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回峰行をするための出家について

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 現在、会社を既に退職し、出家を考えています。
出家する理由は回峰行で生死に向き合って修行してみたいと考えているからです。(恐さもあります)

 ただ家が曹洞宗で、自分が四本足で歩いていた頃からの付き合いのお坊さんに相談して所、曹洞宗は(座禅中心で)回峰行は難しいと言われました。 やはり回峰行をするためには天台宗で得度を頂いた方が宜しいのでしょうか。他の宗派の方からもご意見を伺いたいです。
 
 個人的には長い付き合いですので、そのお坊さんに得度をして頂きたいと考えているのですが、もし行ができないのであればその辺りも難しいのかなと考えて板挟みになっております。

 追加です。世俗的な質問になってしまいますが、修行中の(国民の義務として)年金保険等の納付はどうなさっておりますか。

どうかご意見のほどよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

出家する理由

最終的な理由は何でしょうか?
生死に向き合って修行してみたいですか。
それには回峰行をするしかないのですか。
その為に天台宗でなければいけないのですか。
しかし、知り合いのお坊さんが曹洞宗ですか。
それが板ばさみになっているようでは
生死に向き合うより、年金を払うかどうか
現状の問題に向き合うのが先ではないでしょうか?

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50代、妻と娘2人。 若い頃はタイやインドなどアジアを中心に10年程旅行...

誠に分かります

SS様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

はい、拙生も『「回峰行」に挑戦したいです。』と比叡山延暦寺の高僧面接官たちを前に宣言致したことがございますので、SS様のお気持ち十分に理解できます。

詳しくは、下記拙回答をご参照賜りたくに存じます。

問い「きっかけ」
http://hasunoha.jp/questions/242

当時、『「回峰行」をする気があるか』と尋ねられて、「ない」と言ってしまったらきっと落とされるだろうと思ったのと、体力(中高六年間野球部、陸上・中距離走も速かった)にも自信があったので、何も考えずのとっさの回答でございました。

もちろん、もはや今は体力面において既に見る影もないですので、到底無理ですが・・

しかし、「回峰行」という厳しい難修行に憧れ的な想いをお持ちであるSS様のお気持ち、誠に分かる気が致します。

さて、これまで出家をお考えのご質問に関しましては、下記のようにご回答をさせて頂いておりますし、他のご回答も誠に色々と参考になるのではないかと存じます。

http://hasunoha.jp/questions?tag=お坊さんになるには

この度は、SS様が出家へのお志をお持ちであられることは、誠にすばらしく尊いことであり、大変有り難いことでございます。

しかし、水上様もおっしゃられているように、「いったい、何のための出家、仏道修行であるのか」ということにつきましては、今一度、自分自身と冷静に向き合ってお考えを賜れましたらとは存じております。

そして、この機会におきまして、是非、「菩提心」につきましてお考えを賜れましたらと存じます。

問い「お坊さんになりたい」
http://hasunoha.jp/questions/163

『「出離」・「菩提心」を確かに起こすこと、これが「お坊さん」となるための最初にして重要な条件ではないかと考えております。』

また、下記拙論「菩提心論」も少しくご参照賜れましたらと存じております。

「菩提心論」
http://t.co/aSBtLQQI

拙生もまだまだの浅学菲才の未熟者ですが、是非、共に一切衆生の迷い苦しみと向き合いつつに、確かなる仏道を歩みて、やがては皆々全ての者たちが涅槃へ参れますようにと悟りへと向けて頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

私はお寺に生まれましたが・・・

 私はお寺に生まれましたが、何となく、大学生の時、就職活動が面倒臭くて本山に修行に行きました。そして何となく修行をしていました。そこでは志の高い僧侶もいました。でも、そんな人たちはそんなに長く居ませんでした。1,2,3年くらいですかね。ほとんどの修行僧が1年で乞暇(下山)ました。志が高い低いにかかわらず。私は結局7年修行しましたが、乞暇した時に褒められたり、嫌み言われたり、これが良かったのか悪かったのか解りません。だから、志高いも低いも、何となくも関係ない。自分のしたいことは徐々に見つかるし、したいことも出来ない人もいます。
 SSさん一度やってみて下さい。まだ、20代です。やり直しは聞きませんが、希望通りの修行が出来なくても、僧侶としての務めを果たしてくれることを祈ります。
 出家得度は何宗でも良いですが、回峰行がしたければ、やっぱり天台宗の本山に修行に行くべきです。そのためにはどうすべきか相談にはのります。自分で探すのが一番です。仏教伝道協会では6月ごろ行われる2泊3日の研修は色々な宗派の本山で修行しますが、そこに参加するのも一つの方法です。問い合わせてください。勝友が増えるのはいいことですので、出来る限り協力したいと思います。
 保険や税金は自営業と同じ扱いです。固定資産税は宗教法人ですので特別扱いされます。宗教法人は色々な面で他の法人とは違う扱いを受けます。

