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漠然とした孤独感

回答数回答 2
有り難し有り難し 69

長年の悩みを相談させてください。
二十歳すぎからずっと、漠然とした生きづらさがあります。
その時々に友達もいたり恋人もいたり、趣味や仕事があったり、決して不幸ではないと思うのですが、慢性的に孤独だなと感じます。
楽しいことがあった後は反動で寂しくなったり落ち込んだりして、それがきついです。
不安なことを考えすぎて、眠れなくなることもあります。
仕事も恋愛も、あまり長続きしたことがありません。

なぜ、友達や家族がいても孤独を感じたりむなしくなるのか、自分ではよく分かりません。
生きてくのってしんどいなあ、ひとりだなぁと、時々漠然と思います。
抽象的な悩みですが、何かアドバイスいただけるとうれしいです。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

孤独の所以

ご相談拝読しました。

読んでいて、うんうん、そうだそうだと頷かされるものがありました。あかりさんがお抱えの孤独感というものは皆が根底に抱えているものではないかと思います。

私たちはやはり自分をわかってほしい、認めて欲しい、受け入れて欲しい…まるごとこのままの私を包んでほしい、そういうような願いがあるのではないでしょうか。

だからそうしてくれる何かや誰かを求めている。でもそれはどこに行っても得られないから寂しい、満たされない、むなしいという思いになってしまう。

しかしどうでしょう。相手にそれを求める前に自分自身をよくよくごまかさず見つめた時、はたしてそんなことが言えるのかとも私は思うのです。

誰にも言えないような汚い思い、醜い嫉妬、打ち明けられない恐れ、それでいて他人なんかに簡単にわかってたまるかという驕り、わかってくれないと責めながらもその人の上に立ちたいという競争意識、時にはへりくだってでも同情されたいという下心…

ありとあらゆる人に見せられない心が渦巻いている。それでいて寂しい寂しいと嘆く私。

仏教の経典ではそのような私の姿が

「人、世間の愛欲の中にありて、独り生じ独り死し独り去り独り来りて、行に当り苦楽の地に至り趣く。身、自らこれを当くるに、有(たれ)も代わる者なし。」

と言い当てられています。私たちは徹頭徹尾孤独なのです。それはまた代わる者がいない、つまりは天上天下唯我独尊という尊厳でも同時にあるのですが。

だからその私たちの孤独の解消と言うのは誰かと心底分かり合えるということではないと思うのです。

「あなたも孤独だったのですね、私もそうです。私もあなたも誰にも打ち明けられないものを抱えた存在として仏様に見出されていたのですね。」

というところで共に仏様、仏様の教えに向かっていけるところに孤独を超える唯一の道があるのではないかと思うのです。

どこまでも人対人ではぶつかり合う。そのぶつかり合う相手とも共に向いていく方向を賜る、それこそが仏教の説く「わたしとあなたが共に救われる道」なのかと感じます。

仏教の救いはあなた(私)一人の救いです。同時に、その一人の救いは全てに開かれる救いです。

ご縁ありましたら、仏教の教えにあなた一人の姿を尋ねてみてください。もちろんここhasunohaではいつでもご質問をお待ちしています。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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孤独感をネガティブに扱わない。

あかり 様 相談ありがとうございます。

生きづらさがある
その原因を孤独感にあるように思っているのでしょうか。

孤独感があってもいいんです。
あなたは、「友達もいたり恋人もいたり、趣味や仕事があったり、決して不幸ではない」ので、
孤独感は一人自分を見つめる大切な時間だと思って
孤独を受け入れる。もしかしたら少し楽しめる。
なれてきたら、とても楽しいと感じる、と思う事もできますよ。

生きづらさは、ほんの少しの心の持ちようで、気持ちが変わり
辛い中でも、楽しさを見つけたりすることができます
孤独の中に、明るい光があることもあります。
そうしたら笑顔で、自分に他人に気持ちよく挨拶できたりします。
なので、生きづらさも、孤独も、そして、友達もいたり恋人もいたり、趣味や仕事があっていいんです。
全てがあなたの輝きです。人生一度きり、輝きを放ちましょう。

お読みいただきありがとうございました
参考までに。
一礼

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有り難し
おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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質問者からのお礼

丁寧な回答をありがとうございました。
親元から離れ、二十歳すぎくらいから、ずっとこの孤独感と付き合ってきました。生きるのって切ない、寂しい、色々な気持ちを抱えてきて、この生きづらさをどうにか消して毎日楽しく暮らしたいと思いながら、どうにもならずにこれまで来ました。
解決はしていないけど、孤独もあっていいもので、誰にでもあるものなんですよね。だからこそ、人を求めるのかもしれません。
無理に孤独を消そうとしなくてもいいのですね。。
自分のやりたいことばかり考え、理想通りに全くいかず、ひとりで人生はつらいなと思ってましたが、自分に与えられた役割について、少し考えてみようと思います。

