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「先生、私もたまに白髪みつかる歳になりました」

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有り難し有り難し 24

どれぐらい前になるのかは忘れましたが

瀬戸内寂聴さんが

テレビ番組の中で言っていたことが忘れられません

こんな感じでした

「こういう仕事をしていて何ですけど

私最近あの世ってないと思うんです

それに

あの世にいった人に会いたいとか思わないの

私は今いる人だけでじゅうぶんなのね」

それが良いとか悪いとか

正しいとか正しくないとか

私なんかには何も言えませんが

何と言いますか

すごく重い言葉だなぁと思ったんです

あの方があの歳まで生きたからこそ

たどり着いた境地なのかなぁと思い

その言葉の重さに心が熱くなりました

私は…

まだまだです

会いたい人がいます

私あと約3か月もしたら41になります

私が22の時に亡くした41の恩師に会いたいんです

病んでいた私に気付いてくれた唯一の人

気遣ってくれた唯一の人なのに

私は彼女が同じく病んでいことに気付きませんでした

何か私と似てるなぁと思っていたのに

何か私とそっくりだなぁと思っていたのに

そこまで同じだとは思っていなくて…

会いたいんです

でもあの世はないという考えも分からなくはなくて

何故だか会えないんだろなと思っているんです

同じ歳になり同じような病でありながら

もう会えないんだろうなと

いよいよ並ぶという時になって

ますます会えないんだろうなと思うからか

会いたいと

そんな風に思ってしまう私

おかしいですか?

同じような状態にありながら

同じようなことを度々してしまったりしながら

でも同じとこには行けないんだろうなと

今私はここhasunohaにいて思うんです

会いたいけど会えないと思うんです

あの世はあるけどないような気がして…

やっぱり私おかしいですか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

同じ40代、ぼちぼちといきましょう(^^)

瀬戸内寂聴さんは、よくわかりません(^^;

想いが違うのでね。まぁ、生きてきた人生も違いますしね〜

その人の というより、私は 仏様のお心を聞かせていただいています。どうにもならんこの世で、どうしようもない心を持ち合わせた私にね、仏様の願いが届いてくださっている。
その願いに、頼りたいと望む私がいるわけです。
死んだらどうなるの、亡き人はどこに行ったの、会いたいよ、そんな私の心まで ちゃんとわかった上で、はたらいてくださる仏様。
私は、そんな阿弥陀さまに、たよる生き方、お念仏の道を歩ませていただいていますよ。
命終えたら、お浄土へまいりたいから。
先に往かれた方に、遇いたいからね。
それだけです。

あなたは、あなたの気持ちを大切にしたらいいんだよ。それでも、求める想いがあるなら、仏法を聞いていけばいいのよ。

同じ40代、ぼちぼちといきましょう(^^)

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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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質問者からのお礼

