寂しさや不安を抱えている人たちについて
私の周りの人(身内、友人)で、寂しさや不安を抱えている人が多くいます。
たとえば、会って酒を交わせば常に「寂しい、寂しい」が口癖の人や、
「この間、○○へ行ったよ」と世間話を振ってみれば、
「何で私の分のお土産を買ってきてくれなかったのですか」と自分本位にしか物を考えられない人、
そして、将来の目標が定まっていないせいか「いつこの仕事の契約が切れてしまうのか」と日々不安を抱えている人がいます。
私の経験談ですが、何か夢中になれることや、目標が見つかればそのような不安は消えるので、話を振られた際にアドバイスをしてみましたが会うたびに同じようなことを何度も言ってきます。
ちょっと視点を変えれば解消されるというのに、まるで不安や寂しさから抜け出したくない。単にかまってもらいたい様にも思えます。
彼らは、この先も不安や寂しさを抱えて生きていくのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
本当に不安をぬぐいさりたい時
拝読させて頂きました。
そうですね、そのように思う方方は自分の目の前のことで精いっぱいで自分のことしか目に入らないのかと思います。
生きることにいっぱいいっぱいで今生きている中で不安にさいなまれていらっしゃるのでしょうね。
ですから「視点を変えてみて、或は客観的にものごとをみてみては」とアドバイスしても耳に入っていかないのでしょうね。
逆に「あなたはいいわよね…等々」羨ましいやら愚痴られる等々言われてしまうこともあるかもしれません。
どのように時代が世の中が変わっても人の心の不安や迷いはなかなかぬぐいさることはできないのが実情かと思います。
どんな人でも聞く耳を持って頂かなくてはどんな有難い言葉もアドバイスもサポートも
「馬の耳に念仏、猫に小判」ですからね。
仏教はそのような人の迷いや苦しみに答えを出してくれる教えです。
そのような教えに出会うことができたのは本当に幸いなことかと思います。
真に九死に一生を得るが如く、今生に生を受けた意味や目的にもなります。
もしもそのような迷える方々が本当に聞く耳を持ち、一生懸命に聞こうとする姿勢ならば仏教の教えは心に響くでしょうし、不安や苦しみも変わっていくでしょう。
とはいえそれには人それぞれにタイミングもあるかと思います。本当に救われたい、不安を払拭したいと求める時がいずれどなたにも訪れます。その時かもしれませんね、あなたのお話に耳を傾けるのは。
それまでできることはお話を聞いて優しく寄り添ってお見守りなさって頂くことかと思います。
あなたがこれからも人への慈しみあいのお気持ちを持たれ心穏やかに豊かに生き抜かれます様心よりお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
暖かいお言葉を頂き、ありがとうございました。これからも日々の生活を豊かなものにするため邁進していこうと思います。