仏教は今まであまり関わりがなかったのですが、各々が幸せに向かう教えなのですね。もっと難しいものと思っていました。仏教の教えを学んでみたいなと思いました。また相談させてください。ありがとうございました。

「孤独と向き合う」問答一覧

孤独の力に負けてしまいます

何度かご相談させていただいております。寂しさ、孤独については3回目くらいのご相談になります。 私は孤独を感じるとネガティブスイッチがオンになり、自分が可哀想な理由を思い出の中から引っ張ってきたり(過去に傷ついた出来事など)、涙が止まらなくなったりして、目の前の事に集中できなくなります。幸い、誰にも迷惑かけない程度に自分の心の中にネガティブは収まっているのですが、自分にとって大変迷惑で、今年はこうなってしまう自分を卒業したいです。 現在、恋人はおらず、友達はいますが、この状態になった時にすぐ電話をかけられる人はいません。友達はみんな違う街に住んでいるので、なかなか会えません。時々電話はします。できれば、自分で自分の感情を落ち着かせたいです。 また、今どうしても頑張らないと行けないことがあるので、地元のコミュニティに参加するなど余裕はありません。もちろん、余裕ができたら参加していきたいとは思っています。 前より自分を客観視できるようになって、ネガティブスイッチが入った時、このまま行くと自分を可哀想だと思い始めて、記憶を漁り出すな、と認識できるようになりました。ここまではうまく行っているのですが、寂しい気持ちを処理できずにどんよりして、集中力が落ちたり、眠れなくなったりします。眠れない時は次の日にも響いて、ネガティブを持ち越すこともあります。 寂しい気持ちはどこにやってあげたらいいでしょうか。ネガティブな感情との向き合い方のヒントをいただけると幸いです。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

将来親が死ぬことと自分が孤独になること

中年ですが親の死が怖くてたまりません。 先日祖母を亡くして以来恐怖が強くなり、夜眠れず、朝から突然涙が溢れます。 私はひとりっ子で同居しています。 日頃から絆を感じる友達はおらず、新しい仲間を作りたいと思い行動してもうまくいかず、一人きりです。 親とは他の仲の良い家庭と違って行動は昔から常に別々ですが、今思うと私の人生は親が全てだったと感じます。 本当に何もかもお世話になっていて、たくさん反発しましたが精神的にも常に助けられて来ました。 そのことに気づかないくらい当たり前になっていて、それくらい当たり前のように救われて来ました。 こう書いていてまた涙が溢れます。 若い頃に社会不適応と診断されたことのある自分は職場でも孤立しているため、一般的な大人のようにフルタイムで働くことがとても厳しいです。 でもなんとか自分のものになるようにと、今の職場で新しい勉強に取り組んでいる最中ですが、なぜか身が入らず、メンタル的にも不安定で、将来が怖くて怖くて仕方ありません。 今親は健康で、家事は家族全員で分担し、うまくやっています。 でも当然ですがこの日常はいつか終わります。 だれもが通る道だしそれが世の常だ。って分かっていても、どうしようもなく怖くて、毎日が本当に本当につらいです。 恐怖が心から消える瞬間がほとんどありません。 どうすれば、今目の前なことに集中して、心を穏やかにできるでしょうか。 また、こんな自分が今後孤立して孤独にならない方法はないでしょうか。

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なぜかいつも一人

子供の頃からふとはぐれてしまったり、輪に入れずに一人になってしまうことが多く、ここのところはやっぱり週末も誰かと過ごすというよりは一人で出かけたりということばかり。 誰かとつるむことがそれだけで良いことかといえばそうではないだろうし一人でいる時にはないトラブルや悩みもあろうかとは思います。 他人で自分の穴を埋めようとしてはいけないとは思います。 外国人の友達はよくできていた頃があって、それでも彼らは帰国して物理的距離に反して会いに行けば大丈夫なのですが親兄弟には言われぬ日々の暮らしでの喜び悲しみを共有する相手がいなくて、それは少しつらいです。同時に、一人いればそれはふと虚しさに襲われて、一人でいない時もやっぱり虚しさに襲われて、でも何かを誤魔化す、紛らわすツールとして誰かと一緒にいたいというわけではないとは思ってます。 虚しさ、これが人をして私から遠ざける何かなのかもしれないです。 飲み屋だスナックに行って人恋しさを紛らしている自分がなにを求めているのかもわからないです。コロナ禍の時に父親が極度の警戒心から出歩かないでくれと言っていた時期には達観した気になって私なら孤独感に苛まれまいと平気を貫いてきたかにみえたのですがつらいのは果たして孤独感なのか、自分の声が誰にも届くことない感覚、あ、それも孤独感なのか。 これとても数十年したらみんないないんだろうなとかやっぱり独りになるんじゃなかろうかと、要らぬ心配なのでしょうがまた虚しくなり。 結局は他人は変えられないし自分だって思うようには操縦できないし、世界は自分のためにあるわけではないし思い通りにいかなさを納得するとか泣き出したいこんな気持ちを飼い慣らすかする術をどうにか身につけたいです。

有り難し有り難し 8
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