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

「出家・得度・僧侶になりたい」問答一覧

浄土真宗・僧になり法要や法話をしたい

はじめて質問させて頂きます。 私はお寺関係の血筋でもなく、付き合い?のあるお寺もありません。 福祉の相談関係の仕事をしており、身寄りもなく独り身で、お金も全くない、菩提寺もないかたを見送ることがあります。 そんな時、せめて私が僧侶なら小さいお葬式をあげて差し上げられるのに。と思うようになりました。 あと、現在新型コロナウイルスの関係で、福祉施設にお坊さんを呼ぶことができません。毎月みなさんとても楽しみにしており、他のことで喜んでもらおうと楽器の演奏など自分に出来ることをしますが、やっぱりお坊さんの話を聞きたい、みんなで正信偈を唱えたいようです。私が僧侶なら法話ができるのにと思うようになりました。 動機としてはハテナ?な点もあるかと思いますが、僧侶になりたいと思っています。アドバイスよろしくお願いいたします。 補足・現在、通信制の大学院で福祉を学んでおりますが、仏教の授業がひとつだけあります。その授業の時に、仏教にものすごくひかれまして、上記の思いが強くなりました。 「浄土真宗」と書かせていただいたのは、私が住んでいる地区では浄土真宗が1番多く信仰されているからです。私や主人は実家が天台宗のお寺にお墓がありますが、実家が県外でお寺との付き合い?もなく、乱暴な言い方ですがお墓があるだけといった感じです。実家の親たちもお墓参りに行くくらいで、信仰してるかどうかといえばそうではないといった状態です。

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はじめまして

はじめまして、ぽん太と申します。 家族に病人がたえず悩んでますが、毎日仏壇などで般若心経など他の経典も 読んでます。僕は、学生時代は一般在家でしたが、道元禅師などの教えにすごく興味があり、もちろんお釈迦様も、仏門に入ろうと永平寺などへ出家を考えた時もありました。40すぎですが、仏門に入るのはもう困難でしょうか。 自分はよくないいじめとかによくあい死のうとも何回も思って首を吊りかけた時もありまぶした、今でもありますが、仏教のことを思うと気が少しは変わります。それと僕は霊感は無いほうですが、頭の中などでは何かが見えたり、聞こえたり、光見たいのが見えたりもしてます。 いろんな宗教宗派をもっても大丈夫なんでしょうか。今では新興宗教とかもあるみたいですが、 家族の病気がちを考え仏教の勉強をたくさんし、仏 菩薩様などにいろいろお経を唱えることで気持ちを和らげていました。 お経には深い意味があることもわかってました。 お坊さんたちに深い教えをいただけたら嬉しく思います。 お経などにも出てくる仏教の苦の意味を知りたいです。 お坊さんたちと交流出来たらいいなと思ってます。 よろしくお願いします。仏教をさらに学んでいく所存です。

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出家の是非について

長文で失礼します。 下記のような問いを持っており、その考究(あるいは超克)に残る人生を費やしたいと考えております。 現在そのための生活様式を模索中で、出家もひとつの選択肢として考えております。   早速質問ですが、 ①下記のような問いは、仏教の中で取り組むに値するのでしょうか。 ②考究にあたり、仏教はもちろんなのですが、その他の学問の助けも借りたいと思っています。出家した場合それは可能でしょうか。   ご回答いただければ幸いです。   ーーーーー   私は相互作用の世界の中に生きている。それはすなわち、常に他者に対して影響を及ぼしている、ということ。しかし、そのような在り方は自然・当然なこととして無視されてよいものではない、と私には思われる。   私の眼前には生きるか死ぬかの選択肢が平等に与えられており、自覚的にしろ無自覚的にしろ、前者を選んで生きている。裏を返せば、私には自死という、他者への影響を自発的に止められる能力が備わっている。   一般的に生きることは尊いとされ、自身の幸福の追求が当然の権利としてみなされている。しかし私が生きるということには、他者の生や意志を損ねる、負の影響が必ず伴う。   そうであれば、生とは害悪ではなかろうか? その害悪性を無視してまで、この生は礼賛されるべきものなのか? 私はただ、生きたいという自分本意な欲求に盲目的に従っているだけではないのか? 生と死を選択肢として与えられている私が、なお自分を生かし続けるのはなぜなのか? 私が生きようとすることを、私はいかにして是認できるのだろうか?

