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僕は何をして、何になるべきですか?

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僕は薬学部を卒業し、国家試験は受けませんでした。それは、大学を卒業してすぐに働きたくなかったということと、社会で上手くやっていける自信がないからです。

現在4年間付き合っている彼氏がいます。同棲していて、事実婚に近い状態です。夫を支える妻のように帰りを待つ今の生活に満足はしているのですが、自分が働いていないことに両親が納得していません。

僕もせっかく薬剤師になれるならなった方がいいと思うし、もったいないと考えています。

しかし、彼氏は働かなくていいと言ってくれています。僕も社会が怖いので出来れば働きたくないですが…と考えていると自分がどうしたら良いのかわからなくなってくるのです。

正解や不正解はないことはわかっています。でも、僕は何をして、何になるのが正解なのか知りたいんです。

それを知れたら辛くても目標に向かって無心で頑張れる気がするんです。

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

誰かの薬剤師となるべし

こう考えてみましょう。
あらゆる職業の本質は薬剤師なのだ、と。
困った人に薬を提供するように、自分のできる事を提供することが、仕事の本質なのだ、と。
薬剤師でもいい。
調理人でもいい。
職人でもいい。
この体は無限の行為行動ができるのです。
それを象徴しているのが千手観音。
自分自身の凝り固まった「ワタクシ意識」を一度溶かしてみてください。
ああ、私は名無しの権兵衛で、何でもできるんだ、ということを自覚できるようになれます。
あなたには勇気がある。
すでに同性愛者として、多くの人が乗り越えられない壁を乗り越えている。その力がある。
それは自分自身を信じる力に他なりません。
周りの方が何と言われようが、自分の本心はごまかしがきかないのです。
私がこうしてあなたに回答するのも、一種の薬剤師でしょう。
あなたが彼に尽くすのも薬剤師的献身でしょう。
そういう物事の本質を忘れないでください。
大丈夫です。あなたなら何でもできるはずです。(^<^)

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

大人になりましょう。

何をすべきか。
折角頑張ったので、試験を受けてみてはどうですか?
僕は洋食屋、デイサービス、養護施設、それぞれで資格を取って転職してきました。(保育士は2点足りませんでした)
今は忘れたことも多いですが、確かにそこにいた証のような意味もあります。

働くというのは傍の人が楽になるようにという意味もあるようです。
働くイコール雇われるではありません。
いろいろな働き方があるので、結論を急がず考えることおススメします。

ただ、大人というのは親子の関係を超えるということでもあります。
いつかどこかで、ちゃんと親に説明が必要ですね。
親に認められる方策、パートナーと話し合えるといいと思います。

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有り難し
おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

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