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過去の罪とどう向き合うか

数年前に犯した罪について、どのような気持ちをもって向き合っていけばよいか悩み続けています。

私の犯した罪はともすれば刑事事件となってもおかしくなかったような事で、私はたまたま法的な裁きを受けることなく済みました。しかし、自分の罪責から逃れるために、卑怯な立ち回りをしたことも事実です。

私のしたことで、人に怪我を負わせたり、金品を奪ったというようなことはありません。しかし、相手方に大きな精神的苦痛を与えたことは間違いありません。

この数年間、私は、自分のせいで人を大いに傷つけたこと、その責から逃れるために卑怯な立ち回りをしたこと、自分がなんの代償も払っていないこと、苦痛を与えた相手に対してもはや具体的な償いができないこと、自分がまだ相手から恨まれ続けているのではないかということ、に悩み、苦しみ続けています。

先日読んだある本の中に、「許すか許さないかは、自分ではなく相手の責任である」と書かれているのを見つけました。当初は救われたような気持ちがしましたが、しかし、自分は自分のしたことについて責任を負っていない、だから罪は厳として自分の側にあり、そもそも許すか許さないかを相手に委ねる段階にさえ達していない、という思いが募るようになりました。

あれから、自分は脛に傷持つ人間なのだから、そのことを自覚して、謙虚に、親切に生きなければならない、と決心して生きてきましたが、罪の意識は消えません。また矛盾しているようですが、すっかり罪悪感が消え去ってしまうのも、自分が性根の悪い自己中心的な人間であることを突きつけられるようで、恐ろしく、逃げ場のない気持ちになります。そうなれば反省したことも忘れて、また同じようなことをするのではないかという怖れもあります。

そもそも、このような場で質問させていただくのですから、当時の私がしたことの具体的な経緯や状況を明らかにすべきなのですが、私にはどうしても書くことができませんでした。そのこともまた、自分の卑怯さを思い知らされるようで、耐え難い気持ちになります。

大変曖昧な文章になってしまいまして失礼なのですが、これから私は自分の罪についてどう向き合っていけばよいのか、どのような心持ちで生きていけばよいのか、ご助言をいただければと思います。

心構え・生きる智慧
有り難し 81
回答 3

質問投稿日: 2018年12月24日 12:09

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

罪と向き合う難しさ

 人は生きている限り、どんな人でも何らかの罪を背負っているのではないでしょうか。ある程度の時間もたち、刑罰という意味合いもないようなので、あとはその罪とどう向き合うかですね。
 踏まれた者は痛みを忘れない、と言われます。相手から許してもらうことは期待しないで、「こんな考え方でこんな感じで生きたい」をぜひ見つけて下さい。
あまり過去にとらわれると、「どうせ私は」と思ってしまい前向きな気持ちが萎えてしまいます。ダメージを与えてしまった方もあなたの生き方がかわれば、もしかしたら、いつの日か謝罪などができる日も来るかもしれません。

よく「過去をきちんと精算してから」と言われますが、
それでさらに落ち込み自分を追い込む方が多いように思います。「なりたい自分」に目を向けてそちらに歩いていくうちに必ず過去とももっと柔軟に向かいあえる時が来ると思います。

 ボランティア活動とか善行につながることもできたらいいですね。じっと過去と向き合うだけが本当に過去と向き合うことではありません。他の活動をしているうちに見えてくることもあります。
今、「向き合おう」と考えているあなたにはすでにそんな芽がでているんです。一歩踏み出してみませんか。

7ヶ月前

日々懺悔

拝読させて頂きました。

あなたがそのように罪を犯し人を傷つけてしまって罪の意識に苛まれいるならば、その罪を心から反省して神仏やあなたのご先祖様に手を合わせて懺悔し、そのようなことを二度となさらぬようにとお誓いなさって下さい。そして日々悪しきことをしないよにと心がけてください。

私も毎日朝のお勤めで懺悔偈というお経をおとなえして私が犯した無限の罪を仏様やご先祖様に向かい手を合わせて懺悔しています。
仏様やご先祖様は余すところなくわたしのその罪とがを見て受け止めて下さいます。

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう) 
皆由無始貪瞋痴(かいゆむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう) 
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

意味は
私が昔より作ってきた悪業や罪は
遠い過去から離れない貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)によるものです
そして私の身(行い)と口(言葉)と心(思い)から出たものです
それら一切の私の悪業や罪を今ここに懺悔させて頂きます

という意味です。
そして私の一日が始まります。

あなたも朝一番にそのようにお勤めして一日を始めてみませんか。場所はどこでもいいと思います。

あなたをいつでも仏様やご先祖様は受け止めていて下さいます、そしてお見守りなさって下さいます。

そして何よりあなたを清めて善き道へとお導きなさって下さいますからね。

あなたがこれから日々懺悔し心清らかに生きていかれます様、仏様やご先祖様に守られながら健やかに生きていかれます様心より神仏やあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。

7ヶ月前
回答僧

大忍貫道

慚愧なくして成熟なし。

ご質問を読ませて頂きました。
罪を犯す前はどのように日々を過ごされたでしょうか。楽しいときや嬉しいときに心の底からそれらを味わったと思います。
しかし、今はどうでしょう。楽しいときにも嬉しいときにも以前のような気持ちでは過ごせていないのではないでしょうか。ふと影を差すような瞬間があるのではないかと思います。
それがあなたの犯した罪の代償です。あなたは代償を払っていないと言っていますが、しっかりと払い続けています。

あなたに限らず、人は例え軽微であっても罪を犯します。そうである以上、犯した罪に対して「慚愧」することが大切になってきます。もし、同じ過ちを繰り返すならば、それは慚愧がないからに他なりません。
慚愧とは、自分を責めることではなく、「自分はまだまだだ。」と恥じ入ることです。仏教では、悟りに至るにはこの慚愧が必要であると説かれます。釈尊の教えや世間の倫理に照らし合わせて自身の至らなさを見つめたときに、人は成熟していくからです。

この先、してしまったことが無かったことになることはないでしょうし、罪が軽くなることもないのかもしれません。けれども、それで自分を責めるのではなく、未熟さに向き合って二度と同じことを繰り返さぬよう慚愧していく生き方をされてはいかがでしょう。

7ヶ月前

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