中田 三恵様、お返事ありがとうございます。

私は…人生終えたら、やはりその先生に逢いたいです。

私の方が彼女より年老いているかも知れませんがね…

41のままの彼女に逢って、「あら~あなたもずいぶん老けたわね」なんて言ってもらいたいです。

時や状況からして、私は、彼女と他愛ない会話をした最後の人だったかも知れないのです。

そう…会話して…結構すぐこの世から居なくなったから…

だから、もし可能なら、何故私に「大丈夫?」なんて言ったのか教えて欲しい…

逢いたいし、話したいです。

いつになるか分からないけど、いつかは私も先生のところに行きます。

今の彼女が穏やかな毎日を送っていたらいいなぁ…と思います。

今更ですが…今幸せでいてくれたらいいなぁ。

「学校の先生・教授」問答一覧

「やろうとしていない」と言われ続け辛い。

こんにちは。私は現在大学生で、音楽の学科に入っています。 そこでの大学の先生に言われる「あなたやろうとしてない」という言葉が辛いです。 音楽科では、生徒は基本、誰か一人の先生の弟子になり、その先生のレッスンを受けることになっています。(音楽科の中では門下といいます) 私もある先生の門下になったのですが、週一回必ずある、その先生のレッスンで下記のことを言われます。 先生に言われたことの全てができないと 「なぜ私が言ったことをやろうとしないの?」 その後、「やろうとはしてます」と返すと 「それはやろうとしてると思ってるだけで実際にはできてないから。」 他にも一度に多くのタスクを課してくることもあり、それもできないと 「なんで?さっきやってたことの上に付け足すだけだよ?それがそんなに難しいことなの?」 私は不器用な性格で、一度に多くのことができないタイプです。 頭が混乱して全部できる余裕がないです。と先生に伝えても 「頭が混乱してるのは誰の所為なの?あなたが自分で混乱させて自分の気持ちに余裕なくしてるんじゃない。」 「自分で不器用だと気づけている人は本当は不器用じゃない。自分で自分に制限をかけているだけ」 とも言われました。 褒めてくれることもありますが、最近はその「やろうとしてない」という言葉が嫌になり、自主練の時でもレッスンに言われたことなどがフラッシュバックに涙が出てきて、毎日練習室で泣いている日々が続いています。 「やろうとしていない」という言葉が、なにを持って言うのか、よく分からず、いつも 頭を抱えています。 私はこのままその先生のところでレッスンを続けるべきなのでしょうか? 先生に言われていることは理不尽だなと思いますが、同時に「確かに自分で自分を制限かけているのかな?」などとも思っています。 一応、他の先生に相談すれば他の音楽の先生に変えてくれる制度はあります。 長文駄文になり申し訳ありませんが、回答よろしくお願いします。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

昔の教え子から相撲対決をお願いされました

小学校教諭の男、40代です。 先日、10年前の教え子(当時小4)から突然電話がありました。 用件は何と「先生と相撲で勝負したい」とのことです。 実は私、身長は170cm程度ですが、体重は当時も今も100kg以上あります。 その子は、(当時は知りませんでしたが)幼少時から相撲観戦が大好きで、巨漢である私が担任になってから「いつか相撲をとってみたい」とずっと思っていたそうです。 私も、突然の連絡が相撲対決申込みというだけで既に驚きましたが、彼が当時クラスの男子で最も小柄・細身で性格も優しい子だったので「まさか、あの子が相撲なんて」と更に驚いています。 「担任だったときの先生は、幼かった自分にとって本物の相撲とりのように大きな存在だった。今自分は体重53kg程度で相変わらず痩せており、先生の相手にならないことは分かっているが、先生の胸に渾身の力を込めてぶつかっていきたい」と真剣な口調で話してくれました。 私は、電話が来たとき他の用件で忙しかったこともあり一旦返事を保留しましたが、彼の申し出を受け入れるべきか悩んでいます。 というのも、今の私自身が極度の運動不足・不摂生だからです。 学生時代から続けていた野球を20代後半でやめて以来ほとんど運動していません。 酒もタバコも相当やる方なので、不摂生がたたって最近では階段を上がっただけで息切れしてしまう有様です。 体重こそありますが、まともに相撲をとれる自信がありません。 相手は約半分の体重とはいえ、一番体の動く20歳前後ですので、もしかしたら今の私より強いかもしれません。 そして何より、今の私自身が、幼き日の彼の目に映った本物の力士のような屈強な存在ではなくなっていることが最大の心配です。 もし私が情けない負け方をしたら、彼の憧れを壊してしまわないでしょうか。 私は彼と相撲をとっても構いませんし、彼に相撲で負けても不愉快な気分にはなりませんが、元教え子の思いに応えるべきか悩んでいます。 (尚、私も彼もスポーツとしての相撲経験はありません。)

