毎朝研究室に行くのが辛くて、遅刻を続けてしまっています。
私は、現在大学の4年生で工学系の研究室に所属しています。
昨年の春から研究室に入り、朝から晩まで学校に拘束されるようになりました。これに対しストレスは感じましたが、最初は時間通りに研究室に行くことができていました。
しかし、この数か月、朝起きると研究室に行くのが嫌で布団から出られず、結局は遅刻をして学校に行くことを頻繁に繰り返してしまいます。
理由は、自分のしている研究が楽しくなく(研究は先生から与えられるもので、自分では選べない)、研究を進める上ですべきことがわからないからだと考えています。
ですが、研究室を辞めるのは就職にも影響が出るし、家族や周りの人にも迷惑がかかってしまいます。だから、決して研究室を辞めたいというわけではありません。
これらのことから、私が質問させて頂きたいことは、どのような心構えで研究室生活を過ごせばいいかということです。
自分の現状に不満ばかり言っているのではなく、嫌なことにも耐えながらこれからを乗り越えていくにはどのような心構え、行動が必要になるのでしょうか。ご指導いただければ幸いです。
最後までご閲覧頂き、ありがとうございました。よろしければ、ご回答宜しくお願い致します。
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象牙の塔の中の「徒弟」として、親方を信じ切ってみる
昨年、STAP細胞論文の問題が取りざたされた際、下記のようなブログ記事を書きました。
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STAP細胞問題から、某研究者の博士論文の問題が取りざたされました。論文の盗用の問題は他の国々でもあるようです。しかし、そういう問題に対する対応、そして社会の反応は必ずしも一様ではないかもしれません。でも、この投稿を見る限りドイツでは破邪顕正(悪いことは悪いと断じ、良いことは正当に評価する)という伝統が生きているのだなあと感じました。
私はちゃんとした研究者ではないですが、一応大学院の人文系修士課程まで学ばせていただきました。その当時、東大の工学部大学院に居る方から「私らは村の鍛冶屋の徒弟です。教授という親方のもとで修行し奉公してんです。」という話を聞いて、象牙の塔の中の伝統について考えさせられました。
それは親方や先輩たちが新たな入門者たちを手を取り足を取り一人前に育てていく徒弟制度の最高峰なのだろうなあ、と思いました。同時に、一歩間違えば親方先輩にただただ服従し、悪い意味での滅私奉公を強いられる世界にもなりかねません。理工系では、多くの場合博士課程修了者はその終了時に博士号を取得しています。人文系の人間から見れば、そのくらいの年数で博士号が取れるのかという驚きですが、おそらく理工系では伝統的な徒弟制度の中できちっとした指導が行われ、博士号に値する研究成果を輩出してきたのでしょう。
http://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/35767370.html
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研究室に入るということを、「親方(指導教授)の徒弟として、親方の指示指導に従って作業(実験等)に全身全霊を賭けて打ち込む」ということではないのでしょうか?多くの先輩方は、そういう徒弟制度の中で実験研究に取り組み、学位を授与されてきたのだと思います。
分野は異なっても、学問の世界では何度も壁にぶち当たります。今が最初の壁なのかもしれません。「辛い」という気持ちがわからない訳ではありませんが、コウヘイさんにも甘えがあるように感じます。今のように中途半端な状態だからこそ、教授の指導の意味が理解できないでいるんではないでしょうか。もっと本気になって、実験に研究に取り組んでこそ、光が見えてくると思います。まずは、親方を信じて頑張ってみましょう。
質問者からのお礼
吉田俊英 様
貴重なご意見をありがとうございます。改めて自分の態度を考え直してみると、指導教員のことを信じきれてない部分や、それに言い訳して現実から目を背けてしまう自分がいると感じました。まずは、先生のことを信じ、やるべきことは先生や先輩に相談しようと思います。