません。

>どのような心持ちで過ごすと人生楽になりますでしょうか。

との言葉にはあまりの苦しみからもう楽になりたいとの本音の思いが表れていることと思いますが、それはどうにも都合が良すぎるようにも感じます。

しかしこのままでは心が持たないとの思いもあるのでしょう。

さて、私は浄土真宗の僧侶であり、浄土真宗の教えは「南無阿弥陀仏」のお念仏です。お念仏には「滅罪の利益」があると説かれます。どうかお念仏申してください。

この「滅罪の利益」とは罪を滅してなかったことにすることではありません。そうではなく、どんな重い罪でも関係なく私はあなたを救うとの阿弥陀仏の願いと誓いのはたらきです。「罪を救う(なかったことにする)」のではなく、「私を救う」のです。

だからこそ、いよいよ私はその罪の重さを自覚し、我が罪として引き受けていけるのです。どんなに汚く、どんなにおぞましい私でも、その私を見捨てない、嫌わないとの阿弥陀仏の救いに預かるところに、「絶対に救われない私の自覚」と「その私を絶対に救う」という矛盾するものが両立するのです。

今から思うとなんであんなことを…と自分で自分が許せないでしょうし、情けなく恥ずかしく苦しいお気持ちになることでしょう。
しかしそれは今だから思えることであり、その当時はその時できることを精一杯した結果がそれだったのです。
そしてその時そうしてしまったあなたもあなたの思い、あなたの責任だけでそうしてしまったわけではなく、様々な縁がととのってそうしてしまったということでもあります。誰だって生まれながらに悪い事をしようとは思っていないように、私たちの犯してしまう罪も様々な縁によってしてしまうものなのです。

だからといって、その行為を全く自分の責任ではないと放り出すことは人生から主体性を奪ってしまいます。それでも自分一人で背負うには余りにも重い…そこに宗教の救いが差し込んできます。

どうか、真摯に道を求めてみてください。心の持ち様一つで都合よくなれるようなものではないと思います。

南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
私はこのこと以外にも常に何かしら罪悪感を感じて自分をひどく責める傾向があります。そのため心が疲弊してしまうので、心の持ちようでもう少し楽に生きることができないのかと申しました。これに関してはまた考えたいと思います。
「滅罪の利益」初めて聞きました。お念仏のことも勉強したいと思います。本当にありがとうございました。

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