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師僧について

自分は仕事でもプライベートいつも選ばれない人間だと感じていて、今までそれを周りのせいにしてきました。周りを恨んできました。でも最近「それは違う、それは自分のせいだ」と思うようになり、それもまた苦しく数年間悩み続けてきました。その結果、仏教を学びたいと思いある寺院を訪問しました。 そこの寺院は家からはかなり遠いのですが、住職の日々のブログの文章に感銘を受けて訪れました。仏教の制度についての勉強をあまりしておらず、未だよく分かっていない部分もありますが、一度目の訪問のときに在家得度をして修行をすることになりました。得度式までに2回訪問し、お経や念珠について教えていただき、衣の購入と着用の仕方などを教えていただきました。 しかし、実際に師僧にお会いしてみると文章の印象とはかなり違っていて戸惑いを感じました。他の修行僧の悪口ばかり言い、〇〇さんという人がいるけどあの人は声が小さいんだよね覇気もないしありゃダメだとか、××さんという人がいるけどあの人は覚えが悪いんだよねいつまで経っても覚えないとか、事あるごとにこぼします。 更に、他の修行僧や私の個人的なこと(懺悔でお話するような超個人的な内容)を「この人はこういうことで悩んで僧を目指してる」などと大声でみんなの前で言われたのにも驚きました。一緒に修行をするので、そういいったことは公にして共有するものなのでしょうか。 そしていつも尼僧たちにばかり声を掛け師僧の両脇に座らせ、頂きものの菓子を尼僧たちにだけ分け与えていて、これも驚きました。お坊さんだから清廉だとは思いませんが、イメージしていた姿と全く違い戸惑いを感じています。 自分のような考え方は偏っていて堅苦しいですか?会社でも部下のことを重箱の隅をつつくように悪い部分ばかり見て、一方で女性ばかり可愛がる上司もいますが、その上司がどんなに仕事ができても仕事のやり方は参考にしますが、尊敬はできません。 でも師僧には尊敬を求めたい。尊敬できる師の下で修業したい。こんな考え方は青臭いでしょうか。会社と同じように、修行も仕事も同じで、師僧から技術を教わればよしとするものでしょうか。もう得度式も終わってしまい、実際の修行に入っていますが、もやもやとした迷いが生じてしまい悩んでいます。

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得度に関して

大学院に通う22歳です。 将来、浄土真宗本願寺派で得度させていただきたいと考えています。 しかしながら、実家は寺院ではなく、無宗教で所属寺院もなければ、現時点で私は門徒でも無いため、どのように立ち回ればよいのか悩んでいます。 近隣に本派の寺院はあるのですが、学生の身分で足を運ぶのはすこし勇気がいることで、なかなか難しいのが現状です。 もともと宗門大学で4年間仏教について学び、より深く学びたいと思ったため、今年4月からは同大学の大学院に進学しました。 得度したいと思うに至ったのは、僧侶として生計を立てていきたいという訳ではなく、この大学で4年間過ごしてきたなかで様々なご縁を頂き自分の中で信仰心が芽生えたこと、またもっと深く知りたい学びたいと思ったこと、そして自らが仏教をこの先も研究していく過程においてやはり実践者として知見を心得ることは重要になるのではないかと考えたからでした。 正直なところ、このような動機で得度したいと言って良いのか、お門違いで身のほど知らずなのではないか、と考えることもあります。この点についてもご意見を賜りたいと共に、こういった場合はどのように動き、ご縁をいただくのが良いのか、ご助言をいただきたく思っています。 何卒よろしくお願い申し上げます。

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僧侶になりたいが別の職も目指したい

有難き法縁を最近恵まれて、僧侶になることを考えている者です。仏道に生きることは自分にとって良いだけでなく、それを世に広めることは非常に大きな意味があると思っています。教行信証を読んで、これは広めるべき教えだと深い感慨を得ました。寺族でない者が僧侶になる道もいろいろと調べました。 しかし、私が今まで積んできた学業を捨てて僧侶になることは本当に社会にとって最善なのか、と思いました。(現在、米国の大学に在籍し工学を勉強しています。ちなみに浄土真宗の寺に毎週通うようになったのもこの地です。) もちろん、そこには自分が工学をやりつつ仏教もやるという煩悩もありますが、私がここまで工学の勉学を多額の費用が掛かるにもかかわらず進められてきたのも立派なご縁で様々な人のおかげです。技術者になれば社会に貢献できるとも思います。寺族でない者が別の職業に就きつつ僧侶になり寺を開くことは現実的でしょうか。 親鸞聖人は非僧非俗といいました。関東の農民とともに農作業にも励んだと聞いています。今日でも、別の職業に就き世の荒波に揉まれつつ、僧侶として(例えば、毎週日曜日に自宅をお寺にするなど)人々とともに仏道を歩むのは意味があることだと思うのです。 休日を持たない覚悟はあります。また、通常の寺という形に囚われず、布教所のように小さな形でも仏法を広められるのなら良いと思います。しかし、寺族でない人が別の職を持ちつつ寺を開くケースを拝見したことがありません。実際のところどうなのでしょうか。

有り難し有り難し 23
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