妊娠6ヶ月で流産しました。
2019.1/17に第二子の男の子を流産しました。
第一子も小さく、妊娠が分かった時は正直喜びよりも(どうしよう)という思いが強かったです。
また、2人目という事もあり自分を過信しすぎて身体に負担をかけて生活してしまいました。
自分のせいで流産したと思うと、お腹の子に申し訳なく、また両家待望の男の子だったという事もあり、親族の悲しそうな顔を見るのも辛いです。
またもう一度子を授かりたい。
でも、まだ流産してから日も経っていないのにこの様な事を思う私はダメな母親でしょうか?
私のせいで生まれてこれなかった息子は、私をどう思うでしょうか?
どう気持ちを切り替えていいのか分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
命の物語に中断(未完成)はない
たとえ6か月の寿命であったとしても、その命の物語は、6か月の物語としてちゃんと完結、完成しているのだと思います。
命は、必ず誰かを喜ばせたり悲しませたりするものでしょう。
亡くなった小さな命は、あなたを悲しませたかもしれませんが、それも一つの「物語」がこの世に遺したエネルギーです。
そして仏教では、輪廻転生を考えます。
命は無くなったのではなく、形が変わったのです。
6か月一緒にいてくれた小さな子に、「ありがとう、バイバイ、またどこかで会おうね」で良いのです。
亡くなったお子さんが今のあなたを見ることができるなら、あなたが「もう赤ちゃんなんて要らない」と嘆いているのを見たくはないかもしれません。
だから、再びお子さんを望まれることは、悪いことではないと思いますよ。
自分を責めないで
之助さん
まだ流産から日にちがたっていないですね。身体のぐあいはいかかですか?
「自分のせいで流産した」「私のせいで生まれてこれなかった」と自分を責めているのですね。あなたのせいではありませんよ。まだ小さいお子さんがいるなかで精一杯がんばっていたのですから、なにも悪いことはしていません。妊娠がわかったとき、喜びより「どうしよう」という思いが強かったのですから、まだ最良のタイミングではなかったのでしょう。いまが桜の季節でないように、少しだけ早かったのです。息子さんは、あなたの準備が整うまで待機をしているかもしれませんね。あなたを責めたり恨んだりはしていませんよ。
またお子さんを授かれるように、身体と心を整えましょう。自分を責めることは、あなたのいまの心と身体に負担になります。「またお母さんのところに戻ってきてね」息子さんにそう語りかけてみましょう。生まれてこなかったけど、あなたと息子さんは親子になったわけですから、とても深い縁があるのでしょう。あなたの準備ができたときに、また出会うことができますように。いまは自分の心と身体を労わってくださいね。あなたと息子さんのためにお祈りさせていただきます。