有り難し有り難し 7
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先生から嫌がらせを受けています。

私は教育現場で働いています。同じ教員である先生から嫌がらせを受けています。私に嫌がらせをしてくる主犯格はA先生、そして口の上手いA先生のことを信じ、つまらない情報収集に勤しみ告げ口をする養護教諭、教頭、校長がいます。 嫌がらせは去年から始まりました。A先生と今はもう異動して職場にいないB先生、そして私の3人は学年部のチームでした。もともとA先生が持ち上がりたかった学級を私が受け持つことになり、初年度がスタートしましたが、この時点からA先生は私のことが気に入らなかったようです。 途中から似たもの同士のB先生と結託し、日々の陰口に加えて、次第に学年部の会議に私を呼ばなかったり、学級の物や私物を勝手に使われたり荒らされたりするようになりました。 最初はコソコソしていた陰口も、段々大っぴらにするようになり始めた頃には、私のメンタルも参ってしまい、2学期の終わり頃に限界を迎えてしまいました。 廊下で一人号泣する私を前年度の校長が発見してくださり、これまでの経緯を話し、A先生とB先生に話をしてくださることになりました。それ以降、ピタッと陰口が無くなりました。 本当は2人とも全然反省しておらず、相変わらず陰口を言っていたことは知っていましたが、私に聞こえるように言わなくなっただけで、随分と仕事がし易くなりました。 しかし、前年度の校長が異動でいなくなってから再びA先生が動き出しました。 今度は自分から動かず、先に話した養護教諭、教頭、今年度から赴任した校長を使って監視をしてくるようになりました。何かアドバイスをする訳でもなく、学級の様子を観察しに来ては、陰口の材料として楽しんでいます。 子ども達に楽しくわかりやすく勉強を教えたいとあれこれ考えていたのに、最近は、「この授業で大丈夫なのか。また陰口を言われるのではないか。」という風にしか考えられなくなってしまい、辛いです。 いじめ問題や人権教育を語るあの口で、どうしてこんな酷い言葉が吐けるのか。理解できません。 もともとA先生と仲が良い養護教諭と教頭は、去年私がどんな目に合ったか知っている上でA先生に協力的です。 憎いです。いけないことだと分かっていますが、彼女、彼らが不幸な目に遭えばいいのにと願わずにはいられません。 しかし人を憎む自分も嫌で、考え方を変えたいとも思っています。ご助言をいただけると幸いです。

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指導教員との関わり方が難しい

大学の卒業研究で指導して下さる教授が、プライドの高い方です。周りの大人も先生をヨイショしまくっており、時にはそのヨイショに良い気持ちになり言動が大きく(悪口など)なることが多々あります。 研究者として非常に優秀な方ですが、近年ではハラスメントと言われる言動を周りを気にせず、担当の学生に行います。特に私が気にられていて(退官前最後の学生だからか)、同級生の前でイジリを繰り返してきます。 この半年間、先生は一種の愛情表現としてそのような態度を取ってくるのだろうと、必死にそれを理解して上手く対応しようとしてきました。しかし院試を半年後に控え卒業研究が残り1年になった今、わからなくなっています。精神的にまいってしまった、とは被害者ヅラするようで言いたくありませんが、辛いです。そこで今後の展望と伴うリスクを以下に書きます。 1) この研究分野に今後も影響力を与える先生を、上司として割り切った上で自分を演じ、轢かれたレールで比較的順調な学生時代とその後の研究人生を過ごす。すると先生と、表面的にはより良い一生の付き合いを続けることになるが、先生との関係は続く。 2) 今与えられている環境を捨てて(他大学や海外)、自分の研究人生を自分で切り開いていく。影響力のある先生なのでどこかで何かしら私の悪口を言ってそれが耳に入ることがあるだろう。または研究分野の学会で不評を流される可能性もある。 今考えないと、きっと流されて今後もずっと先生の言うことを聞く弟子でしかなくなってしまうと思うのです。割り切って付き合うのか、いっそ離れるか。院試を控えた今、悩んでいます。 (古いタイプの人間は今後より淘汰されていくと一般的に言われますが、研究界ではまだまだ強く深く根付いています。時間はかかれども私たちの世代が変えていきたいという気持ちです。)

有り難し有り難し 11
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