時間とお金
こんにちは。
いつも回答ありがとうございます。
私は自分のための時間の使い方がわかりません。
自分がこれといってしたいことがないのもありますが、例えば、
私が友達と遊ぶとき、家に誰もいない=遊びに行きやすい。その反対の場合、母や別の場所にすむ祖父母は寂しくしているのではないか。1日の大半を家事にあてがわなければならないので、自由な時間や、話し相手がいないのではないか。
と思ってしまいます。
なので、あまり家から出たいと思えません。
しかし、たまにこれ食べたいなぁ、とふとなんの意味もなく、家族が言葉に出すと、私が勝手に出て行って買いに行ったりはできるのですが、よくよく考えればこれも、人のための時間なのではないか。と思います。
自分の予定ややりたい事を優先できて良いなって思うのです。
わたしには、自分のために使いたいと思える時間が見つからないのです。
こんなのでは、友達もいなくなってしまうのでは。と思います。区切りごとの友達(小学校、中学、高校)に仲良くしていた人の大半が、区切りの間だけ、つまり、通っている間だけの友達だったように感じます。
卒業してしまえばあうことも、連絡し合うということもあまりありません。
そして、たまにあった友達がお金がない。と言われてしまうとせっかくあったから、など思ってしまい、相手の分まで払ってしまう所も私の悩みです。
払う必要がないのもわかっているのですが、私がバイトでお金を稼いでも、自分に使いたいものがあるから稼ぐのではなく、人に何かをしたいための自由なお金が欲しいから働いているんだと思います。
見返りを求めているわけではないのですが、その奢った人と遊び終わって数日したらまた連絡返ってこないなどがあります。
わたしのこの二つの欠点は治らないと思います。
友達には、いつか騙されそう。など言われます
こんな私でも生きている意味や必要としてくれる人、いつか見つかるのでしょうか。
性格は、起こってもいないことを考えてしまう取り越し苦労タイプで、友達とはどこまでの人を友達と呼んでいいのかわからないとよく考えてしまいます。もっと毎日を充実させたいし笑っていたいって思っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人の幸せも自分の幸せに!
質問読ませていただきました。
私たちは多くの人と関わり合いながら生きています。ですので、「完全に自分1人だけのため」なんてことはありません。「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが、自分が何かをすることで誰かに何かしらの影響を与えているのです。
それは相手にとって良いものかどうかは分かりませんが、相手に影響を与えるのです。
そう考えると、自分のためと考えていることも相手のためになったり、相手のためにと考えていることだって自分のためになるのです。
自分だ他人だと難しく考える必要はありませんよ。
また、たしかにnextstageさんが出かけることで、お家の人に何かしらの影響を与えるかもしれません。しかし、だからといってお家の人は嫌な気持ちになるでしょうか?
たとえばnextstageさんが外に出かけて、楽しんで帰ってきた。そのときの笑顔を見たり、楽しんだ話をしてあげれば、お家の人は幸せな気持ちになるでしょう。
つまり、自分が幸せになることで相手も幸せにできるのです。
そして、「人に何かをしたいための自由なお金が欲しいから働いている」というのは、知ってか知らずかわかりませんが、nextstageさんが相手の幸せを自分の幸せにしているということです。
このように、相手の幸せが自分の幸せになり、そして自分が幸せになることで相手も幸せになる。こういった幸せの連鎖を生み出す心持ちで生きていければ、こんなに素晴らしい事はありません。
そして、そんな素敵な心持ちの方は、人生を輝きながら生きていけます。そんな素敵な人は勝手に周りに人が集まってきます。そして多くの方に必要とされる人生を送ることでしょう。
何か少しでも参考にしてみて下さいね!
欠点は利点でもある
貴方のように自分以外を優先してしまう性格の方は稀にいらっしゃいます。
煩悩満点の私からしてみれば羨ましいこと限りないのですが、お友達の、いつか騙されそう、というご心配ももっともだと思います。
人間の中には他人を利用する事しか考えてない人も一定数居るので、貴方に必要なのは人を見極める力だと思いますよ。
例えば、お金を貸して欲しいと頼まれても、貸すのは千円までと決めて、返済が無いよいうなら二度と貸さない、とか
何かを奢ってあげた後、感謝の言葉が無かったり、頻繁に奢らせてくるようであれば付き合いを方を考えるとか。
何にせよ、貴方が欠点だと思っている事は、大いに利点でもあるので、必要以上に悩む事は無いかと。
質問者からのお礼
藤川様
ご回答ありがとうございます。そうですね、人の幸せが自然と自分の幸せになっている。これはあるかもしれません。そして、そんな素敵な心持ちの方は、人生を輝きながら生きていて、人が勝手に集まってくる。とあります。私はやはり、そこの域まで行っていないのでしょう。というのも、自慢ではないのですが、周りの人たちは「本当に良くしてくれるね。気が利きすぎるくらい。誰がこんなことしてくれる。」など褒めてくださることがあります。それは嬉しいのですが、人によって態度を変えたくないので友達にも同じようなことをしていても、例えば、高校卒業すれば連絡とらない。とか、あんまり好かれているように思いません。私はみんなにやってあげてるのに、何で返してくれないの?と思ったことは本当にありません。それは、結局は自分にして欲しいから、とか損得勘定が絡むようなことは自分の心の底からしたくてしたことにはならないからです。そうは言ってもやっぱり、友達だと思っている子が進路が離れた瞬間連絡が取れないとか、そっけない返事だと、高校の時気を遣わせていたのか。とか、自分を出してはいけない。など思います。
つまり、私は人にしているようで結局は自分に構って欲しいだけの偽善者なのではないでしょうか。
忠専寺さま
ご回答ありがとうございます。
自分以外を優先するのは、嫌われたくないからとか、自分にあてがいたい出来事もないからだと思います。私は、自分に時間を使える人は、この時間しかダメ!と言える方達は自分を大事にしていてすごいなって思います。私の欠点が大いに利点でもあると言ってもらえたこと、嬉しかったです。私は自分に自信を持てないので、きっとどこかで騙されたりしないと分からないんだと思います。人に、自分の悩みがある時だけ連絡してきて、解決したかどうかは連絡こない。などあって、その時はイライラしていても許してしまうのです。だから、人にも期待しないし、利用することしか考えてない人くらいの方が私にはあっていたりするんではないでしょうか。つまり、私は経験不足なのです。