人生について
相談があります。
僕は高1で通信制の高校に通っています。
今年の6月に発達障害が発覚し
現在、精神科に通院していて薬も飲んでいます。
小学生の頃から、集団で行動したりするのが苦手で馴染めなかったり、感覚の過敏があったり、人より繊細で傷つきやすかったり、対人関係が苦手だったりして生活に苦労していました。
更に、2次障害でうつ病や拒食症、社会不安障害という病気になってしまい塞ぎ込んでいます。
自分はダメな人間なんだと落ち込み、生きてる価値がないと思ってしまいます。他の人にも迷惑をかけるから、自分なんて死んだ方いいと考えてしまいます。
だから今後、大学生や社会人になっても他の人と同じように生きていける自信がありません。もうどうしていいか分からずに悩んでいます。重い内容になってしまい、すいません。助けて欲しいです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私は一人でしか生きたことがない
元々群れないタイプでしたし、数が沢山集まってもつまらない会合ばかりであまり集団生活は好きではない人間でした。それでも今日40なんぼまで生きて問題なく暮らしているのですから、アナタはアナタで一人を全うされたら良いのです。
人といたって誰でも一人は一人なのですから。
この自分の生命活動は誰といても一人です。
それを常に心がけましょう。
気が付くと、人といても自分をやっているだけ、独りでいても自分をやっているだけ、人生一生最初から自分一人の自分自身の活動しかなかったという事があきらかになります。
誰もがみんな自分の持ち前の自分という体を動かすだけです。
勿論、まったく世の中に関わらないとか他人と関わらないという事ではありません。
人と接してもその時脳内で起こる情報活動とかもみんな自分の頭の中だけのことでしょう。
人生はこの自己というディスプレイに現われる無我劇場。自己と他存在との壮大な交響曲。
そこに、過剰に自分が自分がという出しゃばりが入り込むことで心は苦しくなったりします。
すこし、安全なところに身を処するべきでしょう。
自分とも他者とも上手な距離感を見つけましょう。
あなたはまだ「そこ」が見つかっていないだけです。
うつでもなんでもありません。
心は人が名前を付けることはできない程にいつも真新しく変化しています。
時にはお医者さんの言葉に騙されずに、本当の自分の心の声を聴いてみてください。
心が迷い苦しみを起こすのは、自分意識が盛んになり過ぎるからです。
人間は黙っていても心は脳内情報処理活動をしています。
そこに自分が参戦して過剰にボンバーすることが五蘊盛苦といいます。
ゲームやスポーツであれば自分が中心になって主人公を動かす姿勢は大事です。
ですが人生というものは周りとの関係性によって成り立っています。
オレが俺がという意識が強いとそのオレオ思考雲が邪魔して世界の素晴らしさが見えなくなってしまうのです。
授かりに気づく。
恩恵に気づく。
支えられに気づく。
今あることに気づく。
いただきに気づく。
何もせずともこの身心はいつもあらゆる角度から授かっているのです。
それを幸か不幸か、良いか悪いかという事をあらかじめに立てることがエゴ・我・自我です。
そういうこころを休めてみましょう。
今日は今日で最高の一日なのです。
私からの贈り物です。
メリークリスマス。🎅
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。確かに自分自身を生きるのが人生ですよね。意識しすぎてたかもしれません。気持ちが軽くなりました。