父が亡くなりました
1月6日父が77歳で亡くなりました。
昨年末12月22日の日に急変をし、約二週間程の最後の闘病でした。
1月6日には母や妹夫婦孫二人に父の姉妹甥御姪御全員がお見舞いをし、今日明日どうこうという事は無いだろうと言うことで、全員が帰路についた後静かに息を引き取りました。
最期は延命治療を望まずと言うことで父は一人で旅立ちましたが、誰にも迷惑を掛けること無く痛がりもせず苦しみもせずに逝った様子で77歳という若さですが穏やかな幕引きになったのでは無いかと家族で話しているところです。
さて、私は父の今際の際に臨み自分がどんな風になるのだろうかという不安がありました。取り乱し錯乱するのでは無いかとさえ思っていたのです。
しかし、現実は年末に父の様態が急変しいつ何事かがあってもおかしくない状態であるとお医者様から言われていたので、お寺さんの手配や葬儀の準備で忙しすぎたのか、父が逝去しても取り乱すこと無く淡々と父の野辺の送りを終えることが出来ました。
葬儀後も各種手続きや会葬下さった方へのお礼など日々の忙しさの中で哀しみの感情がわかないと言いますか、まだ父が亡くなった実感が持てずに居ます。
このような自分は何か変なのかな?、と思いここに書き込ませていただきました。
毎日父の霊前に線香を手向け、読んだことの無い般若心経をお唱えしています。
今日お寺さんが来てくださり二七日の法要をしていただいたところです。
このような感じで淡々と日々は過ぎていくものなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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葬儀の意義
はじめまして、この度はご愁傷様です。
お父様を亡くされて、お葬式など色々あって、ようやく一息ついたところでしょうか?
それなのに実感が湧かず、想像していたよりも自分の気持ちが冷静であることに戸惑っていらっしゃるのですね?
人によって様々だと思いますが、お葬式のためにバタバタと忙しくしていると、悲しむ暇も無いねと仰る方は多いですよ。
色々なことが一段落してほっとしたとたんに、じわじわ実感が湧いてきました、という方もよくいらっしゃいます。
のぶさんも今はまだ気が張っているから何も感じないのであって、これから気持ちが緩んできたら、また変わってくるのかもしれませんよ。
また、お葬式というのは、半分は亡くなった方のため、もう半分は遺された人のためにあると私は思っています。
一連の供養を通して、故人とご縁のあった方々と語り合い、共に手を合わせることによって、故人の供養と同時に、遺族の悲しみも知らず知らずのうちに癒やされてゆくものだと思っています。
でもそれは、ちゃんと故人をお送りした、勤めを果たしたという実感があってこそ。
しっかりとお父様を送ってあげたのぶさんは立派です、何よりの親孝行だと思いますよ。
嘆き悲しむことがなくても、決して変ではないのです。
お旅立ち
この度は哀悼の意を表します。お父様、誰にも迷惑もかけず静かにお旅立ちされたのですね。みごとな往生でしたね。私は、母を亡くした時、突然だったということもありますが、やはりバタバタするなかで実感がわかず、「こんなものかしら?」と不安になりましたが、バタバタが過ぎたあたりで急に寂しくなったりしました。
49日が過ぎたあたりで、ふっと実感が沸いてきてしまいました。お葬儀は、極楽浄土へのお旅立ちの大切な儀式ですから、一生懸命準備されて、お父様は喜ばれたと思います。阿弥陀経の中に倶会一処ということばがでてきます。
また極楽浄土で懐かしい方々にお会いできますよ、ということです。「お父さん、さようなら。今は悲しいけどまた会いましょう」という日が来ると思います。
四季折々お父様を思い出されるでしょうが、しっかりと送り出されたあなたは本当に素晴らしいです。
どうぞ日々自分の気持ちに素直に生きてください。再会の時にたくさん話せる思い出を作ってください。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
龍興寺 林 浩道様。
ご丁寧な回答をありがとうございます。
お葬式のためにバタバタと忙しくしていると、悲しむ暇も無い、と言う話は私も聞き及んでおりますが、私自身もそうなのでしょうかね。
お葬式は最初は家族葬の形でと言う話で進めていたのですが、葬儀会場が思いのほか広くご近所や生前父がお世話になった方々にもお参りいただくことが出来ました。
何事も十分と言うことは無いのでしょうが、私なりに精一杯の葬儀を出せたのでは無いかと思っています。
ご回答本当にありがとうございました。
円宗寺 福田至誓様。
生前の父も私も信仰とは縁遠い生活をしてました。お葬式はご縁のある和尚様にと思い旧知の真言宗のお寺様にお願いをしました。
父の命が消えようとする時にこのhasunohaで浄土宗の僧侶の方々にご相談に乗っていただきました。真言宗の教えと浄土宗の教えの違いさえ今はまだ分からない状況なのですが、このhasunohaで浄土宗の僧侶の方々に教えられたことが、葬儀を無事に終えることの支えになったのは確かなのでは無いかと感じています。
今はただ父の成仏を願い般若心経をお唱えしていこうと思います。
本当にありがとうございました。