気持ちの持ちようなのでしょうか?
こんにちわ。
私は去年の暮れに5ヶ月だった赤ちゃんを死産しました。
安定期に入っていたため安心しきっていました。
検診日病院に行ってみると心拍が確認されず、背骨もしっかりして見えるのに…頭が真っ白になり待合室でも気にせず涙しました。
ずっと希望だった男の子。
あなたが悪いわけじゃない。
と先生には言われましたが、母親である私のお腹のなかで起きた事だと思うとなかなか納得ができず…
会社でも期待してもらい、妊婦だと言うことで、すごく優しくしていただきました。出社するにも勇気がいるし、他の人には2人も産んだんだから!と言われ、亡くなった子には代わりはいない、小さい男の子や赤ちゃんの姿や泣いてる所を見ると胸が苦しくなります。
もっと苦しい思いもしてる人に比べたら…と思われるかもしれません。時間が経ってもあの時はああだったね。と言えない悲しみと、どうしたらこの気持ちに前向きになれるのか?
仕事も命に携わる仕事で、別れが多い仕事です。これからつづけていける自信も持てず、休職中です。
赤ちゃんからのメッセージがあれば聞きたいくらいです。夢には1度出て来てくれましたが、夢の中で赤ちゃんが目を覚ます瞬間で、すぐ終わりました。
私には乗り越えられる試練なのかわからず、相談させていただきました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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急がないで欲しい
詳しくは申しませんが、私のごく身近でも、死産ということはありました。
一応、「聞いた話」として受け取って下さい。
そういうことがあって、夫婦間で「随分と生活が今とは違ったんだろうね…」と、過去は話していました。けれど、最近になって「タラレバはないなぁ」と思うようになりました。「こうだったら、ああだったら」という空想の世界に入っても、あまり仕方無いのではないか。むしろ「こういうことが、現実に起きるのだ」ということを見据えた方が良いのではないかと。
その先は分かりません。ご夫婦の間で何か共通点があるかも知れないし、お父さん・お母さんの差が出る所かも知れません。ここは急がないで欲しい。性急に答えを求めないで欲しい。でも、この「見据えるべき」という出発点は正しいように思います。
坊さんというのは罪作りで、お葬式でお話をする際に、「実は私も家族を亡くしまして…」と自己開示をすると、それが安心に繋がったりするものですから、ついついプライバシーをたくさん話してしまうものです。でも、「我が身を晒して相手が安心するなら、それでいい」と考えているお坊さんが多いのも確かです。
あなたのお仕事が何かは分かりませんが、「こういう事もある」を一つ経験したことで、相手に与えられるものや、受け入れられる器が広がっているのだろうと思います。坊さんみたいにわざわざ開示する必要はありません。でも、「人の、他人の、命の有り難みを知る」ことに繋がっているような気がします。
亡き子からの詩
亀山純史と申します。ずみさんの亡き子どものことを思いながら、下手な詩を書いてみました。なお、この詩には、因縁生起・諸行無常・慈悲・還相回向(浄土真宗の教えで、浄土に往生した人は、再びこの世に衆生救済のために戻ってくるという教え)の教えを含めてみました。
お母さん。生まれてこれなくてごめんね。
さまざまな要因が重なり合って、生まれてくることが出来なかったんだ。
お母さんのせいじゃないよ。
お母さんの中にいた5か月間は、本当に楽しいときだった。
家族の笑い声が、僕の耳まで届いていたよ。
僕はいつまでもお母さんの心の中に住んでいるから
心配しないでほしいんだ。
世の中には、僕のように生まれてこれない子
生まれてもすぐに死んでしまう子
小学生になる前に逝ってしまう子
原因はいろいろだけれども
親よりも早く逝ってしまう子は
数限りなくいるんだ。
でもね
そんなつらい経験をした人は
本当の人の悲しみが分かり合える人になれるんだって。
仏様から聞いたよ。
だからね
これからのお母さんは
今よりも、もっともっと人に優しく接することが出来て
みんなから好かれると思うよ。
手を合わせてくれれば
いつでも僕はお母さんに語りかけることができるから
また仕事を始めても大丈夫だよ。
辛くなったら
心の中で手を合わせてくれれば
それだけでいいんだからね。
質問者からのお礼
光圓寺 佐藤良文様≫
回答ありがとうございます。
急がないで欲しい。
題名を見た瞬間救われた気がしました。
すっきりしない感覚、仕事への焦りと色々ありました。
仕事でも命に携わる仕事をしていながらも、不覚にも他人事だと思っていた以前の自分を思うと怖くなりました。
今は命のありがたみ。すごく痛感しております。命を張って教えてくれた我が子に感謝しなければならないですよね。
光圓寺 佐藤良文様≫
追記です。
火葬時、和尚さんに小なりと声をかけていただきたく思ってそれがこれからの自分の救いになればと思いましたが、私には声がけなく帰られてしまい、すごく悲しくなったのを覚えています。
救いの言葉が欲しかったのは確かです。
ありがとうございました。
真行寺 亀山純史様≫
回答ありがとうございます。
何度も読み返して涙が出てきました。
毎日遺骨の前で手を合わせていますが、それが届いているのか不安でしたが、楽しい時だったと聞けて安心しました。
今すぐには難しいですが、この言葉を息子の大切な思いとして大事にしていきたいと思います。
ありがとうございます。