あの時の罪人ですがもう1つ問答があります
親や兄弟にまで多大な迷惑(例えば就職面)をかけました。これでどうやって償えと申すのでしょうか?
また、こんな人間でも極楽浄土へは行けるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
もっとちゃんと反省しろよ…
"親や兄弟にまで多大な迷惑(例えば就職面)をかけました"
そいつぁ大変だ。
"これでどうやって償えと申すのでしょうか? "
知らんよ。
◯◯と言えばいい、◯◯をしておけばいい、などと無責任な助言をする坊さんはまさかおらんだろう。ところで、あなたには本気で償う気があるのかい?そこまで方方にご迷惑をおかけしておいて、出来そうだからやる、出来そうもないからやらないというモンでもないだろう?
”こんな人間でも極楽浄土へは行けるのでしょうか?”
それがどうした?
浄土に行ける行けないで、必死になったり手を抜いたり、償い方を変えるのかい?
一つには慚、二つには愧なり。慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。
無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。慚愧あるがゆゑに、すなはちよく父母・師長を恭敬す。慚愧あるがゆゑに、父母・兄弟・姉妹あることを説く。『涅槃経』
子どものイタズラとはわけが違うんだ。
もうちょっとしっかり考えて、きちんと事態を受け止めてはいかがか?
真摯に生きるかどうか
浄土へ行けるかどうかわかりません。
ただ償いは、あなたなりの真摯な生き方で
あなたなりの償いの仕方で、
相手が償われたと思った、感じた、もう充分です。と言った時に終了です。
どうやって?と問うより
真摯な生き方を、ただひたすら歩む
その中で、できる償いをしていくことです。
誰かに馬鹿にされようが
蔑まされようが
真摯に生きるかどうか
生き方が問われているのです。
孤独かもしれません
孤立するかもしれません
でも、勇気を出して、真面目に
人を傷つけず、生きることです。
仏様はそこを見ていますよ❗